旅立ちは晴天なれど、先に待は暁の荒野なり
※この小説は某サイトで投稿されているものです
空中をプカプカと漂う感覚。
私の体は光の中へと入り僅かな浮遊感に襲われること数秒。
青い景色、高速で流れていく光線、それらは瞬く間に過ぎ去り、そして―――
「んぎゃ!?」
私は思い切り大草原の上に尻餅を付いた。
お尻を擦って緩やかに立ち上がる。
清浄な空気、見渡す限りの平原。
現代日本では決して見られない光景がそこに広がっている。
「沙紀殿」
後ろから私を呼ぶ声がする。
その声は先程散々頭の中に響いた声に間違いはなかった。
その声に答え振り向くと――
「え~と……どなた?」
「先程の白蛇ですよ、名はルシと申します」
目の前に立っていたのは果たして十九かそこらの好青年といった男の人だった。
身長はかなりの長身で百九十程、ブロンズの髪はバッサリと切り揃えられ、肌は透き通るほど真っ白で美しい。
顔立ちは端正と評するのが最も適当だろう。
「ん? ああ、先程の姿ですか、申し訳ありません。そちらの世界では大気の魔力の密度が低く、ああして自分よりも小さな生命に化けていなければ忽ち魔力が枯渇してしまうのです」
これが本来の姿です。
と、ルシは続けた。
魔力、確かとある某ノベルゲームによれば、魔力の種類には大別して二つの種類があり。
自然界にある魔力をマナ。人間が自前で生産できる魔力をオド。
と表現していたが、そんなところだろうか?
「まあその辺は置いといて沙紀殿立ち話もなんです、ともかく落ち着いて話の出来る場所を探しましょう」
再びルシは私の思考を読んで先を続ける。
正直なところ自分の思考を読まれるのにいい気はしないが、何れにせよルシの言う通りどこか落ち着いて話の出来る場所を探すべきだろう。
「解っていただけたようで結構、では――」
ルシはそう言うと衣服に吊るされてあった小袋の中から一つ取り出し――
ちょっと待って、まさか……まさか、あれは!
「……沙紀殿、何ですか? キメ○の翼って」
「な、何でもないです!」
ルシは一瞬こちらをジトっとした目で見ると、ハァ……と一度溜め息を零してそれを天高く放り上げた。
同時にルシは私の手を握る。
その瞬間私とルシの体は宙に浮き、天高く飛翔すると、そのまま弾丸の様なスピードで眼下の大草原を眺めながら飛行していく。
「そういえばルシ、行くって言っても何処に行くの?」
「この地で最も栄え、そして最も人が集まる都市グライドシュタットです」
僅かな間の飛翔。
眼下には緑溢れる草原や、切立った岩山。
青い海や白い雪原を通り過ぎ。
視界の奥にそれは見えた。
「ルシ、あれが……」
「そうです、あれがこの地最大の都市グライドシュタットです」
それはまさに城と呼ぶに相応しい様相だった。
四方を高い壁によって円環状に囲み、その長さは数十キロとある。
その内部では、装飾を凝らした建物が幾つもあり。
見れば市場であろうか、学校のグラウンド程もある広場では、様々な出店が立ち並び活気で満ち溢れている。
視界は僅かずつ地面へと下がり、私達は城を囲む城壁の外、緑色の地面へと降り立った。
「沙紀殿、では入るとしましょうか」
ルシは私の手を引き城門をくぐる。
「うわぁ……」
思わず溜息しか出せなかった。
城門をくぐるその道には、人で溢れかえ出店もまた広場の数倍もある。
「そうでした、沙紀殿」
ルシはクルリとこちらを向くと、指を僅かに虚空へと走らせた。
何をやっているの? と聞く暇もなく変化は訪れた。
まず私の体が朧に光りだし、それは全身を包む。
そうして、一際強く輝いた後にそれが消えると、私の服は先程まで着ていた学生服とは全く違った衣服を着ていた。
黒を基調とした服に、フードの付いたローブを羽織ったその姿はまるで魔法使いの様で少し恥ずかしい。
「沙紀殿、これからみだりに素顔を晒さないようして頂きたい」
ルシはフードを私の頭に掛け、そう念を押してきた。
「どうして? 何か問題があるの?」
「……今詳しくは言えませんが、この世界では貴女の顔はひどく目立つとだけ言っておきましょう」
ルシはそれだけ言うと踵を返し歩いて行く。
周りを見てみる。
が、道行く人はファンタジーっぽい服を着ている以外は特に異常は見られない。
ましてや、私の顔が格別にブサイクでも美人という訳でも無い。
「沙紀殿?」
呼ばれ私はルシの元へと駆け出していく。
しかし、一瞬の視線を感じ後ろを向く。
だが、そこには道行く人々しかいない。
気のせいか、そう自分を納得させ、私はルシの後を追った。
薄暗く豪華な調度品で設えられた部屋。
その部屋の静寂を破る音。
ジリリリリと鳴る電話。
私は受話器を取り、そして耳に当てる。
聞こえてきたのは男とも女とも判断が付かない人間の声。
生憎とその声には聞き覚えがある。
「どちら様ですか?」
わざとらしくそう聞くと電話の主はさも不愉快そうに鼻を鳴らした。
『仕事を頼みたい』
今度はこちらが鼻で笑う番だった。
「へぇ、こっちの事を散々潰そうとしてくれた癖に、よくもまあそんな事を言えるもんだ」
この人でなしめ。
と、心の中で呟く。電話の主は特に何も思っていないのか、勝手に標的の容貌と報酬を提示してさっさと電話を切ってしまった。
数分の後に白い羊皮紙に幾何学的な模様が浮かび上がり、それは形を変えていく。
羊皮紙に書かれていたのは一人の少女だった。
まだ二十にも満たない少女。
フードを被り誰かを探しているかの様なその眼差しには一切に邪な感情が読み取れない。
しかし、仕事は仕事。
アイツに稼業を潰されてからというものの、最近は仕事がめっきり減ってしまった。
当然収入はほぼゼロ。
仕事を選り好みしている場合ではない。
「さて、じゃあ一仕事やってきますかね」
傍らに置かれた愛用の短剣、その他諸々を七つ道具を準備する。
外を出ると天気は清々しい程の快晴だった。
きっと一週間程はこの天気が続く事だろう。
その何れの日にかはきっとこの手を真っ赤に濡らす事になるだろうが。
「あそこに入りましょうか、沙紀殿」
ルシが指したのは古い喫茶店の様な店舗。
大通りから外れ人通りも疎らなこの場所。
中に入ると僅かに埃の匂いが鼻孔をつき、この店の店主の程度の程が窺い知れる。
「ねぇルシ……この店」
見るとルシもまた非常に微妙な表情をして奥へと進む。
「たまには掃除でもしたらどうだ? アルラ」
カウンターの向こうで優雅に煙草を吹かして居たのは若い、髪が僅かに緑がかった女性だった。
アルラと呼ばれた女性はさも不機嫌そうにこちらを見て、ルシと傍らに立つ私を眺め不機嫌そうに「いらっしゃい」と言った
「別にこれでも商売自体は成り立ってるんだから良いでしょ、別に」
アルラは「何にする?」と言い、ルシはこちらを僅かに見て「コーヒー」と言い、私もそれに倣った。
この世界でもコーヒーって有るんだ……。
「それで、何か変わった事は?」
苦くもどこか甘さを感じさせる不思議な感触のコーヒーに舌鼓を打ちつつルシはアルラへと向けてそう言った。
「これと言っては、あの一件以来この世界は奔放の限りだよ……」
アルラは眉間に皺を寄せ、そう言った。
あの一件って? そう聞こうとするがルシは此方を目だけで往なした。
「それで……アルラ、彼は?」
「ん? ああ十三代目か」
その時背後の入り口から数人のガラの悪い男達が店内へと入ってきた。
「悪い、常連さんだ」
アルラは僅かに溜息を吐き、男達の元へと向かう。
「沙紀殿」
ルシは此方を真っ直ぐ見据える。
「沙紀殿、申し訳無いが可能な限りこの場では言葉を洩らさないで欲しい」
ルシのその瞳には一切の悪意の翳りも見られない。
何れにせよこの世界において今信じられる人間は彼しかいない。
私はそれに首を縦に振った。
「悪いな、話を中断させて」
アルラは此方へと戻ってきた。
見れば男達は昼間から酒を浴びる様に飲んでいる。
「アルラ、それで彼は」
「ああ、一番最近の情報はどうにも彼はエルフの谷へと向かったらしい、今果たして何処に居るのやら」
「そうか……」とルシは一言だけ言って、カウンターに銀で出来たコインを数枚置き、その場を立ち去る。
アルラに僅かに会釈をし、店内を出る。
出る間際、男達の放った、「十三代目が死んだ」という一言が耳に深く残った。
私とルシは黄金に輝く都を後にした。
城門を潜ると、そこは大草原。
先程の城下町との装いとは真逆の視界。
喧噪が満ち溢れる空間から静寂に包まれる大自然の中。
街道に沿い私とルシは何を語るでもなく進む。
時折すれ違う馬車に会釈をしつつ、先に口を開いたのはルシの方であった。
「沙紀殿、彼の事は思い出せましたかな?」
ルシはこちらへと語りかけてくる。
相変わらずその透き通る様な瞳には一切の陰りが無い。
「あまり……」
胸に手を当て心に語り掛ける。
何か大事な事を忘れているのは解る。
黒上 裕士。
私の心を揺さぶる名前。
会った事は無い、しかし懐かしい名前。
「ねぇ……ルシ、どうして彼はここに来たのかな?」
そう言うと、ルシは顔を僅かに曇らせた。
僅かな陰り、考え込むようなその仕草。
ルシは僅かな逡巡の内にこちらを真直ぐに見据えた。
「恐らく沙紀殿と同じ手段、私達の世界の住人との接触、それによって彼はこの世界へと迷い込んだのだと思われます」
ルシは此方に向き真直ぐにそう告げた。
鈍感な私でも解る。
明らかにルシは何かを隠している。
「ルシ……」
私が尋ねるとルシは申し訳無さそうに顔を伏せた。
「沙紀殿、貴女がどうして彼の事を忘れているか、教えてはいませんでしたよね?」
ルシは躊躇いがちにそう言った。
私は縦に頷いた。
「この世界と沙紀殿が住んでいた世界、それらは光と闇、陰と陽の関係なのですよ」
光と闇? 陰と陽? 頭に疑問符を浮かべルシを見る。
ルシは一瞬考えた後にジェスチャーを交え説明を続ける。
「陰と陽、決して交わる事は無く、決して一つだけでは存在しない、この世界を陽とすれば沙紀殿が住んでいた世界は陰、陰の空間から何かしら陽の空間へと放るとそれは形を成しその意味が解る、ですが陰である沙紀殿の世界ではそれが果たして何なのかも解らず、陽へと持ち去られた事すら気づけないのです」
……はっきり言おう。
ルシは必死に身振り手振りで説明しているがまるでさっぱり解らない。
そもそも、そのジェスチャーは何なのだろう?
ジェスチャーは他人に解りやすく説明する為に有るのだと思っていたが、まさか一層解りにくくなる事もあるとは……。
「つまり、明るい部屋から何かを持ち出したら直ぐにそれと解るけど、真っ暗な暗室から何かが無くなってもそれに中々気づけないって事?」
「そう! それ!」
ルシはビシっと指をさした。
「でも、それじゃあ説明に成ってなくない? 結局私が彼の事を忘れている理由が解らないんだけど?」
「……解りませんか? 暗い暗室から何かを持ち出してそれに貴女が気づいても、世界はそれを許さない、その暗室全体がそれを許さないのです」
つまりはこの世界に来た瞬間、あの元の世界では一瞬にして私が居たという形跡は全力で世界そのものが抹消にかかる、そういう訳か。
ルシは「ご名答」とだけ告げた。
「ルシ……それで彼は?」
「エルフの谷と呼ばれる不浄を寄せ付けぬ聖地、そこに彼は――沙紀!」
ルシはそう叫ぶと私の体を掴み、地面へと押し倒す。
あまりの事態に思考がついていかない。
ルシに対する文句も彼の背に走る裂傷を見た瞬間押し黙った。
地面に突き刺さる一本の安物のナイフ、それを見た瞬間今がどれ程危険なのかが一瞬で理解出来た。
「大丈夫ですか! 沙紀!」
体を起こし、此方に問いかけるルシ。
背中に走る裂傷からは止めど無く朱い鮮血が流れ出ている。
「沙紀殿走ってください! ここから十数キロもすればエルフの森へと着きます どうかそこまで決して振り返らず!」
ルシの右手が朧に輝きだす。
彼の手にはいつの間にか美しい装飾で彩られた一振りの長剣が握られていた。
「さあ! 速く! 必ず追いつきます!」
私はルシに押され、ルシは見えぬ襲撃者へと駆けて行く。
私は一目散に其処から駆け出した。
グライドシュタット下町にある小汚いホテル。
名をメーテルと呼ぶそのホテルにルシは宿をとっていた。
沙紀と離れたあの後、結局襲撃者の詳細はようとして知れなかった。
草原を駆け回り、こうしてグライドシュタットに戻り情報を漁ってみても何一つ解らず時間をただ浪費していく。
結局無駄と知った後は、こうして出来る限り目立つように、この人目につかない安宿をとったわけだ。
襲撃者に全く心当たりは無いが大方その動機は想像がつく。
狙い澄ました、沙紀への投剣。
その一閃で奴の目的が解れば対処のしようは幾らでも有る。
十中八九、襲撃者の目的は沙紀の抹殺。
それも、投げナイフを選ぶあたり、かなり自らの仕事に対して自信があり、かつ、かなりの錬度があり、そして単独で行動していると思われる。
あの時、仮に敵が二人以上であるならば、万全を期し沙紀へと十字砲火を浴びせるか、オレと沙紀に同時に仕掛けたはずだからである。
時計を見れば時刻は二十一時。
ギリギリだったが何とか間に合った。
オレは埃っぽい安宿を後にする。
姿こそ見えないが後ろに人間の気配がある。
その気配は一定の距離を保ち、付かず離れずに後を追ってくる。
敵も此方が魔術で怪我を治癒した事など承知だろう、恐らくオレが棺桶に着くまでは決して襲撃はしてこない筈。
だが、解せない事も幾つか有る。
オレはどうしてあの裂傷を負った?
紙一重ではあるが決して躱せないタイミングでは無かった。
更に言えば何故奴はその時のナイフを回収した?
考えれば考えるほど泥沼に落ちていく。
何れにせよどれだけ思索を巡らそうとも解らない。
今は目の前の脅威を撃滅するのみ。
暗く染まるグライドシュタット。
努めて暗い路地を歩いてきたが、その狭苦しい空間が突然晴れ。
目の前には延々と伸びていく、線路と冗談の様に大きい鉄の塊が有った。
大陸横断鉄道アレクサンダー、これならば沙紀へと追いつくことも可能だろう。
車長へと会釈をして豪華な車内へと入る。
先程の安宿のベットとは比べるべくも無いソファに腰掛け発車を待つ。
車内には誰一人として乗客は居ない。
当然である、座席を全て買い取ったのだから。
僅かな後に、列車はゆっくりと動き始めた、その速度は段々と上り駅を見ると駅の端にはベッタリと朱い赤色が続いている。
「宛ら鉄の棺桶ってね、態々逃げ場の無い列車に乗るなんてアンタって馬鹿なの?」
黄色い女の声、車長室の方からゆっくりと総身を黒衣に包んだ黒髪の女が現れた。
女は隠すでも無く、右手にベッタリと血の付いたナイフを引っ提げている。
見ればもう片方の手にもナイフが提げられている。
列車はとうに最高速度、正しく脱出不能の鉄の棺桶である。
「さて、アンタを殺して仕事は終了、報酬貰って隠居生活ってね」
「終了? 標的はオレじゃなく沙紀の方じゃないか?」
「ご明察、確かにアンタは標的じゃ無い、だけどね、あの子を殺すのは別に首筋にナイフ当てて掻っ切るだけじゃ無いんだよ、アンタを殺せばあの子はこの世界での足掛かりを失う。
その後は、ご想像にお任せってわけ」
御名答、闇に生きる襲撃者はエルフの谷には決して入れはしない。
ならば、彼女を案内する従者を殺せば話は速い。
彼女はどことも知れず野垂れ死ぬ。
揺れる車内、オレはゆっくりとソファから立つ。
手には長剣、奴のナイフはオレの長剣に比べ明らかに小さく短い。
長剣の一閃をあのちんけなナイフで受け切るのは不可能だろう。
「しかし、アンタもあれだねぇ、なんだい? 自分の目的の為なら犠牲は惜しまないって性質? 私が殺した哀れな人間に何も思うところは無いの? アンタって人でなしだねぇ」
女はケタケタと笑う。
それを無視し徐々に距離を詰める。
女は油断しているがこの程度の距離であれば一息に踏み込める、その後は奴の体を袈裟斬りに切り伏せるのみ。
「あははは、そっか」
女は相変わらずケタケタと笑い油断を辺りに振り撒いている。
「じゃあ、そのまま立ってなさい、きっと苦しむ事はないだろうから」
女は左の手を挙げ、それを無造作に横に振るった。
瞬間訪れる異変、ナイフが触れた切っ先から先の物体はその剣線に合わさる様にことごとく両断されていく。
宛らかまいたち、その猛烈な斬撃を辛うじて長剣で受け止めるが。
止まらない、その斬撃は止まることを知らず。
体を床へと滑り込ませる。
背後を見ると、斬撃は止まること無くそのまま列車を駆け抜けていく。
「お、躱しますね」
女はそう呟き、斬撃を幾本も飛ばす。
幸いその斬撃が行う破壊のおかげで辛うじて躱せる。
車内の調度品は弾け飛び、ソファはズタズタに引き裂かれ、車内のランプは甲高い破砕音を撒き散らす。
唐突に斬撃群はなりを潜め、破壊は去る。
車内は既に斬撃の破壊によって原形すら留めてはいない。
肩で息をし、総身から血を流すオレと。
悠々とこちらを睥睨する女。
「アンタって何者?」
女は此方を見て、忌々しそうに呟く。
「ルシ、ただの従者だ」
「ルシ……ああそう、全く割に合わないわね……」
斬撃の嵐は既に止んでいる。
この間にあの女を切り伏せなければ。
魔術のフィジカルエンチャントによる全力の疾走。
切り伏せようとした剣線は敢え無く空を斬る。
女は割れた窓から車外へと飛び出す。
車外の景色は既に線でしか判別がつかない。
それ程の速度、そんなところに車外に飛び出す等自殺行為にしか思えない。
しかし、天井を走る物音を聞いた瞬間、総身を悪寒が走った。
一瞬の静寂、瞬間世界はバラバラに切り裂かれ音を立てて崩れていく。
からがら体を車外へと飛び出す。
その視界に見えたのは一直線に亀裂が走り、崩れていく列車であった。
口に広がる土塊の味。
砂だらけの地面から体を起こし、辺りを見る。
辺りには木製の残骸が至る所に散在している。
横を突風もかくやなスピードで列車が過ぎ去って行く。
あまりのスピードに辺りの残骸や砂埃は一瞬にして巻き上げられ、嵐が治まった頃には一人の黒づくめの女が立っていた。
「まったく、あれだけやって死なないなんて、とんだ化け物ねアンタ」
列車から身を乗り出した瞬間、地面へと長剣を突き刺し速度を僅かでも殺していなければ、オレもそこいらの残骸と同じく挽肉と同列の物となっていただろう。
女の体には未だに傷の類は見受けられない。
加えてこちらは正しく満身創痍といった状態。
しかし、女の顔には先程まで有った余裕の笑みは消えている。
「化け物はどちらか、さしもの貴様が未だこの世にて息をしていたとはな、メア」
目の前の女は顔に僅かに笑みが浮かんだ。
メア・アルクイン、嘗て一国の王をその手にかけ、自らの一族すら鏖殺しつくした最凶の鬼女。
彼女は暗殺を生業とし、その仕事道具には何時も短剣を使っていたと云われる。
「ま、あの坊やに散々やられたしね、世間一般では私のことは死んだ事になってんでしょ、尤も最近はそれを利用して仕事できないかって画策中だけど」
「しかし、それもタネが割れれば手品師にも劣るな、その短剣とて万能ではあるまい?」
メアの顔に怒りの色が色濃く映る。
「列車の時から疑問だった、何故お前はオレの跡をつけている時分、そのお得意の斬撃をオレにお見舞いしなかった? まだタネが割れていないあの時であれば確実に首を刈り取れていたものを」
メアの表情から一切の感情が消える。
そこにメア・アルクインとしての女の顔は無くただ一人の暗殺者がいた。
「斬撃にしてもそうだ、少し考えれば解る話、そもそも『女』の体で元々殺傷できるほどの斬撃を――」
メアは最後まで耳を貸す事は無く三間半程の距離を僅か半秒で詰めてくる。
その手に握られた凶刃。メアはこちらへと切り掛かるあと一踏み。その一踏み、大地を思い切り踏みしめこちらへと土塊を弾き飛ばす。
目くらまし、否。
そんな、生易しい物では決して無い。
手にした長剣を思い切り振り下ろす。
甲高くなる剣戟。一瞬の閃光は暗がりの大地を線香花火の様に照らす。
長剣と短剣、二つの刃には明らかにそれらが持つ重量の差がある。
結果二つは鍔迫り合い等といった事は起こらず、メアは後方へと大きく弾き飛ばされた。
見れば奴の短剣、こちらの短剣にも刃毀れ。
しかし、メアの表情に余裕の表情など生まれない。
「やはりな、予想通りだ」
近くの角材を手に取り、先程の刃の交錯の地点へと放る。
角材はクルクルと円を描きながら飛翔し、やがて二つの落下音をあげた。
「列車内でどうしてお前が態々刃を他の物に引っ掛けてたのが解るよ、それがそのナイフに内蔵された機能の発動条件か」
「……」
メアは答えない。
深く俯き、その顔からは表情が読み取れない。
メアの短剣、タネが解れば何の事は無い代物である。
奴の短剣に何か物体が触れた瞬間奴の短剣の刃が通った軌跡にはその事象が残留する。
言ってみればピアノ線をひたすら張り続けるようなものだ。
その軌跡に触れれば、その事象を上書きされ、結果は先程の列車という訳だ。
そのモノが持つ運動力を逆手に相手を斬る。
カウンター専門の能力というわけだ。
「早計だったな、列車を降りたのは失敗だったな」
恐らくそれで一本という訳ではあるまい。
恐らく同じ物が最低でもあと一本それ以上は無い。
そしてブラフの為の短剣が恐らく数本持っている筈だ。
しかし、それまで、それ以上は奴の仕事そのものに支障が出る。
メアは腰から一瞬にして、短剣を取り出す。
総じて十本。
それらは全て同一の形をし、先程痛打を浴びせ使い物に成らなくなった短剣は月光の明かりに照らされ銀色に輝く刀身からでは判断が付かない。
奴は高速で瓦礫が広がる大地をオレを中心に旋回を始める。
視界の端を移動するメアを決して逃がさぬ様目を動かす。
途端此方に飛びくる一つの銀色。
それを打ち落とす、はずれ。
次々と飛びくる短剣群、一本二本三本。
旋回の折り奴は僅かにバランスを崩す。
点在する瓦礫を避けようとし、それが僅かに奴の呼吸を乱した。
一気に踏み込む、奴は四本目の短刀を投げ、それを打ち落とす。
本物。
しかし、踏み込む運動を殺すことは出来ず、左肩口を矢のような激痛が襲う。
傷が広がろうと構わない、それに臆する事無く全力で踏み込む。
奴は一瞬驚きの表情を見せ、オレは一閃を放つ。
奴は蛇の様にそれをすり抜け後方へと退避する。
「アンタ……ッ!」
メアは苦悶の表情を浮かべる。
肩口を抉られ左腕はもう使い物にならない。
対してメアが負った傷は僅か右の人差指と中指。
左腕の対価にはあまりに軽い。
メアは荒野を駆ける。
先程の再現。
メアは先程と同じく視界の端から短刀を投げる。
五本六本。
奴の短剣も少なくなってきた。
メアの目に殺意の炎が宿る。
飛びくる短剣、その数三本。
それを満身を込めて打ち払う、だが全て外れ。
ここ一番で投げた短剣はことごとく全てが外れ。
残るは一本、更にその刀身には先程まで見えなかった白い亀裂が見える。
策は出尽くした、今目の前にいるのはだた一人の華奢な女。
三間半ほど有った距離を一気に詰める。
半ば女は亀裂走る短剣を投げた。
これまた先程の再現、奴との距離はもはや踏み込み一歩程。
どんな策を弄そうとも手遅れ。
過たずオレの長剣は奴の体を切り裂く。
だが、この悪寒は?
奴の口元が僅かに歪んでいる。
何故だ? なぜ奴は態々この短剣を残した?
何故、このガタが来た短剣を?
奴は右手を後ろへと回す、そこから現れたのは白銀に輝く投身を持つ十一本目の短剣。
奴は右手でそれを投げる。
弾丸の如きスピードで投げられたそれは、今まさに投げられた魔剣に激突する、それらは互いに爆散し、幾つもの破片を生んだ。
思考を巡らせるべきだったのだ、奴の刀身そのものがそれ自体で事象を成すなら、その残骸にも気を付けて然るべきだったのだと。
だがもう止まらない。
踏み込む運動を殺す事は出来ず、そして――
幾つもの肉を破る音が、この暗闇の荒野を強かに彩った。
闘いは甚大なれど、その結末は厳かであった。
列車そのものをも破壊し、この夜を彩った闘いの決着は荒野に二体の奇怪なオブジェを作り出すのみという味気ないものだった。
片方のオブジェから真っ赤な雫が流れ出す。
そうして崩れ落ちるは黒装束に身を包んだメア・アルクインだった。
メアは口の端から血の泡を流し、地に臥す。
しかし、その顔に浮かんでいたのは今まで見せてはいなかった、満身の笑みだった。
「ああ……負けちゃったか」
女は、さも残念とばかりに苦笑いを浮かべる。
その命の灯火は既に消えかけているというのに。
命を乞うでも、ありったけの侮辱を口にするでもなく女はただ心底残念そうに笑う。
あの刹那の一瞬。
あの一刹に起きたのはひたすらに幸運と呼ぶしかない。
メア・アルクインの放った魔剣は過たず、オレの心臓へと狙いを定め飛来していた。
叩き落とそうと繰り出す一閃よりも、その先奴はその一閃を上回る速さで右手で放った短剣を飛来する魔剣へ命中させた。
誤算だったのは、オレの運動能力がメアの予想を上回っていたこと、そして奴の右手の人差指と中指、この二本が欠け僅かに投剣が逸れ魔剣の破砕物がオレの心臓を悉く外していったのだ。
仮にどちらか片方でも欠けていれば、今頃オレは地に這いつくばっていたかもしれない。
列車すら破壊し、大地を血に染め上げた激闘もその最後は運が残った。
斯くしてオレは幸運の女神に救われ、奴は不運の女神に足元を掬われた。
「どうしてそんな顔が出来る?」
女はさも不思議そうに顔を傾げた、その瞳からは既に光が消え去っている。
「私をアンタは理解できないでしょうね、アンタは私と違って誰かの為に動いてるから、私みたいに自分の為に生きている人間を理解できないでしょ」
「では尚更、この一夜がよもやどちらの幸運が勝っていたかという決着はお前にとっては不服なのでは?」
「解らないのね、アンタ」
女はそこで憐れむ様な侮蔑する様な、声を低く落とした。
「アンタは結局自分が無いのさ、誰かの為、自分を命じた誰かの為に行動するだけの都合の良いお人形さん自分では何もしないし行動しない」
女は滔々と語り続ける。
右手に力が入り、柄が僅かに軋みを上げる。
「アンタはまるで親と逸れないようにしっかりと後ろをついていく子狐みたいだよ」
気が付けばその女の呼吸は停止していた。
冷たくなった彼女の横顔には相変わらず満足したような笑みが残っていた。
「あの御方の為私は一命を賭す、たかが暗殺者風情にわかるまいて」
ストックがもう無いので更新ペースはかなり遅れると思われます