笑顔
初めから人を殺す表現が入ります。
酸酷な表現が駄目な方は、ここでバックしてください。
「あんた俺にさ、何して欲しかったの?」
右手に、逆手に持った腰刀をぶら下げた男は、目の下に暗い影を落として、ぽつりと言った。
まだ滴るほどの赤い血を纏った短い刀は、悄然と項垂れるかの如く、男の手にある。
「死にたいんだったら、自分で死ねばよかったのに」
まるでそれは、殺しで男の心がひどく傷ついたかのような言葉だった。
「俺に縋る力があるなら、それで死んでしまえばよかったのに」
まるでそれは、男が人を殺したことを後悔しているような言葉だった。
「こんな感傷、俺にはいらないのに」
あんたはさ、俺に何がしたかったの?
ぽつりぽつりと吐き出される言葉は、どれも乾いていて。
同じように無を張り付けた顔に、感情のかけらは見つからない。
「俺はさ、たくさん、殺してきたのに」
男はまだ若々しい顔に、諦めたようでいて、どこか狂ったような喜色を浮かべた。
「あんたを殺すことも、仕事だったのに」
――殺してくれ!!
――死にたいんだ!!
――なぁ、頼む。頼むから。
痩せこけたからだ。陰鬱な顔立ち。
生気の抜け落ちた瞳には、妙にぎらぎらと輝く、光。
――いきなり現れて言うことじゃないが、見知らぬ人に頼むことでもないが、
なぁ?
お願いだ。
立派な刀を、腰に佩いているじゃないか。
いいだろう?
いいだろう?
その骨と皮だけの腕のどこに、そんな力があったのかと思うような手ごわさで、がりがりの男は、ただ通りすがっただけの男の袴の裾を握りしめて、見知らぬふりをして立ち去ろうとしていた人間を引きとめた。
――お侍さん。
俺を、殺しちゃくれないだろうか――
いくら抵抗しても、まったく離してくれない指に、この男を振り切るのが面倒になった。
だから、いいや、と思った。
名は、と聞くと、男は顔を隠すように俯いた。
――甲野 成二郎。
「――――――へぇ?」
どんなに痩せこけた男が必死でしがみついても、無気力で、呆れた様に顔を歪めていた男の目に、面白そうな光が灯った。
確かに、甲野 成二郎と言ったか、この男。
その名前を、確かに任を賜った際に、見た。
「いいよ。あんたを殺そう」
それが俺の仕事だ。
そう言いながらするりと抜き放った刃を見て、がりがりの男の顔に心底嬉しそうな笑みが浮かんだ。
「……そんなに、嬉しい?」
―――ぐちゅり。
「そんなに、楽しい?」
―――ぐちゅり。
男の肋の浮いた胸の下。
何日食べ物を口にしていないのだろう、ぺこりと痛々しいまでにへこんだ腹部に、幾度となく刀を差し込んだ。
―――ぐちゅり。
男が刀を回すたびに、痩せこけた身体に僅かに残っていた水分が抜けてゆく。
何度もがりがりの男の腸をかき混ぜて、血が泡を吹くのを、男は無表情に見守った。
痩せこけた男は口をがっぽりと開け放ち、声も出ないのか何度もびくびくと身体を震わせた後、力尽きた。
ずる、と刀を引き抜いた後には、がりがりの男の腹部に大きな穴が出来ているのを、男はただ見下ろしていた。
がりがりの男が、男に「殺そう」と言われた時の嬉しそうな笑み。
それが、ざらり、と男の不機嫌を煽っていた。
「あんた俺にさ、何して欲しかったの」
殺して欲しかったのだろう、とはいくら死人に口無しといえども分かっていたが、どうしても、男にはそれ以外にして欲しい事があったような気がしてならなかった。
築き上げた死体の上。
あんたは、その中のただの一つの死体。
また一つ、積み上げられただけのモノ。
どれだけの悲鳴を浴びようが、どれだけの悲しみを浴びようが。
意味なぞないと、単純なことだと、分かっていても。
俺が殺した、あの男はむしろ自らそれを望んだのだと、分かっていても。
もう忘れたことにすればいいのだ、いつものように、血の海に沈めればいい。
そう、分かっていても。
あの男が嬉しそうに笑う顔だけが、真っ赤な血の海の中で、ただ青白く浮かんでいるのだ。
――ああ、嬉しいとも。やっと死ねるのだから。
その声だけが、耳にこびりついて消えないのだ。
とある方から、起承転結がなっていないとありがたいご指摘を賜りました。
ですが、これはご指摘前に書きあげていまっているため、個人的にはこれで終わってしまっております。
もしかしたら、この青年の話も書くかもしれませんが、起承転結の有無は、今回はご容赦いただきたく存じます。
私的には、「殺してくれ」といって殺された男に青年は恐怖します。
何が恐ろしいかは全く分からない。ただ、がしり、と心の中に男が無理矢理入り込んで居座ってしまった感じだけがはっきりしているのです。
彼はこれから人を殺すときはいつも、最期の男の笑顔を思い出すのです。
楔のように、ずっとずっと、男は青年の中で笑っているのです。