銀狼は赤ずきんに恋をする
とある王国に、王子がいました。
森の花々を愛し、鳥とともに歌う心優しい王子です。
王国の誰もが優しい王子を慕い、王子こそ王にふさわしいと思っていました。
ところが、ある日王子は忽然と姿を消してしまいます。
代わりにずる賢い、第二王位継承者の王子が王座につきました。
人々の間にはこんな噂が流れました。
あの心優しい王子さまは呪い殺されてしまったのだ、と。
実際、王子さまは殺されてなどいませんでした。
白銀の毛皮に鋭い牙、大きな爪。闇に映える黄昏色の瞳の恐ろしい獣。
勇者と名高い赤ずきんの餌食となりかけた悪しき存在。
そう、王子さまは狼に変えられてしまったのです。
しかし王子さまは哀しみに暮れるようなことはありませんでした。
「一日中森でごろごろしても、土いじりをしても怒られない!」
王子さまは王位を継ぐ気なんてさらさら無かったのです。
むしろ排斥されて喜んでいました。
王子さまは国王志望ではなく、
むしろ森の番人という名のニート志望だったのですから。
まあ、狩人に銃を向けられて死にそうになったり
恐ろしい姿を恐れて鳥や鹿たちがなかなか寄ってきてくれなくて
寂しい思いをしたりましたが、王子さまは幸せでした。
あの日が、来るまでは。
それは、よく晴れた日のことでした。
いつものように森をぶらぶら散歩していると苺のような赤い頭巾が
花畑でひょこひょこしているのが見えました。
蝶の白や黄が赤によく映えています。
王子さまはとっさに木の陰に隠れました。
王国では、赤ずきんをかぶる習慣とともに
銃を子どもに持たせるという習慣も広がっていたからです。
まったく、物騒なことこの上ありません。
人影が顔をあげました。
春の暖かな風が頭巾を吹き上げて髪を揺らし
雲母のような不思議な輝きを散らします。
「……!」
狼は、息を飲みました。
赤ずきんは銃をぶっぱなすような粗忽者とはほど遠い
儚げな、青林檎色の瞳をした少女でした。
少女は、しばしば森にやってきました。
花を摘んだり、湧き水を酌んだり。果物を摘んだり、薪を拾ったり。
狼は、激しい銃撃戦(一方的に)を繰り広げた悪友の狩人くんに
からかわれながら、少女をじっと見守りました。
春の日も、夏の日も、秋の日も、冬の日も。
そんなある晩のこと。
どこの誰か知りませんが銃撃と追跡を逃れてほっとしていた狼が
星の光の下で微睡んでいると、
冬の冷たい夜風にかき消されそうなほどかすかな声が聴こえました。
此処は森の奥の奥。誰も訪れる事のない場所だというのに。
いぶかしく思って声のする方へ向かうと、そこには。
「!」
あの少女がいました。
迷って放浪したのでしょうか。
白く、華奢な手足に痛々しい擦り傷を散らしています。
こんなに寒い夜。
毛皮がもふんもふんの狼はへっちゃらですが
冬仕様のちょっと厚めの赤ずきんと手袋のみの少女の
命の蝋燭の灯は消えてしまうに違いありません。
なんとか助けないと。
そう思って足を踏み出しかけ、はっとしました。
大きな毛むくじゃらの手。
僅かな力でも身体を引き裂いてしまう、鈍く、冷たい光を放つ爪。
こんな手じゃ、彼女を救うことはできません。
「…………けて」
ぴくり、と耳が動き、音をとらえる。
ああ、せめてぼくが人間の姿なら。
「……助けて、誰か」
ああああああああ、くそ!
此処で見捨てたら一生後悔する、と覚悟した狼くんは
ねぐらにしている茂みから薬草の束と布きれを持ってきて
少女の方へ投げました。
「大丈夫、大丈夫、だから」
それは傷ついた少女に向けた言葉なのか、
それとも異形を見られるかもしれないと怯えて揺れる自分に向けた言葉なのか、自分でもよく分かりませんでした。
「それで、手当てをしてください」
本当はぼくがやってあげた方がいいのだろうけど。
「どなたか、いらっしゃるのですか?
いらっしゃるのでしたら、森の出口まで案内をお頼みしたいのですが……」
案の定、少女は道に迷ってしまっていたらしい。
直接出ていって道しるべをしてあげたいのはやまやまだけど、
いきなり狼が出てきたら恐怖以外のなにものでもないし。
……そうだ!
別の茂みの方へ行き、純白の花をごっそり摘み取り
そのうちの一輪を赤ずきんの方へ投げました。
「この花のあとについてきてください」
狼が花を置き、遠く離れた赤ずきんが拾う。
それを何十、何百回と繰り返して星が朝陽に消えかけた頃
赤ずきんは、ようやく森の出口にたどりつきました。
その日から、赤ずきんは毎日森に来るようになりました。
「出てきてくださーい、白バラの君~!」
なんだか珍妙な名前をつけられちゃったなあ、と遠くの茂みに隠れる。
「お~い!!」
毎日森に来て一生懸命探してくれるのは嬉しいけれど
すこし申し訳ないような気もする。
せめて声だけでも答えようかと口を開きかける。
「せめて一度きりでもいいですから……!」
ああ、そうか。
ぼくが此処で答えてしまったら。
――――モウ君ハ、此処ニ来ナクナル――――。
いつものように少女を見守っていると。
「よっ」
「ぐはあっ!」
突然の衝撃で、目の前を真昼間だというのにお星さまがちらつきました。
「ったく、毎日毎日飽きねえな」
「殴らなくてもいいじゃないか……」
狼は涙目になりながら拳の主――狩人を睨みました。
「オマエみたいな意気地なしを巷じゃ『ストーカー』っていうんだぜ」
「失敬なっ、僕は彼女のガーディアンだよ!
いわばティンカーベルとか魔法のランプの魔神とか」
「ピーターパンやアラジンと言葉を交わさない妖精や魔神がいるかっつの」
「まあ、そうだけど……」
「で、何で声かけねえんだよ」
「だって、ぼくは狼だよ。狙撃対象であって、害獣であって
それ以上でもそれ以下でもないでしょう?」
「声だけの出演でいいじゃねえか。前はそれで乗り切ったんだろ」
「うっ、それはそうだけど」
彼女が此処に来なると思うと、幾度も銃撃を逃れた俊足も
鉄になったかのように重くなる。
「案外動物好きかもしれねえぞ」
「狼は無理だよ」
「ワンって吠えればいいんじゃね?」
「無理があるって」
「だ~っ!
ったく煮え切らねえ野郎だな。狼の姿じゃなけりゃいいんだろ?!」
「……うん」
狩人の雰囲気に気おされ、うなずく狼。
「この森のすんげえ奥深くに、魔女のばあさんがいる。
そのばあさんなら力になってくれるかもしれねえ。行ってみろ」
うわー何その怪しさ満点なの、とか思いつつ狼は森の魔女をたずねました。
「人間に戻れる薬をください」
「よいぞ」
あっさりくれました。何かの詐欺でしょうか。
すんなりすぎて怖かった王子は魔女にたずねました。
「人間になった途端に雷に打たれて死にませんよね?」
「よく分かっておるな」
しゃれにならん。
「いりませんよ、こんな薬!」
わたわたとしながらお薬をていっと返品する狼。かなりシュールな光景だ。
「かの人魚姫も己の声と引き換えに足を手にいれたのじゃ。
しかも王子と結ばれねば海の泡となり消えゆくという忌々しい制約付きでの」
そう言いながらパイプに火をつけ、燻らせる。
「かよわい女子ですら重き代償と引き換えに願いを叶えたのじゃぞ?
男であるそなたが何も差し出さずに願いを叶えようとは笑止千万!
男ならば死ぬ覚悟で挑むべきではないのかえ?」
鷹のように鋭い眼光に、思わず身がすくんでしまう。
「……だからって死んだら意味ないと思います」
「まったく、気概のない男じゃのう」
やれやれ、と呆れて首を振りながらふ~っと紫色の煙を吐く魔女。
うっわ、身体に悪そうとか思っても顔に出さずに狼はつづけました。
「わかりました。人間に戻るなんて贅沢は言いません。
一時的でいいんです。数回分でいいので一時的に戻れる薬をください」
「ほう、随分と譲歩をしたな。
して、そなたは代わりに何を差し出す」
自らの黄昏色の光を指さす。
「この左眼を、差し上げます」
「は、眼だと? 戯言を!
貴様の眼玉一つ如きでくれてやる安い薬ではない――!
と、言いたいところだが。
悪くはない。
ちょうど鴉の目玉を切らしておっての。
狼の眼は使ったことが無いがよい機会じゃ。
そなたの眼で手を打ってやろう。
しかし本当によいのか?そなたは銃と相対することも多そうじゃが」
視界が狭くなると難儀するだろうに、と
またパイプから煙を吐く。
「かまいません」
「ふむ。では、その隻眼に見合う薬をやろう」
さきほどの雷即死ぐすりを棚にしまい、小さな粉袋をわたす。
「それをひとつまみ振り掛ければ一日だけ人間の姿になれる。
有効に使うがよい」
「ありがとうございま――――」
す、を言い終わらないうちに視界が紅く染まる。
痛い、なんてかわいらしいものじゃない。
火で真っ赤に熱した棒でぐるぐるとかき回し
全身に稲妻の針を刺されたようだ。
「……そなたが右眼も差し出しにくる刻を愉しみにしておるぞ」
魔女の顔が歪にゆがんで。不気味な嗤い声が反響して。
そこからは、あまり覚えていない。
気がついたら狩人の家のソファに寝ていた。
どうやら血みどろで意識が朦朧としている中
ふらふらとこの辺りまでやってきたらしい。
彼の家とぼくの住処は五分くらいでいける距離しか離れていない。
帰巣本能おそるべし。
「それで、これか?薬か何かっつーのは」
「うん」
小袋を受け取り、紐を解いて空けると。
そこには金色の粉が入っていた。
十つまみあるかないかの、ごくわずかな量だった。
「けっ、しけてんなあ。
しっかしオマエの眼の色そっくりだなあ、この色」
たしかに。そう思うと、少し怖い。
ふーっと息をついてふりかけると。
しゃらららららららら~っと銀砂のような光に包まれて。
「うわあ、戻ってる!」
爪と毛皮の消えた掌を閉じて、開いて、また閉じて、とはしゃいでいると。
ふぁさ。
何がもふんとしたものに触れた。
ふぁさ……?
人間らしくない物体の触感に、首をひねる。
とんとん、と肩を叩いて狩人が鏡を差し出してきた。
受け取ってのぞきこむと。
「な、なんじゃこりゃあああああああああああああああああああああああ」
牙も爪も消えました。
目も黄昏色ではなく海のように澄んだ蒼になっています。
しかし白銀の頭のてっぺんには獣の耳が、お尻には尾が残っていたのです。
獣耳くんはショックでソファの毛布にくるまって
蛹になってしまいました。
「こらあ!てめえオレが看病して眼帯まで見繕ってやったっつーのに
冬眠たあいい度胸じゃねえか!」
毛布を引き剥がしにかかる狩人。
「無理ぃ無理ぃ、絶対むりいいいいいいいいいいいいい」
必死に抵抗する獣耳くん。
「せっかく人間の姿っぽくなったんだから行けよ!」
「やだやだ!だって、お爺さんでもないのに白髪頭の
獣耳男がしっぽユサユサしながら迫ってくるって恐怖じゃない?!
嫌われたくないよ!」
ぼくの素敵な金髪がああああああと絶叫する。
美しくなければ生きていてもしかたがないと闇の精霊を呼び出しはじめた
魔法使い並の嘆きぶりである。
王子の威厳?なにそれおいしいの?
「こんのヘタレ!
こんな腰抜けがオレの銃弾避けたとかマジありえないわっ」
うらあっと毛布を引き剥がし、ばさっと白い布を王子にかける。
暖かそうなフードつきのコートだった。
「それに耳としっぽ隠せばなんとかなんだろ?行け」
「え……」
驚いたように目を見開き。
ぼろぼろと涙を流しはじめた。
「おいおい、泣くこたねえだろ」
せっかくのイケメンが台無しじゃねえか、と背中をさする。
「ぼく、きみのことガサツで野蛮でデリカシーがなくて
三十路が近いのに彼女がいない寂しい奴で」
「おい」
「それに乱暴だし、おせっかいだし、ガサツだし
どうしようもないしガサツな奴だと思っていたけど
嬉しいよ……!」
「てめえ弾丸ブチ込んでやろーか」
笑顔だが堅く握った拳が禍々しい。
「ごごごごごごごめんなさい……」
「いーから行けよ」
「うん、ありがと!」
フードくんが勢いよく出ていく。
ばたん、とドアが閉まると狩人はふう、と息をついた。
「まさか第一王子サマとだったとはな……。
我が妹ながら、お目が高いぜ」
彼のつぶやきを聞いたのは
ぱちんと音と火花を散らして燃える暖炉の薪だけでした。
狩人の家の裏のひだまりに駆けていくと
そこには赤いずきんがひょこひょこしていました。
ぱきん、と小枝が折れる音で人影は顔をあげます。
少女が白い青年に向かって微笑みます。
そして。
ダーーーーーーーーーーーーーン‼︎
真冬だというのに、春がきたような、ほっこりとした笑顔で
黒光りする猟銃を青年に向けて
ぶっ放しました。
つづく