No.2 とりあえず、自己紹介
彼の言っていることを、俺は理解できない。それはもう、支離滅裂ともとれる内容。物理学に疎い俺でも、それは「あり得ない」と断言出来た。しかし、あれだ。俺は実際に目撃もしている。あの炎というか火花が、真っ直ぐな軌跡を描いて追手の額を貫いたのを見ている。彼は、殺しはしないと言っていたが、脳に穴が開いて生きている人間を見たことが無い。多分、今頃は雪の下で静かに寝ているだろう。その事を彼に聞くと、こう言った。「あの人はあの位じゃ死なないから、心配しなくても大丈夫。」と。激しく的を外した返答が返ってきたのだが、口調から察するに、どうやら俺を誑かす気も無いようで、こちらも特に問い詰めたりはしなかった。
「それで、俺はどうすれば? 出ると死ぬなら……一生ここに居ろと?」そう聞くと、彼は少し考えさせろと言い、爪を弄り始めた。長くなりそうだったが、その予想は外れて、俺がため息一つ吐く間に終わったらしい。そして、こちらの顔を見もせずにボソリと、まるで独り言のように言った。
「まあ、多分大丈夫だと思うんだけど。」こんな感じに言ったのを俺は聞き逃さなかった。「大丈夫? さっき死ぬとか何とか言わなかったか。」彼によると、凍死するらしい。しかし、それは、もう忘れてしまったかような口ぶりである。不思議と自分でもそんな感じもしてきたし、もう訳がわからん。でも、冷静に考えろ。外の気温は摂氏−90℃だった筈。その時だった。彼に背中を向けていたのだが、その背中を明らかに蹴られたと分かるような強さで蹴られた。気付いた時にはもう視界はテントの外。ひたすら白い大地が広がっているのが一瞬見えた。そして、勢いよく前に倒れる。前回のように打ち付ける事こそ無いものの、顔を雪に埋めるのも嫌だ。とか言っている間に、顔に激痛が走る。
「冷た痛いっ!」と変な悲鳴を上げて、直ぐに立ち上がろうとした。顔どころか体の前面すべて埋まっているわけで、中途半端な痛みではない。
「ほら、大丈夫だろ?」背中越しにそう聞こえた。あいつか。確認のため、少し怒りも込めて後ろを振り向いた。
「お、怒ってるな。」と言い切ったところで奴の顔に雪球が直撃した。振り向き様に投げたやつが見事に当たったようだ。我ながら実に綺麗に入ったものだと関心してしまう。彼は直ぐに頭を軽く振って雪を払っているがこれでは何の意味も無い。今気がついたが、まるで極北の地を吹き荒ぶ吹雪から風を引いたような降りっぷりだ。積雪量80センチはあるぞ。子供の俺としてはしゃぎたい気持ちもある、しかし何せこの雪ではこれでは前に進むことも難しい。その場に突っ立て雪合戦をしてもあまり面白くないと思う。
「さて。」と彼は一息置く。そして語る。
「自己紹介がまだだったかな。」
確かに、色々あって忘れていたが彼は自分の素性を全く話していない。
「俺の名前は*****。」
「は? **……何だそれ? そんな名前なのか?」
そう。それは人の名前というよりも機械の型式番号のそれだ。
「呼び難いなら『Tea』と呼んでくれて構わないから。お茶、ね。」
お茶、か。変だろう。しかしそれよりも――
「Tea……俺の名前が『丁』で、うん、似てるな。」
俺の気の所為だろうか? そんな事どうでもいいのだが、気になるな。
「そうかね? なら頭文字だけで『T』でいいよ。丁くん。」
「それじゃもっとややこしいだろ。特に書いた場合に。それに発音も変わらない。」
わざと言ってるのだと思う。面倒な奴だ。