<Ⅱ>
僕が情けなく意識を失ってしまったことによって、事の顛末を知りそびれ、悶々としているかもしれない読者諸姉諸兄の皆様のためにも、また僕自身のためにも、いよいよ、昨日の晩、僕の身に一体何が起こったのかを、ゆっくりと、徐に、彼女の言葉を基に開示するとしよう。
一度死んだ僕は、しかし死に切りはしなかった。あいつに、竜と名乗り、縁と名付けられた彼女に、心臓を与えられ、命を授けられた。
さながら転生を繰り返す竜のように、僕は二度目の命を生きることになる。
ここからが、二度目の人生の始まりだ。第二章の開幕だ。
一度目の人生では、何をするわけでもなくだらだらと過ごしてしまったから、まあその代償としての死であったのかもしれないのだが、だからこの二度目の人生を以て一度きりの人生と僕は言いたい限りなのではある。
当然のことながら、この話には少なからず彼女の未だ知られていない秘密の公開を伴うことになるわけだが、どうか面を喰らわずに聞いてほしい。振り落とされずにしがみ付いてほしい。ここまで諦めずについてきてくれた者からしてみれば、何を今更と思うのかもしれないが、ここから彼女のファンタジーは更に加速する。
結論から先に言ってしまえば、僕はこの話を通して、彼女が本物の竜であることを、常識から隔絶された存在であることを目の当たりにし、ついに認めることになる。
そしてこの日から始まる、僕という平凡な男子高校生と、彼女という一匹の竜の転生体の非日常的な日常の物語はますます混迷の度を深めていくことになるのだ。
おやおやお前もついにあの頭のおかしな女に当てられておかしくなってしまったか、と思われても仕方がないような質問を、しかし僕はここでしておかなければならない。
こんな問い掛けをするのは全く本意ではなく、また恥ずかしいばかりなのだが、それでも尚、だからこそ、将来のために僕は、恥を忍んで馬鹿馬鹿しさも織り込んで、一応、念のため、聞いておかなければならないのである。
尤も、既に得体の知れない出会って間もない女に対して同棲を提案している時点で、世の中の僕に対する不信感は今や天井知らずにウナギ登っていることだろうから、今更そんなことを気にしても仕方のないことではあるのだが…。
彼女の真実について。最終確認をしておく必要が僕にはある。
「お前、本当に竜なのか?」
昨日の晩起きたことが全て現実だったとしても、ファンタジーが幻想でなく、現実として在り得たとしても、また僕が彼女を受け入れたとしても、彼女が竜であるという確証はまだ得られていない。
異常な経験をして、その説明のために僕は異常を受け入れたが、だからといって彼女の話が全て真実だと決まったわけでもないのだ。
何かしらの異常はある。僕や、そしてほとんどの人間が常識外れだと、お伽話だと一笑に付してきた現代科学では説明のつかない事象は確かに存在する。それは理解した。
あの思い出すだけで吐き気を催す、気が狂いそうなくらいに悲惨な経験をしたのだから、当たり前だ。ましてや、完全に死を覚悟したその状態から僕は復活してしまったのだ。
進退はとっくに極まってしまっている。
最早僕は非常識を新たな常識として受け入れなければならない。
それにしても、汝は竜なりや、なんて口に出して言ってしまうと、本当に自分の正常性が疑わしくなってくる。異常性を疑いたくなってくる。
僕も焼きが回ったものだ。こいつと出会ってから、波風立ちっぱなしである。寝ても覚めても常に大時化だ。
まあ、それが悪いとは決して思わないんだけど。
「本当にお前が竜だってんなら、何か証拠を見せてくれよ。お前の竜々しいところを、何でも良い、一つ見せてくれ」
「竜々しいとは新鮮な言葉じゃ」
そりゃそうだ。今僕が適当に作った言葉なんだから。出来立てほやほやのあっつあつのはずだ。
「とは言うものの、丙よ。どうすれば竜々しいということになるのか、竜である私を以てしても、皆目見当がつかぬ。私は私を証明できぬ。そこでじゃ。逆に問うが、果たしてお主は、お主、換言するところの伊瀬丙という人間は、自分が自分であることを如何に証明出来るのじゃ? 自分が自分であり、そして人間であるということを、お主はどうやって立証するのじゃ?」
僕が僕であることを如何に証明するか、か。中々難しい、哲学めいた問ではある。真剣に考えれば小一時間どころか、半日くらいはこの話題で時間を潰せそうな、興味深い話題だ。
最近じゃ何でもかんでもネットで調べれば答えが出てきてしまうようになったが、こういう類の問いには絶対に正しい正解というものがないだろうし、たとえ何かしらの解釈が既に為されていたとしても、その解釈に至るまでの思考の道のりはそれぞれに異なるだろうから、考えること自体にこの場合意味がある。
そもそも自分という人間が本当に存在しているのかも……。
「って、僕は哲学の話でお前と盛り上がるつもりはねーよ」
危ない危ない。危うく考え込むところだったよ。それはそれで面白い試みだとは思うけど。
但し今ではない。
「いや、そういうことじゃなくてさ。ほら、何かねえのかよ。びっくり隠し芸的な技が」
僕が何を促しているかを白状してしまえば、僕が何を期待しているのかを憚りもなく有体に言ってしまえば、魔法的な何か、という一言に尽きる。
竜ならば火の一つでも吹けるんじゃないのかと、或は背中から翼がメキメキと生えてくるんじゃないかと、僕は彼女に期待しているのだ。
意を決して、ファンタジーを受け入れたんだから、それくらいの不思議現象くらい見せてもらえなければ嘘だろう。逆に彼女が僕の期待に一つとして応えてくれないというのなら、今からでも決断を、忌々しい苦渋の決断を覆すくらいの意気込みが僕にはある。
「隠し芸は隠してこそのものじゃ」
「屁理屈言うな。例えば、僕にお前の心臓を移植したって言ってたけど、それってどうやったんだ? 普通なら、専門の外科医とそれなりの設備でもなけりゃ出来ないだろ? そんなこと」
拒否反応とか血液型とか縫合とか、そういう細かいことを抜きに出来る何かが、発生したはずだ。
いや現実的に考えれば、拒否反応も血液型も全く細かいことではないのだが、それを細かいこととして扱えるような特殊な方法で、この女は僕の体をオペレーションしたはずなのである。
「そんなことは簡単じゃ。つまりの、お主の胸に穴が開いておるじゃろう?」
じゃろう? って軽々しく言うけど、僕にとってその経験はかなり、どころか重度のトラウマなんだからな? 重傷なんだからな?僕はグロは苦手なんだから。
「その空洞に、取り出した私の心臓をぶっ込んで終いじゃ」
「ざっくりし過ぎだろっ! 僕の命はそんなぞんざいな処置の上に成り立ってるのか!?」
ぞんざい過ぎる存在だ。
「そんな剣幕で言われてものう。事実としてそうじゃったんじゃから、仕方がないじゃろう」
「え? じゃあ、傷口とかどうなったの? どうやって綺麗さっぱり塞がったんだ? 僕の穴」
自分で言っていて、気持ちの悪い台詞ではある。現実味がない分、まだお道化たように言えるが、きっとこの先、昨日の事件を現実として受け入れていくと、そんな台詞を軽々しく吐けなくなるだろうことは、何となく想像できる。
「知れたことよ。勝手に、じゃ。そうじゃの。私の竜々しさを証明せよ、とのことじゃったが、その点に於いて、私の竜たる性質が発揮されておるからして、証明の材料にはなるやもしれん」
「あ? 意味が分からん。一般男子にも分かるように説明してくれよ。異常女子」
「うーむ。…では、お主は竜という生き物に対して、どういう印象を持っておる?」
「羽があってでかくて鱗があって怖くて強い。邪悪の象徴で、後中二病の設定によく出てくる」
「それだけか? もっとこう、現実的にじゃなく、お伽話とか小説とかそういう物語に出てくるような、あとはそうじゃのう、この地ならばゲームの中の竜を考えれば自ずと分かってくるやもしれん」
「ゲーム、ね。ゲームゲーム……。ああ。氷タイプとドラゴンタイプに弱い。あと初期だとドラゴンタイプがカイリュー一族しかいなくて、ワタルがやたらカイリューばっか出してくる、とかか?」
――何気にプテラが曲者なんだよな。
「ポケモンの話ではない! もっとあるじゃろう? ほらRPGとかで、竜の血と言えば。」
「おい、失礼なことを言うな。ポケモンも立派なRPGだろうが!」
「……。もうよい。お主はピカチュウ版でコイキングを、百レベになるまで育て家に預け続けておれば良いわ。因みに私のお気に入りは金銀版じゃがの」
――何に因んだんだ!?
そして百レベまで上げちゃったら、そのコイキングもう進化できねーじゃん! ギャラドスになれねーじゃん! 最早ただの鯉じゃん! しかしなにもおこらないじゃん!
ごほんっ。
「さておき、竜の血、といえば、僕はあまりゲームとかやる方じゃないけど」
「嘘つけ! お主めっちゃポケモンやっとったじゃろうがっ!」
「まあ、やってたけど。ポケモンは別だろ? 竜の血とか、それ確実にカイリューとかから搾り取った血ってことになっちゃうし。分かったよ。じゃあ正確を期して、ポケモン以外のゲームを僕はあんまりやったことないから、そこまでイメージは湧かないんだけど。少ない経験から察するに、竜の血といえば、回復薬の生成とかに使うんじゃないのか? 多分」
そのまま爆発性の武器として使用したり、武器の鍛錬に使ったりするイメージもあるけど、やはり最も馴染があるのは、血を飲んでHP回復、のイメージだ。
「何じゃ。分かっておるではないか。いやはやそのものずばりという感じじゃの。流石慧眼の化身たるお主じゃ」
いや、僕はそんな眼球の化身みたいな、目玉おやじみたいな化物になった覚えはないのだが……。
「そうじゃ。竜というのは、古くから生命力の象徴として、時に崇められ、時に恐れられ、時に畏れられてきたものじゃ。その生命体の極たる竜の、それも心臓という更に象徴的な臓器を、時として命そのものをも表す心の臓を、体内に移植されたのじゃから、お主の体が自然に回復してしまうのも、まさに自然の成り行きじゃろう。じゃから、人の身でありながら胸に竜殺しを突き刺されたお主が、今もこうしてどうにかこうにか無事でいることこそが、私が竜であることの何よりの証と言えるのかもしれぬな」
ファンタジーチックなRPGに対して、一般レベルの耐性しか持たない僕にとっては、何やらややこしい話である。
だがそれで良い。本来それが健康なのだ。こんなぶっとんだ話をされて、はいそうですかと唐突に理解出来てしまう方が、一般人として寧ろ不健全だ。僕のあって然るべき猜疑心はまだ正常に働いているらしい。
「つまり、お前の心臓を移植したことによって、僕に再生能力が備わって、皮膚とか、壊された他の、例えば肺とかの臓器も復元されたってことなのか?」
でも、その時ほとんど意識失ってたから直接見たわけじゃないんだよな。
よって証拠にはなり得ない。
「概ねその通りじゃが、再生能力というより、治癒能力と言った方が適当じゃ。あくまで、誰しもが備えておる自己修復力の延長として捉えるべきじゃろう。心臓を移植しただけでは、失った血液は元に戻らないしの」
「は。え? じゃあやっぱり何で僕は生きてんだよ。思い出したくもないけど、だけど僕はあの時、確実に致死量の血液を体外に噴出したはずだぜ?」
人は全血液の凡そ半分を失うと死ぬと聞く。あの嘘のような大剣に貫かれ、血液循環のポンプとしての役割を果たす心臓を破壊された僕は、半分どころか全ての血液を失ったのではないかと思うくらいの出血をこの身で体験した。
だから、心臓の移植による治癒力の向上によって、血液が生成されなかったとするならば、僕は当然のことながら失血死しているはずだ。
「それはまた別の力が働いたというだけのことじゃ。心臓の移植とは別にの。それよりお主よ、さっきから質問ばかりで、何か大切なことを忘れておるのではないのか?」
僕の体に起こった異常事態について知ることより、大事なイベントが今現在に於いてあるものか。心臓を移植されて、あり得ない、しかし今となってはあり得ないと一概に断言するのも難しくなりつつある治癒力を得て、僕は世に言われるところの一般人という概念から逸脱してしまったのかもしれないのだ。その重篤な変化を差し置いて、何を忘れていると、彼女は言うのか。
「何だよ。この状況で、現状把握より大事なことって」
「やれやれじゃ。お主と言う人間は、全く以って人間味の薄い奴じゃ。いや、人間味はあるのじゃろうが、人間性が捻じ曲がっておるのかの?」
何を今更、僕の人間性が捻じ曲がっているなどということは、遥か太古よりの、古より継承されし常識じゃないか。一般論だ。英文にしたら、きっと現在形で書かれるだろうよ。
「何だよ。僕の性格の善し悪しを指摘することが、他の何を差し置いても今こそやるべきことなのか?」
「違う。お主の性格は私からしてみれば、控えめに言って最高じゃ。少々卑屈に過ぎる嫌いはあるが、しかしそれも愛嬌と思えば可愛いものじゃ。じゃから嫌いもさほど嫌ではない」
ややこしい日本語だが、多分褒められている。
「私が言いたかったのは、つまりじゃなあ」
僕の目を真っ直ぐに見つめて縁は言う。
「おはよう。丙」
朝日に照らされた白い頬を不用心に綻ばせて、何が嬉しいのか縁は朝の挨拶を僕へと発信する。
「これからよろしくのっ!」
「お、おはよう。縁」
弾むような口調に乗せられて、僕はいつ以来かのその挨拶を彼女に返したのだった。
「積もる話もあるじゃろうが、それは朝ご飯を食べながらにしようではないか。お主もお主で、失った血液を補充せねばならんじゃろうしの」
「僕を気遣ったふりして、お前本当は腹が減っただけなんじゃないのか?」
「ふふうん。フィフティフィフティじゃ」
ライフラインの内の一つを使いやがった。残るはテレフォンとオーディエンスだけだ。
「まっ、確かに僕の体は心配だから、何か鉄分多めのものでも食べて、落ち着いてからにするか」
全ての顛末を聞き終えていないからこそ、僕は僕の体が心配だ。自分の体が、今現在に於いてどの程度の危機に瀕しているのか分かっていないのだから、ここは最悪の事態を想定して行動を選ぶべきだろう。取り越し苦労や余計な心配であったなら、それはそれで一向に構わない。
「そうじゃろうそうじゃろう。そうじゃろうと思ったのじゃ。私は主にお主と食事のことしか考えておらん。お主の作る料理と、食事のことしか考えておらん」
「ひどっ! お前それ、結局僕のことまるで考えてねえじゃねーか。僕のことなんて、本当は全自動調理マシーンくらいにしか思ってないんじゃないのかあ!?」
いや全自動調理マシーンなんてものがあったら、それはきっととてつもなく未来的で『くらい』などと軽々しく言える代物ではないのだろうが。
「はっはっ。冗談じゃ。そう拗ねるでない」
僕はこの先この女と同棲を始める気でいるのだから、笑い事じゃない。いやホント、よくよくくよくよ考えてみたら、こいつと同棲って、何考えてんだ? 僕。
「ああ、そういえば、お主。今日は何かの祝日じゃったかの?」
「いや、今日は旗日じゃないはずだけど」
最近じゃあ旗なんて上げないんだけど。
「……お主、今日は金曜日じゃが、学校には行かなくて良いの……じゃよな?」
彼女の珍しくまともな確認に、寝惚けていた僕の頭はどうやらここにきて、急速にそして今度こそ完全に覚醒したようだった。
「……あ」