第1話『万生』
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暗闇を呑む暗闇が引いて、微睡の中で意識が起きた。絶対に海底ではない。どこかで。
死んだはずなのに、脳がないはずなのに、
心臓がないはずなのに、意識だけはある。
謎の感覚。
どうしてか海底の底で終えた生とは対照に、
とにかく暑かった。
インフルエンザの時に布団にくるまって眠る時の、あの暑い感覚。
頭の中がボーッとするやつだ。
体の感覚はないのに、伝わってくる。その感触。
どうしてか、わからないがここは揺れる。
何も見えない暖かい水の中。
なんだか懐かしい思いを抱いて、それをギュッと握りしめた。
心の中を黒い恐怖が登ってくる。
それを振り払わずに見つめた。
本当にここはどこなんだろう。
死んだら、無になるという。
「無」
俺は永遠に「無」というナニカの中で過ごさなければならないのだろうか。
それが無になる過程なのか?
それこそが無なのか?
どうして?
わからないことだらけ。
ふと思ったのは「神様の罰」とか、そんなこと。
心の中に問いかけても神は答えなかった。
だから、神は居ない。
何か、答えを求めようとした時、その先が神なんだろうな。
そして、それは「人間には理解できないことを自分を超えた超常存在にしたい」という意思の表れ
それが「神」なんだろうな。とか考えて、悲しくなった。
もう、気の遠くなるほど長い時間ここにいる。
時間の感覚すら定かではないけど
寝て起きて、寝て起きて、寝て起きて、寝て起きて、寝て起きて、寝て起きて
ただ、それをしたという記憶が増える。
夢は見ないし、ただ退屈。
思考だけが頼りで、それも次第に消え去って…
時間だけが溶けて行って、時間が飽和する。
次第に時間の沈殿物ができて、それが時間を零して、自分の感覚がわからなくなった。
暖かいナニカの中で、俺は、——俺は?
何が起きたんだっけ、何を言いたかったんだっけ。
まずい、眠い。
ああ、眠い。
俺はまた眠った。
―――――――――――――――――――――
そして、また起きた。
目は開かないし、何も見えないこと。
意識はあること。
それを再確認する。
また、何もない。
なにも頭に浮かばない。
それが心地よかった。
しばらくして俺は心の目を閉じた。
意識が遠のいて、また無に。
無に帰す──
―――――――――――――――――――――
あれから、二十回くらい寝て起きてを繰り返した。
と、思う。もう、時間の感覚が消えてしまった。
いつものように意識が起きた。
でも、別の何かを感じた。
自分ができたような。
自分がある。と思えるような。
誰かの声が耳を刺して、
目は見えない。
でも、瞼の奥を見ているような。
暖かいけど、いつもの暖かさとは違って。
自分がちゃんと、自分として生きている実感。
それを手に取って、健やかに笑えた。
その日から、うるさくなった。
うるさいけど、それが良かった。
何を言っているかわからないけど、外から声が消えて、でも意味はわからない。
特に、女の人の声がよく響いて、男の人の声が低く響いて、何かについて話している。
それが、自分に向かって話してくれている。
そんな気がして。
それが、良かった。
その時は懐かしい気持ちで泣きそうになった。
寝て起きて、聞いた、寝て起きて、聞いた。
寝て起きて、聞いて、考えた。
いつものように、聞こえる言葉。
いまだに意味はわからない。
聞き捨てながら、考えて…
ここはどこなんだろうか、という繰り返し考えた問いにある納得する答えが、やっと浮かんだ。
──暖かい水の中─懐かしさ──男女の声──赤い瞼の奥──振動──⋯母?
──「胎内」
ここは、胎内である。
テストの難題を自分だけが解けた。
そんな嬉しさを感じると共にまた疑問が。
どうして、その発想に至らなかったのか。
それはわからなかった。
でも、心の問いを晴らすと同時に考えてしまったことは——
俺は、俺自身は、
俺を産む人。俺を作った人たちの
不純物、紛い物、異端者だ。
そう考えると申し訳ない気持ちが心を満たした。
腹の底が裏返って、心臓が締まった。
たぶん、それは後ろめたさによるものだ。
だって、だってそうだ。
もし、俺が人を愛して、愛し合って、子供を作って、生まれた子供が、「自分たちではない誰か」の子供だったら…
俺は多分、愛せない。
俺はそいつを嫌うし、嫌がると思う。
気味が悪い。
子供だとしても。
たとえ、「自分の子供」だとしても。
——ごめんなさい
心に異物を残したまま、俺は目を閉じて、眠った。
―――――――――――――――――――――
寝て、起きて、考えて、悲しくなって
寝て、起きて、考えて、悲しくなって
寝て、起きて、考えて、悲しくなって
寝て、起きて、今日も考える。
もう、長い時間ここにいる。
新たな母の中で。
変わったことといえば、
体がちょっと動くようになった。
足、手、腹、その感覚。
動かしてみると、やっぱり壁を感じた。
目は開かないから、定かではない。
上下の感覚を思い出して、
俺の頭は下にあった。
いつものように、声が聞こえる。
もう慣れた、男女の声。
耳障りさは無くなって、どこか朗らか。
でも、やっぱり言語がわからない。
母と父(仮称)は外国人なのだろうか。
それとも、全然違う世界の人。とか
俺は英語が苦手だった。
転校してから、苦手な科目の勉強へのやる気を失ったからやる気が全く起きなくなって…。英語はその苦手な科目のうちだった。
だと言っても、英語くらいの見分けはつくつもりだ。それを鑑みても、この言語は英語ではないと断定できる。
この言語はなんだ……?
まず、明らかに日本語じゃない。
イギリス語…?いや、それは英語か…
中国語とか、でも発音の感じが違う。
いろんな言語を考えたけど、よくわかんない。
やっぱり、他の世界の人なんじゃないかとも考えて思考はそこで終わってしまった。
やはり、わからない。
まぁ、わかっても言語の意味はわからないままになるんだけど…
でも、頭の中のモヤモヤは消したほうがいい。
心のモヤモヤも。
あ、眠い。
よし、眠ろう…。
眠るのも慣れたもんだ。
もう、呼吸よりも慣れてしまった。
あ。
そういえば、呼吸してない。
ここは胎内だからだろうか。
新生児は生まれてから初めて呼吸をするために泣くというし…
中にいる時は呼吸をしないんだろうな。
そんなことを考えていたらいつのまにか眠っていた。
眠って、起きて、聞いて、考えて
また、繰り返した。
長くて、永くて、
退屈で、暇で、
切なくて、考えることもなくなってきた。
それでも、眠って起きるを繰り返して、
永遠に終わりは見えないと感じるほどだった。
でも、それに終わりが訪れる。
―――――――――――――――――――――
ある日のことだ。
頭が下に、何かを押し付けている。
そんな感覚で起きた。
何か、壁に俺の体は押し付けられていて、
何かを押し除けているような。
下に、下へ。
頭が沈んで
長い押し問答を続けている。
——何かが破れた。
俺の体は急激に、落ちた。
一瞬、経った。
いつもより焦りが生じたような、母の声が響いた。傷んだ母の声と、それに気づいた男の声が混じって、耳を通る。
それから、いつもより…より一層すごく揺れた。
それが終わって。
声の調子がいつもとは違って、
血気迫る声。聞き覚えのない声が交互に聞こえた。
押し出されて、苦しい。
やがて、頭の頂点が冷たくなった。
寒い。
その感覚に、外だと直感的に思った。
俺には何もできなかった。
頭がキツい穴を通って…
初めて光を見た。
閃光が目を埋めて、景色は見えない。
眩しい。
光は目を刺して、目を焼いた。
体の向きが横にされて…
上と下がわからなくなって困惑した。
何処?
体が押し出され、音がはっきり、耳に響くようになった。音と光。
急な情報量に頭がかき乱されて、不快感で頭がいっぱいになった。
それは痛みに似ていた。
俺は泣いていた。
どうしてかわからない。
ただ、泣いた。
それと同時に、冷たい空気が俺の奥底に入った。
やっと、息をすることができた。
濁点混じり、聞き覚えのない声──
それは自分の産声だった。
自分の声がうるさくて、周りの音をかき消した。
体の中と外が冷たくて、音は自分の声だけで、他はかき消されていた。
長い時間をかけて、俺は外に出ることができた。
自分の産声も止んだころ。
周りの声がちゃんと聞こえるようになった。
やがて、何か柔らかいタオルで包まれた。
タオルといっても粗末なもので、その感触から多分、ただのふわふわでもない布だなと察した。
そして、そのまま持ち上げられた。
俺の体はなんて軽いんだろう。
なんて、当たり前だけど可笑しいことを考えた。
周りが朧げで見えず、目を凝らした。
目の痛みを慣らしながら周りを見渡した。
時間が経ってよく見えるようになった。
はじめに見えたのはこちらを覗き込んでいる茶髪の若い女の人の顔だった。
綺麗な茶髪で、それは染めたものには見えなかった。
何かをこちらに語りかけている。
「──・・・─・」
「・・・────・・─・───」
聞き覚えのある声だった。
やっぱり、意味はわからない。
それでも、安心できた。
女の人がこちらではない何処かに向かって話した。その先は視界の関係で見えない。
「──・───・・・──」
「───・─・────・・─・─」
その先から音が返ってきて、
それは低めの男の声だった。
「──・」
「─────・・・─────」
「──・・─」
会話が続いて、たまにこちらを見てくる。
俺はまだ困惑状態だった。
「───・─・・────・」
どこからか知らない声が響いて、母が喋った。
その方から、視界の端から女が出てきた。
それが声の主だった。
そのまま、俺は抱き抱えられた。
その女の人の容姿はまぁ、その。
歳を食っているような感じだった。
服とかはよく見えない。
揺れて、頭にその振動が直で来る。
俺のことを抱き抱える手の感触が2本から4本に増えて、また2本に戻った。
俺は違う誰かに抱き抱えられた。
次第に、男の顔が見えた。
手の感触は硬くて、筋肉!って感じ。
金髪で若い、男。
こちらに向かって、喋った。
「─・──・───・・──」
すると、なんだか感慨深そうな顔をして、じきに泣いた。周りの声が混じっていって…
やはり、どの音にも意味は感じられなかった。
俺はそれを黙って見つめていた。
何かの拍子で揺れて、
反射で体を動かそうと思った。
でも、動かなかった。
体が動く感触はあるけど、ラグで動かないような、そんな嫌な感覚の不自由さ。
また、母の元に戻されて、周りを頑張って見た。
暗い。多分…宵頃だろうか。
ほのかな火の光が周りを照らして、光を反射させている。
火の光…。灯りが電球とかじゃなかった。ランプみたいなやつ。
生まれ変わった場所は国ではないどこかのはずれで、技術が発展していないのだろうか。
だから、言語もマイナーなもので、理解できないのだろうか。
仄かな火の光を頼りに先を見た。
手探りだった、先の見えない宵の話。
それが二度目の生の始まりだった。
無駄の多い話でごめんなさい




