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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
二章 ある再開の約束
23/92

<Ⅸ>


 竜とか勇者とか魔女とか如何にも陳腐な物語に僕はすっかり巻き込まれてしまったようで、不本意の一言に尽きるが、まあ、僕自身が陳腐でちんけな人間であるからして、それもまた必定だったのかもしれない。


 深夜零時、約束の時間。


 勿論、真夜中に高校生風情が外を出歩くことに心理的抵抗がないわけではなかったが、そこはそれ、相手が夜を主なフィールドとする魔女というのだから仕方がない。


 それに何より僕は縁のことを知りたかった。知ったことでどんなことになろうとも、知っておくべきなのだと、思ったのである。


 僕と縁は天地神社へと向かった。それもまた連夜の事である。昨晩は、あの化物染みた人間に追われて、ほとんど強いられてのことだったが、今夜はそうではない。僕は自分の意思に従って、縁と二人、この数日で早くも僕と彼女にとって因縁の場所となりつつある天地神社に足を運ぶ。


 なだらかな、一段の幅がやや広い所為で、歩幅的に若干歩きづらい神社脇の階段を下る。一歩ずつ、昨夜のあの場所へ近づいていく。


 僕の殺害現場へと。


 噴き出した血液はどうなったのだろうとか、誰か目撃した人間がいて騒ぎになっていないだろうかとか、考えるべきことはいくらでもあっただろうが、今日一日僕はそのことについて具体的に考えるのを極力避けていたため、今になってそういう事情に気付く。


 「お主、大丈夫か?」


 「……ああ、大丈夫だよ。」


 古い電灯で照らされたそこに、昨夜の惨劇の痕跡は残されていない。跡形もなく綺麗さっぱり、そんな事実なんてなかったみたいに、僕の経験したことが嘘だったかのように、昨日以前と変わらない、平和でありふれた街角の景色が、ただ平然と待ち構えているだけである。


 「ま、あちらもそこまで形振り構わない相手ではなかったようじゃのう。最低限のことは弁えておるらしい。」


 「……」


 縁の解説に何か返事をしようとしたが、しかし、そこで、仄暗く街路を照らす電灯の手前で僕の足は止まった。無意識のうちに、意思に反して、僕の体は歩くことを止めた。


 何でもないかもしれないなんて言いながら、硬直しながら、僕の体は震えていた。


 体は昨晩の惨劇を、失敗を、その代償を忘れてはくれないのだと僕はここで初めて体感する。


 昨夜の惨憺たる出来事は嘘などではなかったのだと、僕の体は正直に宣言し、証明していた。他の誰が何と言おうとも、少なくとも僕にとってあれは紛れもない事実だったのだ。


 脚が、腕が、全身が、わなわなと、それでいて、これ以上進みたくないと前進を拒絶するかのように、固まって動かない。


 情けなくも分かり易く、僕はトラウマの後遺症、かの有名なフラッシュバックという症状に見舞われた。


 額にじりじりと汗が浮き出てそこから温度が奪われていく。体の芯が凍ってしまったみたいに、皮膚の内側から冷気が溢れ出してくる。


 呼吸は一層浅く、視界も白黒と明滅して、いつしかの光景が甦る。僕が死んだときの映像が、全ての感覚が、ありありと、鮮烈に再生される。


 「はあっ、はあっ」


 必死で意識の外に追い遣っていた、忘れようにも忘れ得ない、拭っても拭っても振り払えないドロドロと赤黒い、酷く粘性の高い記憶が、実際に現場を目撃したことによって、一気呵成に溢れ出て、頭の中を席巻する。


 突き刺さる巨大な剣、鮮やかに噴き出す血液、胸に穿たれた大空洞、高音で喧しい耳鳴り、鉄臭く着色された地面、低下する体温、ぐるぐると地の底にまで落ちてゆくような、死にゆく感覚。


 悍ましい欲望と恐怖と、最期には……


 「……お主。」


 ……僕を呼ぶ声がした。


 昨日は聞き取れなかった救済の声はしかし今度こそはっきりと、僕の耳に届いた。


 そして僕の心臓は、僕の中に在って、唯一僕のものでない、あの死ぬほどの痛みを、あの死の痛みを知らない心の臓器は、冷静に、高ぶることも高鳴ることもせず、着々と脈々と、或は無神経に、図太く、温かい血液を全身へと送り続けている。


 無遠慮で力強い脈動は、嘗ての主人の人格に尚も影響を受けているかのようだった。


 彼女の温かさを、内側から感じているかのようだった。


 「大丈夫じゃ。お主には私が付いておる。もう二度とあのような目に遭わせはしない。」


 右手を包む縁のひんやりとした小さな手の感触に、僕を救った彼女の声に、おおらかな血の巡りに、世界は正常を取り戻す。尤も、正常を取り戻したのは僕の方だったのかもしれない……。


 「……ああ。大丈夫。聞こえてる。行こう。」


 僕と縁は再び歩き出す。


 偏に彼女の力によって忌まわしき追体験は終わる。


 それで全てが消し飛んだとは決して言えないのだろうが、彼女が隣で、こうして手を握ってくれていなければ、また僕は何かに囚われてしまうのかもしれないが、初めの一歩はそうして踏み出された。


 そうやってゆっくり回復していくしかないのだと、昨日の出来事の後遺症を余りにも甘く見積もっていた僕は、またしても自分の浅はかさを思い知らされたのだった。


 街灯の下を通り過ぎて左手にある石段を僕と縁は揃って上る。彼女が一夜を明かした冷たい花崗岩の階段を上り切り、散歩の帰り、足しげく通った神社の境内に、僕と縁はようやく到着した。


 アパートを出てから凡そ三分。疲労感から考えればその十倍は歩いていたような気もするが、それはまさしく気がするだけなのだろう。ただの、しかし侮れない、気持ちの問題である。


 「やあ、待っていたよ。思っていたより早かったね。ここを集合場所に指定するのは君には些か酷だろうとは思っていたけど、生憎この場所は譲れなくてね。他の何を譲ってもこの場所だけは譲れなかったのさ。その件についてはボクには全く責はないんだけど、哀れだとは思うよ。」


 魔女は境内の真ん中で待っていた。昼に会った時と同じ、魔女らしい、魔女に相応しい装束を身に纏って、僕たちの到着を待っていた。


 「いや、良いリハビリになりましたよ。荒療治も良い所だったけど、どのみち通らなければならない道だったし、文字通りの意味で。それに哀れむなんてやめて下さい。僕の中じゃそれ、上位の侮辱行為ですから。」


 「そうかい。中々面白いことを言うお兄さんだね。だけどそれでも僕は哀れまずにはいられないよ。こんな状況に巻き込まれて、さぞかし大変だったろう。その件については、こっちはボクも無関係じゃいられない。無関心でいられる程、ボクはドライな魔女じゃない。」


 印象としてはとてもドライな雰囲気を持つ女なのだが、人は見かけによらないのか、口から出まかせを言っているのか、判断はまだつかない。僕が縁のことをほとんど知らないのと同じくらいに、僕はまだこの女を知らない。素性も人格も、信用に足る人物なのかどうかも、まだ分からない。呼び出しに応じたのは、それを見極めるためでもある。


 「それで、こいつのことを教えてくれるっていう話でしたけど」


 「御託はそこまでだよ。……あれ、いや何か違うな。別にボクは君に喧嘩を売りたいわけじゃないんだぜ? 誤解はしないで欲しいな。いや買ってくれるんなら売るんだけどね。五百円くらいで。」


 さっきも思ったけど、この魔女、言葉の節々から生活苦が滲み出ている。


 「勿論税別さ。」


 「喧嘩にも税金がつく時代になったのか!?」


 世知辛っ! しかも税別!


 よし、余りにも馬鹿らしいこの女との会話で、早くも調子が戻ってきた。やるじゃないか貧乏魔女。


 「そう。そうやって、話して欲しい、堅くならずに。ボクが気軽にフランクに敬語を使わず話しているんだから、できれば君にもそうして欲しいんだよ。お前とか、そういうフレンドリーな感じで、ボクにも接して欲しい。そうでなけりゃまるでボクが偉そうにしてるみたいじゃないか。それとも何かい? 君はボクのことを偉い人だとでも思っているのかい? 偉人だとでも思っているのかい?」


 偉人でなくとも、異常な人くらいには思っている。


 「第一、ボクが君のことをお兄さんと言ってるんだから、君は大人しく、兄的ポジションに落ち着いておけばそれで良いんだよ。」


 何だろう。この女を相手にしていると、何と言うか、話し甲斐がない。


 縁もかなりお喋りな方なのだが、それでも聞いてほしい時には僕の話もちゃんと聞いてくれるし、相槌も適切に打って表情も豊かに変化する。今気付いたことだが、そう考えると縁との会話は双方向と言うか、苦にならないというか、話し易いのかもしれない。


 一方この魔女っ娘ときたら、表情に全くと言って良い程変化がない。言葉から感情を読み取れない。しかもそれでいて台詞が長いのである。無表情キャラの鉄則を打ち破って、やたらめったら喋りに喋る。平坦に、無感情に無表情に、楽しそうにもつまらなそうにもせずに淡々と、血の通ったような台詞を発する。それが何となくミスマッチしていて、気持ちが悪いとまではいかないにしても、違和感を覚える。


 縁という好対照が身近にいる所為で、尚更に敏感に感じられるのかもしれない。


 「落ち着かないポジションだな、それ。しかもあなた……いや、お前」


 「会って間もない女子にお前とは不躾な。そんなだから君は全世界の全女子から白い目で見られるんだよ。」


 スケールが大きい! 僕ってそんな全世界的に嫌われてたのか? 有名人じゃん!


 喜んでいる場合ではないのだが、しかし改めてこいつ、言ってることがちぐはぐだなあ。


 「じゃあ貴様とかで良いんだっけ。」


 「うん。いいね。とうといにさまと書いて貴様。悪い気はしない。それでいて周りからは侮られているかのように聞こえるのだから、言うことなしだよね、その二人称。」


 「だったらお前でも、御前と書いてお前なんだから、一緒じゃねえのかよ。」


 「だってお前だと、余りにも世間一般に親しい間柄の気軽な呼び方って認識が浸透してしまっているからね。それに比べて貴様はどうだい? ボクは漫画やアニメや時代劇以外で、その言葉が使用されているのを終ぞ聞いたことがない。」


 それを言うなら僕だって、ちゃきちゃきの僕っ子である僕だって、自分のことをボクと自称する女を、所謂ボクっ娘を、漫画やアニメ以外で見たことがない。時代劇でだって見たことがない。


 「まあ、冗談さ。話を本題に戻してくれて構わないよ。」


 「……お前、僕のことをお兄さん的ポジションに落ち着けって言ってるくせに、基本的な二人称は君って、なんか矛盾してるだろ。」


 「それはどうかな。お兄君。」


 「気持ち悪っ。変な造語で呼ぶな。」


 と言うか、せっかく本題に戻る切っ掛けを貰ったのに、僕は何でこんなどうでも良い話題に花を咲かせているんだ? くそう、さてはこの珍妙な女のペースに狂わされたか。


 「……いや、そうじゃなくて。そんな話がしたかったわけじゃなくて、ああ、そう言えば、お前がこいつを人間の姿にしたんだってな。」


 縁の話ではそういうことになっている。竜である彼女を人間の姿にした張本人はこの魔女であると、あくまで縁の話ではそうなのだそうだ。


 「そんなことは大した問題じゃない。ボクの遥か昔のご先祖様が、その竜に多少の恩を作ってしまってね、その恩を現代、つまりはボクの代で返しておこうと思っただけのことなんだ。だから、大事なのはそういうことじゃない。問題なのは君がこれからどうするかさ。そんな古臭い話は抜きにして、未来の話をしようじゃないか。お兄さん。」


 未来の話。僕がこれからどうするか。


 僕はそれを理解していないのだと魔女は言った。


 「ねえお兄さん。君はその竜が本当はどんな存在なのか、知りたくはないのかい? 知らないままで、怖くないのかい? 君は自分のしていることが、どんなに重大なことなのか分かっていないようだけど、それはきっと、知らなかったじゃ済まされないことなんだぜ?」


 縁は自分に何か問題があれば切り捨てればいいみたいなことを言ったが、こいつがどんな存在であろうとも、僕は彼女を一人にするつもりはない。求められるのなら、求められる限り、僕は彼女の傍を離れたりしない。一緒に住もうと言った時点で、そんなことはとっくに決まっている。決して軽々しい気持ちで言ったわけではない。覚悟なんて言葉を使ってしまうと、安物みたいに思われるかもしれないが、それでも僕は覚悟を決めたのだ。


 「知らないことは怖いことだ。だからこそ、その竜は幾度も殺されたり生き返ったりを繰り返しているんだろうけど……。ただ、知っているからといって怖くないなんてことはない。知っているからといって危険じゃないなんてことにはならない。……そして一番危ないのは、知っていると思い込んでいる状態なんだぜ? お兄さん。」


 知らないからといって、何だって言うんだ。


 きっと無責任な想いなのだろうが、僕の取るべき責任は一つしかない。


 「……分からない。お前の言ってることの意味が僕には分からない。僕がしようとしてることって、竜を名乗る女を自宅に住まわせるって、たったそれだけのことじゃないのか? それが、僕以外の誰かにとって重要なことだなんて、僕には思えない。」


 例えば物騒な勇者が突然現れて彼女を襲ったり、それを邪魔する僕を切り捨てたり、例えば魔女が現れて、よく分からない言動で僕を困らせたり、何よりも平穏を好む僕にとっては、それは相当重大な問題だが、だからといってそれが周りに、世間様に迷惑をかけるかのような彼女の言い方は腑に落ちない。


 「やれやれ。じゃあまずはその的外れな認識から、改めてもらうしかないようだね。いや、それともただの甘えなのかな? どちらにしてもボクが今日ここに、君とあなたを呼びつけたのは、ほとんどそれが理由なんだから、前置きはここまでにしておいて」


 そう言って、魔女は手にする杖で地面を一つ突いた。


 「始めようか。」


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