第八十二話 正しい未来は、縫われていた
朝の街道は、乾いていた。
風は穏やかで、空は高い。
旅にはちょうどいい天気――のはずなのに、足取りが重い。
悠一は、歩きながら何度も周囲を見た。
糸は出していない。
だが、張りが薄く広がっている。
(……人が少ない)
街道とは本来、もっと雑多だ。
荷車があり、行商がいて、旅人がいる。
それが、この道には――いない。
「静かすぎるな」
ミロが言った。
「町を出た時の静けさとは違う」
ガルが頷く。
「“いない”って感じだ」
ニィが淡々と補足する。
「避けている」
「誰が?」
ガルが聞く。
ニィは悠一を見る。
「人が」
「……俺を?」
悠一は、苦笑した。
「噂がここまで先回りしてるか」
エルドが、少し後ろから言う。
「噂じゃない」
「指示だ」
悠一が足を止めた。
「……指示?」
エルドは答えない。
だが、視線が遠くを指す。
丘の向こう。
街道の分岐。
そこに――簡易な関所のようなものが見えた。
木の柵。
人影。
槍。
見張り台。
「……誰だ」
ミロが眉を寄せる。
「国か?」
ニィが首を振る。
「国の制服じゃない」
ガルが唸る。
「じゃあ盗賊か?」
「違う」
悠一が言った。
「盗賊なら隠れる」
「これは、見せている」
悠一たちは、ゆっくり近づいた。
見張り台の男が、声を張る。
「止まれ!」
「ここから先は通行を制限する!」
「理由は?」
ミロが問う。
男は、迷いなく答えた。
「治安維持だ!」
「……治安?」
悠一が一歩前に出る。
「誰が決めた」
男は、少しだけ言葉に詰まる。
「……町だ」
「町が、危険を避けるために」
「危険とは」
男は、悠一を見る。
「……噂の糸使い」
空気が、わずかに歪む。
不屈三牙が同時に動く。
ミロが低く言う。
「つまり、俺たちを通さないってことか」
ガルが拳を握る。
「殴るか?」
ニィが即座に止める。
「殴れば、噂が正当化される」
悠一は、静かに言った。
「通る」
男が声を荒げる。
「駄目だ!」
「上からの指示だ!」
「上?」
悠一の胸に、冷たい確信が刺さる。
(……ラグス)
本人がいるかどうかではない。
“思想”がもう動いている。
悠一は、糸を出さない。
代わりに、言葉を出した。
「誰が指示した」
男は歯を食いしばる。
「……俺たちは、正しいことをしている!」
「町を守ってる!」
悠一は、地面を見て言う。
「それ、誰かの言葉だな」
男の肩が、揺れた。
図星だ。
エルドが淡々と言う。
「借り物の正義は、安い」
男が睨む。
「安くない!命がかかってる!」
「なら、なおさらだ」
エルドの声は変わらない。
「自分で決めろ」
沈黙。
だが、男の後ろから別の声が飛ぶ。
「決めてる!」
「俺たちは、危険を通さない!」
別の男。
さらに数人が出てくる。
彼らは統率されている。
だが、目は揺れている。
(……恐れで縫われてる)
悠一は、糸を指に巻く。
赤は使わない。
青も使わない。
無色で、縄ほどの太さにする。
「近づくな」
それだけで、彼らの足が止まる。
威圧ではない。
現実だ。
「……やっぱり危険だ!」
誰かが叫ぶ。
「見ろ、止めただろ!」
「糸で!」
悠一は、低く言った。
「止めたのは糸じゃない」
「お前たちの判断だ」
誰も答えない。
悠一は続ける。
「俺は、お前たちを傷つけない」
「だが」
「通行を止めるなら、理由を出せ」
「誰がいつ、何をした」
「噂じゃなく、事実を言え」
沈黙。
彼らは事実を持っていない。
持っているのは、恐れと命令だけだ。
⸻
その時、馬の蹄の音がした。
柵の向こうから、一騎。
黒い外套。
装備は軽いが、無駄がない。
男が柵の前で止まり、周囲を見回した。
「……揉めているな」
淡々とした声。
見張りの男たちが、一斉に姿勢を正す。
(……上だ)
悠一は、目を細めた。
男は悠一を見る。
「噂の糸使いか」
「そうだ」
「ここは通れない」
「理由は」
男は即答した。
「秩序のためだ」
言葉が、冷たい。
「秩序?」
「選択肢が増えすぎた」
「混乱が起きる前に、道を絞る」
悠一は言った。
「道を絞れば、行き場を失う者が出る」
男は頷いた。
「出る」
「だが、それが必要だ」
ミロが声を荒げる。
「必要って、誰が決めた!」
男は視線も揺らさず答える。
「決める者がいる」
「……誰だ」
男の口が、わずかに歪む。
「名は言えない」
(……影)
ラグスの手が、もう伸びている。
悠一は、静かに言った。
「なら、俺は引き返す」
不屈三牙が驚く。
ガル「引くのか?」
ニィ「……判断か」
ミロ「ここで殴れば負けだ」
悠一は頷く。
「そうだ」
「ここで戦えば、相手の正義が完成する」
男が少しだけ眉を上げる。
「……賢い」
「だが」
「どこへ行こうと、道は同じだ」
悠一は、目を細めた。
「つまり?」
男は淡々と言う。
「お前が行く先には、同じ“絞り”が入る」
「選択肢は、減っていく」
それは、宣言だった。
悠一は、糸を指に巻き直す。
赤も青も使わない。
だが、張りは強くなる。
(……来る)
避けられない。
帰り道、不屈三牙が並ぶ。
ミロ「……今のが“現場”か」
ガル「戦わずに、追い詰められた」
ニィ「秩序の名で、縫われた」
エルドが、悠一に言う。
「道を塞がれたな」
「……ああ」
「そして」
エルドは淡々と続ける。
「お前が動けば動くほど」
「向こうは“正しい”顔をする」
悠一は息を吐いた。
「なら」
「俺も、正しい顔をする」
「……どうやって」
「選ばせる」
悠一は言った。
「俺を縫うなら」
「俺は、縫い返さない」
「――ほどく」
次はもう、前哨ではない。
ラグスの正義が現場に出た以上、
悠一は「戦う理由」を手にしてしまった。




