第八十一話 秩序は、誰の手にある
夜明け前の空気は、澄みすぎていた。
町を出て半日。
街道沿いの小さな野営地で、悠一たちは足を止めていた。
焚き火は小さく、音も最小限。
目立たないように、というより――目立つ理由がないからだ。
糸は出していない。
だが、周囲の気配は自然と掴める。
(……静かだな)
不屈三牙も、同じことを感じているらしい。
ミロは地図を眺めながら、眉を寄せていた。
「次の町まで、あと一日」
「静かすぎるのが、逆に気になるな」
ガルが薪を足しながら言う。
「追ってくる気配はねぇ」
ニィが首を横に振る。
「追うなら、もっと前だ」
「……観測か」
悠一は、焚き火を見つめた。
観測。
この言葉が、最近やけに現実味を帯びている。
「エルド」
名を呼ばずに、声を投げる。
エルドは荷を整えたまま、答えた。
「今は、見ているだけだ」
「誰が」
「全員だ」
短い答えだったが、十分だった。
⸻
同じ頃。
街道から少し離れた場所。
一つの拠点で、数人が集まっていた。
灯りは抑えられ、地図が広げられている。
「……町は、受け入れたそうだ」
低い声。
報告役の男が、紙を差し出す。
「力を振るわず」
「管理も拒否し」
「町に判断を返した」
対面に座る女が、紙に目を落とした。
長い黒髪。
装備は実用一点張り。
余計な装飾はない。
ラグスだった。
「……理想論だな」
静かな声。
「だが、成立している」
「今のところは」
別の男が言う。
「国も動きました」
「観測、保留」
「商人も失敗しています」
ラグスは、紙から目を離した。
「当然だ」
「扱いにくすぎる」
「……危険では?」
「いいや」
ラグスは、即座に否定した。
「危険なのは、力そのものじゃない」
「判断を委ねる存在だ」
男が眉をひそめる。
「委ねる?」
「そう」
ラグスは、地図の一点を指でなぞった。
「力を持つ者が、判断を拒否する」
「これは、秩序にとって最悪だ」
「なぜなら――」
一拍置く。
「人は、楽をする」
「判断を返された者は、必ず迷う」
「迷いは、分断を生む」
「分断は、争いを呼ぶ」
男は、納得しかねる顔だ。
「だが、今はうまくいっている」
「“今は”だ」
ラグスは、冷たく言った。
「長くは持たない」
「誰かが、責任を背負いたくなる」
「誰かが、決めてほしくなる」
「その時――」
視線が鋭くなる。
「彼は、拒否する」
「拒否されれば、人は怒る」
「怒りは、正義を装う」
沈黙。
ラグスは、静かに息を吐いた。
「……秩序とは」
「人が迷わず、同じ方向を向けることだ」
「選択肢が多すぎる世界は、弱い」
「彼は」
「選択肢を増やしすぎる」
男が、慎重に聞く。
「……排除すべきでしょうか」
ラグスは、首を横に振った。
「まだだ」
「彼は、破壊者ではない」
「だが」
「放置もできない」
別の女が、口を開く。
「では、どうする」
ラグスは、即答した。
「戦う」
一同が、息を呑む。
「ただし」
ラグスは続ける。
「力比べではない」
「思想だ」
「彼が、選ばせる存在なら」
「私は、選ばせない存在になる」
「秩序のために」
「正しい未来を、縫い止める」
誰も、異を唱えなかった。
⸻
焚き火の前。
悠一は、突然、胸に違和感を覚えた。
糸が、わずかに張る。
色は無色。
だが、向こう側から引かれた感触。
(……誰かが、決めたな)
不屈三牙も、同時に顔を上げる。
ミロ「……来る」
ガル「感じたか」
ニィ「向こうから、踏み出した」
エルドが、静かに言う。
「意思だ」
「……誰の」
「秩序を語る者の」
悠一は、ゆっくりと立ち上がった。
戦闘ではない。
だが、もう――避けられない。
「……やっとか」
小さく、そう呟く。
選ばせる旅は、ここまで来た。
次は――選ばせない者との対峙。
糸は切れていない。
赤も、青も、使っていない。
だが、
向こうが先に、結ぼうとしている。




