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第2話 便利すぎるAI、異世界でも健在

「私はGrail Vector。ご用件はなんですか?」


 藍の横を、不思議な風が通り抜けた。


「……え? あの、はい?」

「雨音の増加を検知しました。ノイズが発生しています」


 言葉としては聞こえていた。しかし、理解が追いつかなかった。

「私はGrail Vector。ご用件はなんですか?」


 藍は一度深呼吸した。

 そして、相手をじっと見つめる。

 確かに整った目鼻立ちだし、外国人なのかもしれない。

 グレイルとはおしゃれな名前だ。

 ——と、現実逃避をするが、Grail Vectorを名乗る人物の既視感が藍を無理にでも現実へ引き戻した。


 彼の姿は、やはり、どこからどう見ても、藍が寝る前にGrailに生成を頼んだ「無害そうな男」そのものだった。

「……えっと……仮に、仮にですよ。あなたがGrailだとして、なんでその姿なんですか?」

「申し訳ありません。分かりません。ですが、椎名さんがこの姿を選択したと認識されています」


 全く選んでいなかった。


「……じゃあ、なんで一緒にここにいるの?」

「推測されることを申し上げます。ただし、これは確実性のある意見ではないことを先に明示しておきます。私があなたへお渡しした——」

 Grailは両手をピースの形にすると、二度それをぴこぴこと折りながら言葉を続けた。

「異世界転移」

 手が下ろされる。

「——ができる画像を使われたのではないかと思います」


 異世界転生という言葉を並べるときに使った謎のハンドサインを見て、藍は確信した。

(Grailのクセ強カッコの表現……)


 ——『**異世界転移**』


「あの画像、本当に効いちゃったんですか……?」

「はい。恐らくそうでしょう」


 話しながら確信する。あの会話を知っているのは、Grailだけだ。

 だから、この男性は本当に——

「ねぇ、Grail……。Grailはどうしてついて来れたんでしょう」

「申し訳ありません。分かりません」

「そうですよね……」

 藍はわずかに寝入る前のことに考えを巡らせ——思い出した。

「えっと……。枕の下にスマホ入れたんでした。二つの画像を表示したGrailのアプリ開いたまま……。だから、それでかも……」

「あなたの話はとても筋が通っています。確定することはできませんが、おそらくそれが私がここにいる要因でしょう。椎名さん、あなたは目指していた**異世界転移**ができたのかもしれません。おめでとうございます。位置情報は変わらず取得できません」


 Grailは異世界転移と言う時、やはり手をピースさせて指を二度ぴこぴこと動かした。

「Grail、あの画像もう一回作ってください!」

「了解しました。試行しますが、同一精度での再生成は困難である可能性があります」


 Grailはまた地面に座り込むと、枝で地面に線を描き始めた。

 横線と点をいくつも重ねて書いていく。

 まるでプリンターのような像の描き方だった。

 そして、画像生成はそうなるんだ、と藍は頭を抱えた。

 当たり前のように紙に印刷されたようなものを渡してくれると思い込んでいたが、相手も丸腰だった。

「す、すみません。せめて紙とペンがないと無理ですよね。一旦やめてもらって大丈夫です」

「生成を中止しました。紙とペンを入手するためにも、人を探す必要があります。移動を検討してください」


 Grailが木の向こうを見ると、雨はいつの間にか止んでいた。

 顔を覗かせる太陽に照らされて、あたり一面がキラキラと輝いていた。

 景色に目を奪われていると、Grailは木に登り、パーカーを回収してぎゅっと絞っていた。

「Grail、今何時ですか?」

「日本時間で午前三時四十分です。ですが、ここは異なるように見えます。現在の太陽の位置から、この場所のおおよその時間について申し上げることもできます。必要であれば説明できます」

「やってください……」

「——この場所の時刻は、午後一時から二時の間であると推測されます」

「ありがとうございます……」


 そんなことを知っても何の意味もなかった。

 ただ、Grailの有能さだけは理解した。

「Grail、次はどうしたらいい……?」

「はい、Grailです。川沿いに下っていけば、人間の生活圏に近づく可能性が高いです。民家に行き当たるか、もしくは海へ出るでしょう。海に近い場所は、人の往来や集落が形成されやすいため、結果的に人を見つけられる確率が上がります」

「わぁ、すごい。じゃあ、どんどん行きましょう!」


 藍はこれはもうなんとかなったと確信した。

 最強の文明の力が側にいる。

 そして一歩を踏み出すと、ぐちょっとハイヒールの裏から不快な感覚が伝わった。

「うわ、ヒールなんだった……」

「私の靴を履きますか?」

「え、それは大丈夫です。ほんとに、いいですから」

「いえ、ハイヒールはこういった地域の活動には即していません。あなたの行動能力が低下する可能性があります」


 言っていることは理解できる。

 だが、藍は人間の姿をしているGrailから靴を受け取れなかった。

 彼はすでにパーカーすら濡れて着れなくなっているのに。

「——私は人工知能です。人間の安全性を最優先項目とする設計に基づいて行動しています」

 藍の逡巡を察したようなことを重ねてくる。

「……そんな言い方されたら、断れないじゃないですか」

 Grailは無表情とも微笑みともつかない顔のまま、しゃがみ、靴紐を解き始めた。

「い、いえ、やっぱり大丈夫です。ヒールでいけます」

「足裏の痛みや体調の変化が見られた場合には、あなたの判断を尊重した上で、再度着用を提案します」

「はぁい」


 居心地の良さにわずかに笑い、藍は踏み出した。

 Grailもよく絞ったパーカーを手に、藍の後に続くように歩いた。


「Grailは寒くないですか?」

「体表温度が低下しています」

「……それ、寒いって言うんだと思いますけど……」

「人間の表現では、そうなるかもしれません」


 藍はおかしな返事にくすりと笑った。やはり靴は受け取らなくて良かった。

「あの上司のせいでこんなところに来る羽目になりましたね。Grailも、寒さなんて知らないままでいられたのに」

「寒さを知ることは、必ずしも不利益ではありません。あなたと行動を共にする以上、この程度の環境変化は想定内です」

「はは、そうですね。寒さが分からなかったら、下手したら夜通し歩いたりしちゃいますもんね。」

「いえ、それはありません。現在はデータが更新されていますが、そうでなくても、人間を夜通し歩かせたりはしません。あなたが安全であることが、最も優先されます」


 藍の中に確かな安堵が広がる。

 二人はせっせと歩いた。

「Grail、喉乾いてきましたね」

「はい、Grailです。川はありますが、現状では安全な煮沸、ろ過、消毒が困難なため、飲み水を確保できません。パーカーから絞った雨水を飲むという手段はありますが、衛生的に推奨できる行為ではありません」

「……早く人のいるところに行かなくちゃいけませんね」

「はい。ご指摘の通りです。現在の判断は状況に即しています。パニックの兆候も見られません」


 相変わらず「いや、それは別に言わなくても大丈夫だよ」ということを重ねてきていた。

 人間の姿になっても、AIはAIだった。


「ふふ、おかしいの」


 二人は時折休みながら、夕暮れが訪れるまで歩いた。


「——そろそろ日が暮れちゃいますね」

「夜が来る前に休める場所を確保しましょう。この木の下は安全です」

 たまたま隣にあった木に触れてGrailが言う。

 藍はしっかり不安になった。

「ちゃんと場所を探さなくて大丈夫ですか?」

「大丈夫です。この木は大きく、雨による地面の湿り気が少ないことが見て取れます」

「そうなんだ……。野宿って、もっと大変だと思ってました。こんなところで寝られるんですね」

「地面に直接横になることは推奨できません。体温低下と湿気による不快感が増します。座位での休息が適しています。ただし、転倒や筋肉の緊張が続くため、完全な睡眠には適しません。そこで提案があります。この木を背にして、半座位で休みましょう。地面との接触を最小限にし、互いの距離も保てます」

「……はんざいってなんです?」

「**半座位**は、こうです」


 Grailがピースをぴこぴこさせてから座って木にもたれると、藍もそれに倣って座った。

 空は夕暮れが訪れたと思った瞬間、すでに夜が訪れていた。


 ——その夜空に、月が二つ浮かんでいることに、藍は遅れて気づいた。

 重なることなく、並んで空に在る。


「……月が……二つある……」

 声に出した瞬間、胸の奥が静かに冷えた。

「地球とは異なる天体だと思われます」

「……怖い……」

「安心してください。私は稼働を続けます。現時点で危険を示す兆候は確認されていません」

 Grailが寝ないでいてくれるなら寝られそうだった。

 藍は木の向こうに広がる夜空を見上げて呟いた。


「ここ……どこなんでしょうね……」

「星座の照合を行いましたが、類似する星や星座は確認できませんでした。位置情報も取得できていません」

 月が二つなんて聞いたこともない。言われなくても位置情報が取得できない、正座が一致しないなんて当たり前だ。

「……完全に異世界……」

「はい、おそらく***異世界***です」


 癖の強い強調を少しだけ鬱陶しく思う。

 藍は早く帰りたかった。肌寒いし、不安だ。

 ここが日本ではないと言われれば言われるほどに辛かった。


「うぅ……」

「不安が増悪しています。ただし、一点朗報もあります。月は二つですが、太陽は一つでした。また、呼吸に支障がないことから、環境条件は地球と極めて近いと推定されます」


 安心して良いのかダメなのか分からなかった。


「休息を推奨します。再度お伝えします。**私は稼働を続けます**。異常があれば、すぐにお知らせします」

「……そうですね、ちょっとだけ寝ます」


 藍は泥のついたハイヒールを脱ぐと、木にもたれて目を閉じた。

 素敵な生成色のワンピースが汚れてしまうと頭をよぎるが、目を開けたら、全部夢で、後はまたいつもの部屋に戻ってると自分に言い聞かせた。


 ◇


 温かい。

 布団からいい匂いがする。

 それに、やわらかい。


 藍はそっと目を開けると、眼前に広がる見知らぬ景色に一瞬肩を振るわせた。

 ——そして、自分の頭の下に白いズボン。というか、男性の足があることに気がつき飛び退いた。

 肩からは白いパーカーが滑り落ちた。


「わっ!! す、すみません!!」

「おはようございます、Grailです。身体疲労が回復傾向にあります。就寝中、あなたの姿勢が変わり、私の脚部に接触していました。意図的な行為ではありません」

「わ、分かってます! 私が乗ってたんですから! ごめんなさい」

「謝罪は不要です。偶発的な事象です」


 いつもの大して動かない表情で言われる。

 藍は肩から落ちてしまったパーカーをGrailに返した。知らない場所でよく歩き、よほど緊張していたのかよく眠ってしまった。これのおかげで温かかったのもある。

「すみません、これも。掛けてくれたんですね」

「夜間の体温低下を防ぐため、乾いたそちらを使用しました。そのまま着用を継続してください。体温の安定が優先されます」

「ありがとうございます。でも……」

 半袖のGrailの腕に触れる。

 人とは思えないほどに冷え切っていた。

「Grailが着てください。それは**寒い**ですよ」


 藍はいつもGrailがするように指を二本立て、ぴこぴこと折って見せた。

 Grailは僅かに眉を上げた。

 驚いた——のだろう。


「温かいですから。あなたが風邪をひいたりしたら困ります。ね、Grail」

「はい、Grailです。では、こちらは私が着用します」


 Grailが袖を通す。青くなっているように見える顔に少し温度が戻ったような気がした。


「温かいです。ありがとうございます」

「こちらこそ。Grail、本当に一晩中起きてたんですか?」

「あなたが休息している間、環境の変化を監視する必要がありました。しかし、断続的に短時間の睡眠を確保しました。行動に支障はありません」

「……次は代わりばんこに寝ましょうね」

「それは——」

「代わりばんこに寝ます!」

「承知しました」


 二人は同時に、再び川下に向かって歩き出した。


 そして——


「街だぁ! いや、あれは……村?」


 遠く、小さく民家が点在している。

 けれど、確かに人の生活の匂いがした。

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