エルフの谷 快楽の街 進む先にあるは――
『さあ! 速く! 必ず追いつきます!』
その声を置き去りにし私は一人街道を駆け続けた。
気がつけば辺りは暗闇が広がり、月の明かりが強かに草原を照らす。
どれほど走り続けただろう。
私の足は既に棒になっている。
私を一人逃がすために果敢に戦場に飛び込んだ彼。
彼の事は心配で他ならなかった。
だが、彼は私にひたすら走れと言った。
ならば、生死の定かではない彼のために一秒でも速くエルフの谷へと向かわなければならない。
夜の街道を歩く、すれ違う人もなし。
どれだけ歩いただろうか?
延々と続く大地、それが私に否応無しに諦観を感じさせる。
ガサリ、と茂みで何かが動く音がした。
目を向けるがそこには何もいない。
途端に吹く、そよ風。
草原はその風を受け、体全体を使いオカリナを奏でる。
清澄な空気、その中で淀みが一つ二つ、三つ、四つ。
それらは一瞬にして数を増す。
それは、冗談の様な光景だった。
茂みの奥、大草原の至る所から、身の丈が2メートルを越すほどの獣が現れる。
獰猛な犬歯。暗く赤色に輝く眼。
犬のような外見をしたそれら。
それらが一心に私の肌を舐めるようにして睨む。
狼、その単語がごく自然に頭に浮かんだ。
それらは、一際凶暴な雄叫びを上げ。
私の喉元へと食いつこうと飛び掛かってくる。
元より体力など底を尽きた。
私はそれらに押し倒される形で地面に倒れ臥す。
獰猛な犬歯、糸を引き私の首筋をなぞる涎。
飛び散る飛沫、喉をなぞる赤色。
しかし、それは私の体から流れ出たものではなかった。
狼の頭部は最初から、そこに何もなかったかのように消失した。
肉が落ちる音。見ればそこには犬の被り物に棒を刺したオブジェが置いてある。
周りの空間の赤色が僅かに揺らめいた、そして上から飛来する一本の鈴を付けた弓矢。
それは地面へと刺さると、耳がつんざくような高音を撒き散らす。
周りの赤色は一瞬にして消え去った。
「大丈夫ですか?」
そう言われ振り向く。
僅かに緑がかった髪、透き通るような緑色の瞳。
そして、特徴的な長く尖った耳、そこに絵本で見た森の住人エルフを見た。
その青年の名前はシャルと言う名前らしい。
僅かに緑がかった髪とあどけない顔立ち。
名前の雰囲気もあって最初は女の子とさえ思ったほどだった。
「危ないところをありがとう」
何度言っても言い尽くせない。
あの時シャルが来て、狼を追い払ってくれなければ、私の命は無かっただろう。
しかし、そうなるとシャルはこんな狼が徘徊するような時間に何をしていたのだろうか?
「夜狩りです、この時間は狼のような凶暴な野生動物が徘徊する時間なので毎日狩りに出てるんです」
「じゃ、じゃあこの街道の平和を守る勇敢な戦士とかなんとか――」
「え……いや、ただ単に食べるためですけど」
ああ……成程そうでしたか。
だからさっきからズルズルと狼引き摺ってるのか。
何となくエルフは果物とか野菜だとかしか食べないと自分勝手なイメージが有ったから少し意外だった。
「……重い? それ?」
聞かなくても解る。
なんたって大きさは私の倍ほどもある。
重くないはずがなかった。
シャルは狼の脇腹? を掴んでズルズルと引き摺っている。
その真っ白な服が返り血で真っ赤に染まっていた。
う~ん、なんだかなぁ……。
そういう訳で私は狼の足の部分を掴み持ち上げるが。
「う~ん、重い」
「あはは、なんたって群れのボスですからね」
聞けばここら一帯の狼は皆集団で狩りをし、捕らえた獲物は群れのボスが最初に口にするらしい。
そうして四苦八苦するうちに、深い大樹の森エルフの谷と呼ばれる王国へと辿り着いた。
静かだった。
本当にそれに尽きる。
聞こえるのは風に揺られ囁く木の葉の音。
シャルは用事があるからと言って私をここに案内した後にオオカミをズルズルと引き摺って去って行った。
目の前にあるのは古風な一軒家が一つ。
シャルが言うにはエルフの谷に来たものは必ず一度はここで村長に会わなければならないらしい。
『大丈夫、村長さんは優しい人だから』
と、シャルは言っていたが。
コンコン、とノックをする。
しかし、待てども中から人の気配はしない。
「留守かな?」
「どいとくれ入れないじゃないか」
後ろから唐突に声が聞こえ驚き飛びずさると、そこにはやはりエルフが居た。
年は、人間いうところの60代から50代程だろうか。
しかし、腰は曲がっていれどその姿に老いの翳りは見られない。
「ん? アンタ初めて見る顔だね」
名前は? と続ける彼女。
しかし、どうしたものか。
ルシには無闇に名前や顔を明かさないようにと釘を刺されている。
「え……と、パックって言いま――」
「うん、嘘だね、嘘をつく時はばれない嘘言いな」
彼女に促され家へと入る。
中の装飾は家具は主に木で設えられ何となく暖かみを感じた。
「で? アンタは何しにここに来たんさ?」
彼女は唐突にそう話を振った。
色々考えた結果。
人を探している事。そしてその人がここに立ち寄ったという事。そしてその人を探している道中に襲われた事。
それらを簡潔に伝えた。
「事情は解った、けどアンタまだなんか隠してるね」
「すみません……」
彼女は一度軽く鼻をならした。
「まあいいさね、尤もアンタがここの里に入れたっていうだけで全く問題は無いんだがね」
「どういうことですか?」
聞けばこの里には一本の大きな御神木が生えており、それが凶暴な野生動物や魔物からここを守っていてくれるらしい。
それには悪い心を持った人も含まれているとの事だ。
「まあアンタの言うユーシって言う奴は来てないね、間違いなく」
「そうですか……」
「なぁ、アンタどうしてアンタはソイツの事を探してんのさ?」
何故、結局のところ私には大した理由は無い。
心の中に蟠るもやもやを消してしまいたい、だけど忘れるという形で消してしまいたくはない。
そして何よりも私は彼に会いたい。
今は何も覚えてはいないがきっと彼に会えば。
「成程ね、だけどそれは辛い道だよ」
「解ってます、だけどもうここまで来ちゃいましたから」
そう言って笑って返す。
彼女は僅かに微笑して何も言いはしなかった。
「好きに過ごしな、ここの裏手の道から外に出られるゆっくりしていきたいならそれでもいいが」
一つ会釈をしてその場を立つ。
そしてドアの一歩手前、そこで振り向く。
「すいません叔母様、今更ですが貴方のお名前は?」
「誰が叔母様か、メイルって呼びな」
「じゃあメイル叔母さん、色々ありがとうございました、私の名前は沙紀って言います」
私は、朝陽が照らす世界へと足を踏み出した。
旅立つ前にシャルに挨拶をしようと思い、木漏れ日が覗く村の中を歩く。
こうして見ると本当に絵本の世界に迷い込んだ様だった。
辺りを見渡せば木造の一軒家や、木をくり抜いて作った家。
道行く人はハッとするほど目鼻が整い。
行き交う人々と談笑を交わしたりしている。
シャルは果たして何処だろうか?
そう思いながら歩いていく内にこの町の広場の様な所に着いた。
そこの一帯にはお祭りの時にある出店の様にして各々自慢の商品を売り買いしている。
ざっと三十人ほどの雑踏の中彼は居た。
「おっさん! 良いじゃんかもうちょい高く買ってくれても!」
「バッキャロー! シャル! 相場の二倍で買い取るって言ってんだぞ! それをもう一声で三倍だぁ? 無理に決まってるだろ!」
何度目かのエルフに対する認識を改める時だった。
いや、まぁ……皆彼と一緒だとは限らないと思うんだけど……。
「……どうしたの? シャル」
「うぉ!? ああ君か、いやさっきの狼なんだけどぉ、このバカ店主がケチィのなんの」
シャルはこちらに向き直りその店主を指さし深々と溜息をつく。
店主はさも困った風な顔をしてこちらも溜息を洩らした。
「シャル、別にいいんじゃない? 結構悪くない額なんでしょ?」
聞くとシャルは妙に困った風な顔になった。
シャルって絶対隠し事苦手だな。
「まぁ……そうなんだけど」
シャルはブツブツと小言を漏らしている。
結果的に根負けしたのは店主の方だった。
「シャル、お前も男になったなぁ」
店主は微笑を浮かべ、シャルはむぅと不機嫌そうな顔を浮かべた。
交渉の結果と彼らの表情、それは全く正反対だった。
「ちょっと、そこいら回らない?」
そう言ったシャルについて行く。
様々な煌びやかな服を売っている店。
見た事もないお肉を売っている店。
そのお肉を調理して客に売る店。
シャルに食べて食べてと言われて食べる。
おいしい、と感想をこぼした後シャルに芋虫の肉だよ、と冗談を言われた時は、思わずシャルの顔面をグーで砕きそうだった。
一通り回り太陽も真上に差し掛かった頃、シャルは私をベンチに座らせ一人何処かに走って行った。
本当に楽しい時間だった。
この世界に来てからまず間違いなく最も安らいだ時間だった。
だけど、それももう終わり。
いい加減また旅に出なくてはならない。
きっとルシも待っている。
私のこの心の中のモヤモヤも日を追う毎に小さくなっている様な錯覚を感じる。
「お待たせ、じゃあもう、行く?」
それに頷き、私は光が差し込む道を歩く。
道中、どちらも交わす言葉は無かった。
道行く人に会釈を交わしつつ、その道の終わりが見えてきた。
森を抜けるとそこは草原生い茂る街道だった。
「この道を真っ直ぐ進めば炭鉱の町に着きます。」
目を凝らせば山の稜線の手前にそれらしき町が見える。
「本当にありがとう、今日は本当に楽しかった」
フードを被ったまま言うのは失礼かもと思ったが、ルシに無闇にフードを脱ぐのは厳禁だと言い含められている。
だから精一杯の誠意を込めてそう言った。
シャルは破顔した。
「どういたしまして、気が向いたらまた来てよ、また案内するから」
うん、とそう心にも無い事を無責任に言う。
果たしてその時が訪れるだろうか。
襲撃者の事を思い出す。
またあのような事に遭って、生き延びる事が出来るだろうか?
ここでこうして彼に無責任に言うのは残酷ではないだろうか?
その気持ちをグッと押し殺し私は口元に精一杯の笑顔を浮かべた。
シャルは私の素振りに気付いた風もなく、ポケットからゴソゴソと紙包みを取り出した。
途端にシャルは、その紙包みをこちらに差し出し――? シャルはどうして顔を赤らめてるんだろうか?
「これ……」
と言われ差し出された紙包みを開ける。
中に入っていたのは。
「綺麗……」
そこにあったのは緑色の水晶が特徴的なネックレスだった。
シャルは顔を赤らめてこちらをチラチラと見ている。
「内の村の特産品なんだ、それ、何でも魔を祓うだとかどうとか」
「あ、ありがと!」
早速着けようと思いフードに手を掛ける。
しかし、ルシの言いつけがあり思わず手が止まる。
シャルは微笑を浮かべ、何を思ったのか私の後ろに回り。
フードを降ろした。
「じっとしてて」
って、シャルさん! 私別につけ方解らなかったわけじゃ!
私の頬は火のように熱くなる。
心臓は早鐘を打ち。
石の様に固まった。
「はい、お終い」
時間にして数十秒ほどだった。
シャルは私にフードを被り直らせ再び私の前に戻った。
「あはは、顔真っ赤」
うがー! とシャルに問い詰めたかったがパクパクと声が出なかった。
「それじゃ、本当にお別れだね」
「うん、それじゃあ」
しかし、その時、木々を揺らすほど大きな突風が吹いた。
思わず立って居られないほどの強風。
「そんな……」
その声はシャルから漏れたものだった。
シャルは私の目を見据え信じられないと言った感じに呆然としている。
その時、先程の強風でフードが脱げていた事に気付いた。
「シャル?」
思わず問いかける私にシャルはハッと我に返り、私に憐れむような視線を投げかけた。
「そういう事だったんですか……貴女の名前を聞かせてもらえますか?」
「沙紀……」
先ほどとは打って変わって神妙そうに話すシャル。
「沙紀、貴女の行く末に待つのは決して絵本にある様な結末は望めない、今なら貴女は真っ直ぐに引き返しこの村で楽しく暮らす事も出来る、貴女はそれでも前へ進みますか?」
何時か会った問答。
だけど私の決意は変わらない。
「そうですか……それでこそ貴女でしょうからね」
シャルは残念そうに言い。
私を見送った後、森の中へと消えていった。
ドドドドドドドドドドドド。
煤けた臭いに混じるは汗の匂い。
見渡す限り人、人、人。
あまりの人口密度の高さに思わず催しかける。
「沙紀殿、大丈夫ですか?」
その中でもルシは特に問題も無さそうに歩く。
三時間程掛けてこの炭鉱の町マテナへと辿り着くと、町の正面頑丈そうな鉄扉の前でルシは待
っていた。
ドドドドドドドドドドドド。
聞けばルシはあの後、何とか襲ってきた人を撃退したらしい。
「でも、それだったら迎えに来てくれればよかったのに」
「いや、その……場所が場所でしたんで……」
灰色の町を歩く、石やセメントの様な建物の中では、クーラーをガンガンに利かしテレビを見るまるでリーマンの様な――。
「ちょっと待って、ルシ」
ルシは、頭に疑問符を付けて向き直る。
前々から思ってたんだけど、とうとう聞かずにはいられない。
これは、私の漠然とした疑問と。
私のファンタジーに対するイメージがかかっている。
「ねぇ、ルシ……ここって言ってみればファンタジーの世界なのよね?」
「……? 恐らく近代日本ではそうでしょう」
ドドドドドドドドドドドド。
だったらどうして……
「だったらどうして、石掘り出すのに重機使ってるのよ!」
周りの視線が一斉に私に向かう。
ルシは私の背を押し、周りに引き攣った愛想笑いを浮かべ路地裏へと逃げ込んだ。
「沙紀殿! 大声を出すものではありません!」
「うるさ~い! 何なのよあのショベルカーやらブルドーザーみたいなの! 今だから言うけど、私この世界に来てからファンタジーに対する認識が狂いっぱなしなのよ!」
ドドドドドドドドドドドド。
ああ、もう、うるさい!
何だって髭を蓄えた、まるでサンタみたいな人がブルドーザーみたいなのに跨ってレバーをガコンガコンやってるのよ!
「そりゃ、貴女の世界のブルドーザー? だって作業を最適に進める為にあの形が取られているんでしょう。する事が同じなら形状が似通るのは自明の理ではありませんか」
なッ……!
もの凄い正論を見た、一片の綻びも無い完璧な回答。
最早何も言える事は無い。
「ああ……こういうのなんて言うんだっけ? 何ちゃら崩壊」
ルシの返答で今確信した。
ここ私の知ってる剣や魔法で戦い、モンスターと戦うファンタジーじゃないわ。
この調子では戦闘機が出て来ても全く不思議ではない。
「さあ、沙紀殿壁に寄りかかっていないで」
壁に寄りかかりかける肩に、ルシは手を乗せ、しゃんと立たせる。
「それで? ルシ次は何処行くの?」
空腹も相まって眩暈をしかける。
ルシは妙に得意そうな顔をしている。
これが俗に言うドヤ顔というやつだろうか。
「あまり、私を甘く見ないで下さいよ~沙紀殿と離れている間に情報収集は完璧です」
ルシが何事か言うが大半が自身の自慢話のためスルーした。
打ち解けて来たからだろうか?
ルシの素が段々出て来ている様な。
「――と言う訳で、次の目的地は娯楽の町パリノです」
山を越え谷を越え、川を立っとび村にGO。
道中、何か妙な獣の集団や、夜盗の数々。
紆余曲折あり何とか次の目的地パリノへと到着した。
絢爛豪華な門構え、街中では光が踊り、正しく快楽の坩堝。
夜の薄闇を完全に跳ね除ける、言わば輝きがこの街に溢れていた。
「ここが娯楽の街パリノです」
ルシはそう言うとずんずん街中へと足を伸ばしていく。
道行く人は教科書で見た中世のお姫様や王様の様な恰好。
所々に掛けられている宝飾品が目に悪い。
対して此方は長旅で薄汚れたフード付きマント。
「ねぇルシ、浮いてない? 私たち?」
「浮いてますねぇ……プカプカと」
ルシは歩き、私はそれについていく。
ルシは一しきり歩き大通りから少し外れた小さなホテルへと足を伸ばした。
簡単にチェックインを済ませ、部屋へと辿り着く。
ここからでも大通りの賑わいは伝わってくる。
時刻は十一時、早朝に起き日が沈むまで歩き通し。
そんな生活を続けて来ただけに、こうしてちゃんとした所でぐっすり休めるのは素直に嬉しかった。
「沙紀殿、それでは私は街へと情報収集へと向かいますので」
しかし、ルシは適当に荷物を下ろしてドアへと歩んでいく。
「情報収集? 何処に?」
しかし、ルシは答えることは無く。
すぐに戻りますとだけ伝えホテルを出ていった。
服を脱ぎシャワールームへと入る。
幸い、現実世界の物とほぼ同じものだったので使用に不便は無かった。
シャワールームから出て寝巻に着替える。
火照った体を夜風で涼ませる為窓を開け放つ。
既に時刻は0を跨いでいた。
ルシは帰ってこない。
思えば初めてルシと共にしない夜。
ただ広いだけの室内。
その中で端っこに座る私。
急速にこの世界でお前はただ一人だけなのだと自覚させられる。
洗濯しておいたローブは既に乾いている。
私はローブを羽織り、フードを被る。
ルシを捜しに行こう。
時刻は既に二時を越している。
「とはいえ……」
皆目見当もつかない。
大通りに出たところでルシの姿は無い。
尤も居たところで何十人と行き交う人の中から見つけられるとは思えないが。
適当に歩きルシの姿を探すが。
やはり見つからない。
あるのは煌びやかに光るパリノの街。
仕方ない諦めようこうして適当に歩いて迷いでもすれば、それこそお仕舞だ。
そこから踵を返す途中、大通りから外れた暗闇が広がる道の奥に見知った顔を見た。
ルシだった、此処まで旅を共にした忘れる筈のないこの世界で最も信用できる人。
しかし、頭から生えた角、口元に浮かぶ獰猛な犬歯。
その姿に、あの時私を襲った狼を連想させた。
暗い路地裏へと入る。
大通りとは一変、その世界はとても暗い。
道にはゴミが散らばり。
地面に寝そべる浮浪者。
腕へと何か訳の解らない薬を注射する人。
光が照らす大通りとは別に、暗い闇を湛えるパリノの闇がそこに広がっていた。
走り、ルシを追うが何処にも居ない。
足が縺れ地面へと投げ出される。
追おうとするが私の背後に佇む人影が二つ。
私の体は無理矢理に起され、硬い壁面へと叩き付けられる。
思わず噎せた口を、堅いゴツゴツとした手に抑えつけられる。
「だ、誰?」
聞くが当然答えない、返ってくるのは下卑た笑い声。
月の光すら差さないこの路地裏では相手の顔すら解らない。
「おいおい、もう少し丁寧にやってやれよ、これからのお客様なんだし」
傍らに居た男はもう一人の私を抑える男にそう告げた。
その男はポケットを漁り先端がキラリと光る注射器をもう一人の男に渡す。
その注射器は私の腕へと段々近づいていく。
麻薬、その単語が頭に浮かんだ。
しかし、その前に暗い路地裏に一筋の光が迷い込んだ。
映し出される男の顔。
思わず悲鳴を上げる所だった。
男の顔には無数の切り傷や火傷の跡。
しかし、それに匹敵するほどの人間味がその男の目から失せていた。
そして、その男の目が困惑と恐怖に曇っていた。
「なんで……どうしてお前が」
男は数歩後退り、私は堅い壁面からズルズルと離された。
「魔女が……どうして貴様まだ生きて……」
気が付けば先程の衝撃でフードは外れていた。
「魔女が! 十三代目を死に追いやり、オレ達を破滅に追いやろうとしておきながら、未だのうのうと生きていたかッ!」
男の懐からギラリと光るナイフが出てくる。
恐怖と怒りに震える手が振り下ろされ、そのナイフは私の胸を裂いた。
崩れ落ちる体、胸から赤く暖かい液体が私を包んでいく。
吠える男、その顔を狂笑に歪む。
思考は支離滅裂になり、視界は霞む。
不思議と痛みは無かった、目は次第に閉じていく。
「沙紀!」
聞き慣れた声がした。
黒い影を倒し、現れたルシ。
「沙紀! どうか意識をしっかりと!」
ルシは必死に私の体を起こしてそう告げる。
心配しないで、そう告げようとするも口からは赤い血しか出ない。
「immundum munda tuo facit eam」
ぼう、と体を光が包む。
不思議と体が心地よい暖かさに包まれていく。
思考も定まっていき、胸の出血も止まった。
「ルシ……」
答えるとルシは安堵の表情を浮かべた。
見れば道端には多くの黒服の男達、話す内容から警察の様だった。
内容からナイフを突き立てた男は捕まったものの思考が支離滅裂で話にならないらしい。
体感的には一瞬だったがもしかすればあれから何時間も立っているのかもしれない。
「え~と、貴方の御名前は?」
黒服の男は此方へと歩み手を差し出す。
私はその手を思い切り振り払った。
何故かは解らない、体中ガタガタと震え目尻には涙が溜まっていた。
その男の人は、その手を引っ込め申し訳無さそうに一礼した。
「……彼女の後見人のルイ・ソルシアというものです、どうか話は私に」
そう言うと、その男性はルシを引き連れ去っていく。
私はただ一人黒服の男達に囲まれ一人涙を流した。
ストック出し尽くしました
更新は暫くかかります