器用貧乏な力持ち
――なんてことしちゃったんだろう。
私は、そんなことをつい最近、猛烈に感じている。
それは、自分がお慕いしているお嬢のことが絡んでいるからだ。
ことの発端は、だいたい半月ほど前。
お嬢――天照大神様が、弟君須左之男尊のあんまりな暴れん坊っぷりのために天の岩屋戸へ引きこもってしまった。お嬢が外へ出ようとしなくなったために、私たちの暮らす高天原は真っ暗になって、なんかいろいろとえげつないもんがあちこちはびこるようにもなった。高天原がこんな状態である、ましてや葦原中つ国――地上はさらにひどくなっているに違いない。
八百万の神々は、こりゃマズイと危機感を抱き、なんとかしてお嬢を外に出そうってことで会議を開いた。作戦を考えたのは、私の旧知の仲である思兼。主に働いたのは私――天手力雄と天宇受女。宇受女がものすっごきわどい踊りで周囲を笑わせて、岩屋戸の中から気になっていたお嬢が顔を出す。少しだけでいい。戸をあけてくれさえすれば、私が無理やりこじ開けて引っ張り出すことができるからだ。
思兼の思惑通り、お嬢は戸を少しだけ開いた。それを見逃さず、私が戸をブン投げてお嬢の手をつかんだ。
お嬢は怯えきって泣いていた。末っ子殿の暴君三昧が怖かったのか、私にフン捕まったのが怖かったのか(今にして思えばどう考えても両方)。
しかも、逃げ場はないというのに、お嬢は大泣きして抵抗する。その抵抗だって、馬鹿力が取り柄の私にすれば「抵抗」とすら呼べそうになかったけど。
「放して! 外は嫌!」
「ちょっ、往生際悪いですよお嬢! いいからもう観念して出てきてください! ほら外こんなにわいわいにぎわってて楽しいですよ!」
「嘘! みんなわたしをだましてるだけじゃないっ。外に出たくない! 怖い、怖いっ! 怖いのは嫌なの!!」
いつまでも小さい力で抗って、引きこもろうとするお嬢。に、私が切れた。
気づいたら、感情にまかせてお嬢をひっぱたいていた。ばっちーん! といい音が高天原中に響いた。それを見ていた思兼と宇受女は冗談抜きで驚いていたことだろう。
「いつまでもわがまま言ってんじゃねえガキ!!」
たたかれたお嬢はびっくりと痛さの混じった表情で私を見上げてきた。真っ赤に腫れたほっぺを左手でぺたっと触って。
私はお嬢の御前に膝をついて、彼女のなで肩に手を置く。
「あんたがいなきゃ、この世界は成り立たないんですよ。あんたがここにいてくんなきゃ、ダメなんですよ」
それからというものの、もう混乱するのなんの。お嬢は大声で泣き叫ぶし私はお嬢に突き飛ばされるし(自分の行いを省みると当然なんだけど、いやむしろそれくらいですんで幸運だと思うんだけど)思兼には冷えた目で同情されるし。お嬢が外に出てから数日は、八百万の神々からの視線が痛かった。
結果として、世界に光が戻って、末っ子殿は地上へ行って解決したといえばした。だから自分の行いに後悔はないし、白い目で見られるのも当然のこととして受け止めていた。……力任せに怒鳴ったりたたいたりしたことに良心の呵責がないなんて言うつもりもないけど。
私が気にしているのは、お嬢があれ以来泣かなくなったことだ。
それはそれで、望ましいことなのかもしれない。だけど、お嬢を見ているうちに、私はなんとも異常だと気づいた。
泣かないだけではない。笑いもしなけりゃ怒りもしない。声に抑揚がないし、喜怒哀楽が抜け落ちたように、お嬢の顔はのっぺりしていた。
岩屋戸の事件以降、明らかにお嬢の表情は消えた。表情のほかには、もう引きこもることもなくなり、高天原や地上の平安のために働くようになった。
勤労精神が育ってるのはいいことなんだけど、どう考えても無表情のほうが私には重い事態といえた。
ひょっとしたら(いや確実に)……私の平手打ちと叱責が原因でお嬢が笑わなくなったとしたら……。
「とんでもねえことしでかしちゃったかもしんねえ……」
「それ言うの何度目よ、手力」
高天原にある、私の住まい。清酒をちびちび飲みながら私の話を聞いている友人――鹿島はあきれてる。
「結果として世界が平和になったんならいいだろ。別にお前が気にするこっちゃねえって」
「気にせずいられるならそうしてるよ。……ていうか世界はもう平和と縁遠くなっちゃっただろ。地上じゃでけぇ蛇がのさばってるっていうし、こないだなんか白い兎がワニザメに皮ぁひん剥かれたのを偶然見かけちゃったぞ。あんまりのグロさにしばらく兎見るのが怖くなったわ」
「それでも遠い地に比べりゃよっぽど平和よ」
鹿島――雷神・建御雷はさかづきを私の前にずいっと差し出す。もっとつげ、と無言の笑顔で伝えている。私は倉庫の中にしまってある酒樽をふたつほど持ってきた。
「しっかしまあ、お前の怪力は健在だなあ。その樽、クソ重くて俺じゃ運べんわ」
「……この樽、今日初めて出したはずなんだけど」
「細かいことは気にしなーい」
こいつ忍び込んで盗もうとしやがったのか。
「ってそうじゃなく! お嬢のことだよお嬢のっ。あれっきりずっと無表情じゃないかってことだよ、オレが話したいのは!」
「その話、宇受女と思兼にも言ってなかったか?」
「まあね……宇受女には『あなたが地上へぶっ飛ばされようが黄泉へかっ飛ばされようが海へ沈められようが忘れないわ』って殺される前提で言われるし、思兼は無言で肩を叩くし。……ほかの神々にも相談したんだけど、態度でわかるんだよ。オレはもう終わりだってよぉ……」
「……酒一滴も入れてねえのにそこまでぐだぐだになれるのもある意味才能かねえ?」
「酒酔いの話じゃねぇー!」
わーってるわーってる、と鹿島は手をぷらぷらさせた。ひょろっと背が高くてそれなりに鍛えてて、額とか首とか体のそこらにちらっと包帯巻いてるのがわかる。あぐらかいて、法被をはだけさせながらぐいぐい酒をあおる。神はだいたい酒に強いけど、こいつの酒豪はその中でも群を抜く。こいつに対抗できんのは稲荷の姉ちゃんか少彦名かねえ。
鹿島はひと樽ぶんの酒をもう飲みほしていた。飲み終えて、いきなり真面目な顔になってしまう。普段ちゃらんぽらんで適当ふかしてるこいつが急に真剣になるのは、なんか慣れない。
「お嬢が無感情になろうがどうなろうが、ここと地上はことなきを得た。結果として最悪の事態は避けられたんだから、いいじゃん」
「……けど」
「あの状態じゃ、引っ張り出されてもまたお嬢は引きこもる気満々だったと思うよ? お嬢はここをまとめる根っこであるべき神なのに、坊の暴虐に恐れをなして引きこもった。坊を止める義務を放棄してな。自分の存在の重さを理解してない子供だったのさね。それを自覚させて、同じことを繰り返させないようにしたんだから、あんたの行いは褒められるべきであって誹りを受けるいわれはねーわと思うがね」
のんきな笑顔はとっくに消えてる。鹿島はお嬢につきしたがっているけど、だからといって心酔してるわけでもない。むしろ一線を引いて距離を置く。その態度はお嬢に限ったこっちゃないけどさ。
「聞けよ、手力。今のお嬢は今までとは違うだろ。今よりずっとしっかりしてる。それでここと地上のために日々身を粉にして働いてる。それでいいじゃねぇか。感情表現豊かでガキで無自覚な神より、たとえのっぺらぼうでもやることきっちりやってくれたほうが高天原や地上のためだろ。俺はそう思うね」
「……おまえ、オレを慰めてるのか?」
「あれ、気づかなかった?」
鹿島はいつも通りのからっとした笑顔に戻っていた。こいつ、最善の道を選ぶというより、とんでもない道を行かなきゃならない中でどちらがよりマシかを考えるたちなんだよなあ。そう考えると、こいつがお嬢に対してドライなのも頷け……る、か?
「うだうだ悩んでんならお嬢に謝罪の一言でも伝えりゃいいだろ。それにのっぺらぼうになったのは原因が別だったりするかもしれんし。何にしろ、お嬢と話をしてくりゃ悩みも解決するだろ。おまえ心配しすぎなんだよ。しょい込んでるのは取り越し苦労かもしれねぇぞ? おまえって人のやりたがらないことを引き受けちゃうし、いっつも貧乏くじ引くよなあ。ある意味器用貧乏?」
「んなわけ……あるわ。いっぱい身に覚えありすぎて否定できない」
私はようやく、一杯の酒を飲んだ。
翌日、酒の酔いがまだ少し残っている足取りで、お嬢を探す。家屋の中で機織りすることもあるし、外に出て高天原を視察したり地上を見下ろしたりするし、神々と会議を開くことだってある。なんというか、割と活動的になった感じかな。近くの神々にお嬢のことを聞くと、地上を見下ろしているとのことだった。追放した末っ子殿を気にしているらしかった。
お嬢の住まいの屋根から、お嬢は遠くを眺めている。
「お嬢ー!」
私の声に、お嬢はすぐに気づいた。
「あら、手力」
「そっちに行ってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ。いい眺めよ」
私ははしごを伝ってお嬢の隣に腰を下ろした。
腰まである黒髪に、髪飾りをちょいっとつけておしゃれしている。春を思わせるような色合いの着物と羽織と羽衣で、どういうわけか足だけは何も履いてない。身長は私より頭ふたつくらい低いし、体だってかなりきゃしゃだ。このちいっさな神に(しかもリーダーである、リーダー)無礼を働いたって……誰か、私を殺してください。
「お嬢、岩屋戸のことですが」
「なあに? 心配しなくても、もう引きこもってみんなを困らせたりしないわよ」
「いや、そうじゃなくて……その、申し訳ありませんでした、乱暴なこと言ったりひっぱたいたり……」
お嬢は首をかしげた。
「……? どうしてあやまるの?」
「え、あ、だって……お嬢泣かしちまったし、あれからお嬢、泣きも笑いもしないから、オレのせいなんだっておもって……」
「叩かれたことも怒鳴られたことも、もう気にしていないわ。あなたは世界のことやわたしのことを考えて怒ってくれたんだから。わたしが子供だったのよね。おかげで自分の立場を自覚できて、今ではしっかりと高天原をまとめることができて、自分に自信がついた。……泣きも笑いもしないって、これはわたしが自分でしてることよ。手力には何の落ち度もないわ」
「といいますと?」
「わたし、結構泣き虫なところあったから、それを克服しようと思って、泣くのをぐっとこらえる練習していたの。それがだんだん慣れていって、今では顔に感情が出なくなるまで成長したわ」
「そういうのは成長とは言わねえー!!」
やりすぎだろ。
「といっても、顔に感情が出ないだけでうれしかったりたのしかったり感じることはあるけれど」
「あ、そ、そうっすか……。よかった、なんかホッとした気分……」
「そう。ならよかった。あなた、ずっと悩んでいるようだったから、お役にたてて何よりね」
お嬢はめったに変えなくなった顔を、わずかに笑わせた。そのかすかな笑顔が、私を安心させてくれた。抜けた表情を、私はきっとしていた。鏡で見たわけじゃないけど、お嬢が微笑みながら地上へ視線を移したとき、ふっと吐いた息が可笑しいと言っているように感じた。
「須左之男がね、泣いている人たちを救ってくれたみたい」
「へえ、成長したんですね、末っ子殿」
「そうね。成長するのね」
末っ子殿がこちらへ舞い戻ってくるまで、私はずっとお嬢の隣で地上を眺めていた。
『古事記』についていろいろと調べていたらむわぁっと思いついたお話です。私の中の手力さまは、なまじなんでもできるし頼りになるために貧乏くじを引くことが多く、それなのに見返りがあんましないという器用貧乏なイメージです。はい。