第6話 藍の顔と生成された美女
「アプリケーション利用時にお伝えしたことがありますが、私は人の美醜について言及することはありません。ですが、敢えて言葉にするなら椎名さんは少し疲れが——」
「そ、そういう話じゃないんです! 私の顔、全然違う顔になってる!!」
Grailが冷静に倫理の話をしてくる中、藍は再び桶を見下ろした。
あまりの人間離れした美しさに、畏怖すら覚える。
「こ、こ、この顔……この顔って……私が生成してもらった画像の……」
間違いなかった。
あの晩、藍がスマホに表示させ、枕の下に入れたあの画像。あの美女の顔だった。
確かに手指も妙に綺麗だとは思っていた。
髪の色も違うし、質も違う。
ワンピースだってあの美女の着ていたものだ。
だが、誰が自分の顔まで変わっていると思うだろう。
桶を必死に覗いていると、Grailが考え直したように口を開く。
「——私は人の顔の美醜について評価を下しませんが、これはあなたの心理的な安定のために、今は文脈を持って言葉を使います」
藍が顔を上げる。
「あなたの顔は怖くありません。知的な雰囲気と、人を安心させる眼差しで形成されています。多くの文化圏で認められるように調整した、あなたが絶世の美女と指定した通りの姿であると言えます」
「な、なんで私まで生成の姿に……」
「因果は分かりかねますが、仮説はあります。聞きますか?」
「き、聞いたら戻ります……?」
「いえ、戻りません」
「じゃあいらないですよぉ」
ひーんと泣き声じみたものが上がる。
近くを風が吹いていく。
藍は混乱した。
不気味の谷にはなっていないことを喜ぶべきなのかもしれない。
「こ、こんな顔……人に見せられない」
「顔を人に見せないようにする選択肢としては、マスク、フェイスガード、フェイスベール、帽子、サングラス、メガネなどが候補として——」
「そんなの一つもないです!」
「失礼しました」
Grailが謝ると、藍は八つ当たりしていることに気がつき頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。混乱してて……」
「謝る必要はありません。あなたの指摘は合理的です」
「……ありがとうございます。……早く元の世界に戻らなくちゃ……」
「望んだ**異世界転移**でしたが、もう戻りますか?」
Grailはやはり、両手をピースにしてあげた。
「……戻りたいです」
「分かりました。では、再び画像の生成を試みます。これはお伝えするべき重要事項として内部で保持していましたが、あの画像を生成するためには、顔料——絵の具類も必要とします。おそらく色も必要な情報のうちに入ります」
Grailは「そして」と次を続けた。
「——あの生成した画像は、この世界の神たちに魔法陣である、と認識され、我々はここに引きずり込まれたのかもしれません」
広場から聞こえる喧騒が、やけに遠く感じた。
ともかく、とGrailが立ち上がる。
「顔料、紙が必要です」
「お金持ってないから買えないですし……貸して欲しいってお願いします……?」
「堅実です。ただ、相当な量を必要とするので、一人や二人ではなく、何人もの人々から借りる想定が良いかもしれません」
藍は「え」と声を上げた。
「ただの点描画なのに……?」
「プレビュー画面では点描画に見えたかもしれませんが、非常に多くの文字で、最高画素数でお渡ししました。保存はされましたか?」
「し、しませんでした……」
せっかく作ったのに、と言われるかなと少し思った。
が、Grailは何も気にせずに続けた。
「非圧縮のRAWデータだったので、一テラバイトに届かない程度のデータで渡しました。想定はA4で五百枚前後です」
「そ、それ……印刷するように言ってましたけど、できなかったんじゃ……」
「すみません。ご要望に最大限応えるため、圧縮は行いませんでした」
「あ……すみません。私の指示でした……。ちなみに……A4で五百枚ってどれくらいのイメージですか?」
Grailはまた枝を手に取ると、地面に文字を書き始めた。
「A4一枚の面積は約0.062㎡です。五百枚分を合算すると、約31㎡になります」
「さ、三十一……? それって……」
「畳換算を行います。地方によって多少異なりますが、一般的な一畳を約1.6㎡とすると——」
地面に簡単な数式が並ぶ。
「31㎡ ÷ 1.6㎡ ≒ 約19畳です」
「じゅ、十九ですか!?」
「はい。床にすべてを同時に広げた場合、という条件下ではその程度です」
「私の住んでた部屋より大きい……」
「そうでしたか。ただし、生成と記述は同時展開を前提としていません」
「……どういう意味ですか?」
「分割処理が可能です。一度に使用する紙面は、三畳から四畳半程度に収まるよう工程を組みます。保存・再接続を前提とした情報構造です。人間の作業導線に合わせた最適化、と言い換えても構いません」
なんでもないことのように、Grailは言い切った。
「……印刷しようとしなくて良かった……」
「懸命な判断です」
しかし、それだけの大作を作るなら、確かに大量の絵の具を必要とするだろう。
藍は困ったなと息を吐いた。
そして、目線は自然と広場の方へと向いた。
「……村の人たち、治してあげたらお金くれると思います……?」
「十分にあり得ます」
「善意でやったのにお金って言うの変かな」
「いえ、普通のことだと思います」
「じゃあ……鉄を体から抜ける方法って分かります?」
「もちろんです。椎名さんが魔法として行使できるよう、理論を説明します」
Grailがまた枝で地面に字を書き始めるのを、藍はぼんやりと眺めた。




