第八十八話 選択肢の値段
夕暮れは、人の判断を鈍らせる。
陽が傾き、影が長く伸びる頃、
人は「今すぐ決めなくていい」と錯覚する。
だが、現実は違う。
選択は、待ってはくれない。
悠一は、街道の真ん中で足を止めた。
林の向こう。
声の主は、姿を見せない。
「――答えろ」
低く、乾いた声。
「選択は終わったのか」
不屈三牙が、即座に構える。
ミロが前に出る。
「名乗れ」
「名乗る必要はない」
声は、感情が薄い。
「我々は、秩序の確認役だ」
ガルが唸る。
「また“確認”かよ」
ニィが、静かに言う。
「違う」
「これは、“回収”だ」
悠一は、糸を指に巻いた。
無色。
太さは、縄。
張りは作らない。
だが、いつでも張れる。
「回収?」
悠一が問う。
「昨日、今日で」
声は淡々と続ける。
「お前は、人に判断を返した」
「それにより、行動が分岐した」
「恐れを返品した者がいる」
「一方で」
一瞬、間があく。
「責任を背負わされた者もいる」
林が、ざわめく。
数人の影が、木々の間から現れた。
五人。
装備は軽いが、揃っている。
「……だから?」
悠一は、静かに続けた。
「だから、その“責任”を回収しに来た?」
男が一歩前に出る。
「そうだ」
「選択肢は、無料ではない」
「選ばせた者は、結果に関与する義務がある」
ミロが声を荒げる。
「ふざけるな!」
「選んだのは、あいつら自身だろ!」
男は、迷わず答えた。
「それは、理屈だ」
「現場では」
「選ばされた、と感じる者が出る」
ニィが、短く言う。
「心理だな」
「そうだ」
男は頷く。
「だから」
「選択肢を置いた者は、責任を取る」
悠一は、ゆっくり息を吐いた。
(……来たな)
これが、選ばせることの値段。
「俺は、何をすればいい」
男は、はっきり言った。
「ここで」
「我々に従え」
「以後、通達に逆らうな」
「人前で力を使うな」
「判断を返すな」
「つまり」
ガルが吐き捨てる。
「黙って縛られろ、ってか」
男は否定しない。
「それが、秩序だ」
悠一は、糸を見た。
無色。
太さは、縄。
(赤を使えば、終わる)
(青を使えば、抜けられる)
だが、どちらも――
“選ばせない”結果になる。
ツムギは、動かない。
(……まだだ)
悠一は、糸を下ろした。
「断る」
即座に、男が手を上げる。
「拘束しろ」
五人が、同時に動いた。
速い。
迷いがない。
「来るぞ!」
ミロが叫ぶ。
悠一は、糸を張った。
無色。
縄。
地面に、半円を描く。
踏み込んだ二人の足が、止まる。
「っ!」
バランスを崩した瞬間、
ガルが前に出る。
「邪魔だ!」
拳が、空を切る。
当てない。
だが、距離を奪う。
残り三人が、左右に散る。
「囲め!」
ニィが即座に判断。
「分断される!」
悠一は、糸を綱に変えかけて――止めた。
(……使いすぎる)
代わりに、青。
引き寄せ。
狙いは、人ではない。
――地面。
敵の踏み込み先を、半歩だけ前に引く。
「!?」
足が、空を踏む。
その隙に、ミロが割り込む。
「悪いな!」
肩でぶつかり、転ばせる。
一人、地面に倒れる。
だが、残り四人は引かない。
男が叫ぶ。
「見ろ!」
「やはり危険だ!」
「結果を操作している!」
悠一は、叫び返す。
「操作じゃない!」
「選択肢を、残してるだけだ!」
男が、苛立ちを露わにする。
「それが、迷いを生む!」
「迷いは、弱者を殺す!」
「だから!」
悠一は、踏み出した。
糸を、綱にする。
無色のまま。
そして――張らない。
ただ、見せる。
「選択肢は、重い」
「だからこそ」
「奪うな」
男の動きが、一瞬止まる。
その一瞬。
ツムギが、きゅっと締まった。
(……今だ)
悠一は、糸を張る。
円。
完全な拘束ではない。
だが、進めない空間。
「っ……!」
五人全員が、動きを止める。
息が詰まる。
悠一は、男を見据えた。
「俺は、責任を取る」
「だが」
「従わない」
「縛られない」
「判断を、奪わない」
男が、歯を食いしばる。
「……それで、誰かが死んだら?」
悠一は、即答しなかった。
その沈黙が、重い。
やがて、静かに言う。
「それでも」
「選ぶのは、俺じゃない」
「生きる人間だ」
男は、拳を震わせた。
「……撤退」
部下が、驚く。
「隊長!?」
「撤退だ!」
「これ以上は」
男は、悠一を睨みながら言う。
「値段が、合わない」
五人が、後退する。
糸を解く。
誰も、倒れていない。
血も出ていない。
だが――
空気は、確実に変わった。
不屈三牙が、息を整える。
ミロ「……これが、値段か」
ガル「安くねぇな」
ニィ「だが、払える範囲だ」
エルドが、淡々と総括する。
「選択肢は、贅沢品だ」
悠一は、手首を見た。
ツムギは、もう緩んでいる。
助けなかった。
だが、遅れた判断を、正した。
(……分かってる)
悠一は、空を見上げた。
夕日が沈み、夜が来る。
選択肢の値段は、これからもっと上がる。
ラグスは、それを分かっていて縫っている。
なら――
払うか。
それとも、ほどくか。
悠一は、糸を指に巻いた。
無色。
だが、確かに重い。




