第七十話 正論商人と、糸の無駄遣い選手権
野営地は、平和だった。
焚き火がぱちぱち鳴り、鍋の湯が小さく泡を立てる。
遠くでフクロウが鳴いて、風が木々を揺らす。
――平和なのは、場所だけだ。
「よし、今夜は“焚き火の効率”を上げる」
悠一が、妙に真剣な顔で言った。
不屈三牙が、三人そろって身を乗り出す。
ミロが頷く。
「効率は大事だ。旅の強さは生活力」
ガルが腕を組む。
「火は大きいほど強い」
ニィが冷静に言う。
「火が大きいと燃料が減る。逆効果」
ガルが即座に返す。
「逆は正だ」
ニィが少し黙る。
「……その理屈は嫌い」
エルドは、焚き火の横で干し肉を炙っていた。
視線は動かない。
反応もない。
だが存在だけが圧を持っている。
悠一は咳払いをして、両手を広げた。
「見てくれ。これが――糸の可能性だ」
ツムギが、肩口でぴょんと跳ねた。
見世物の合図みたいに。
エルドが淡々と口を開く。
「やめろ」
早い。
悠一は「まだ何もしてない」と言いかけて止まった。
エルドの“やめろ”は、説明がない。
だが、だいたい当たる。
「……いや、今日は大丈夫」
悠一は謎の自信で言った。
「火を煽るんじゃない。逆だ」
「逆?」
ミロが身を乗り出す。
「火を“整える”」
悠一は指先から無色の糸を出し、焚き火の周囲にふわりと張った。
まるで、透明な幕。
「これで風を制御して――」
火が、消えた。
しゅん。
鍋の泡が止まり、静寂が落ちる。
ガルが真顔で言う。
「火が負けた」
ニィが即座に言う。
「火に勝ち負けはない」
ミロが、悠一を見る。
「……整いすぎたな」
悠一は、ゆっくりと幕の糸を外した。
火が、戻らない。
「……戻らないな」
エルドが、干し肉を持ったまま淡々と言う。
「当然だ」
「当然なのかよ」
悠一が呻く。
「火は風だけで燃えているわけじゃない」
エルドが続ける。
「酸素が要る」
「……うん」
「お前は酸素を断った」
「……うん」
「つまり」
エルドは悠一を見ずに言った。
「飯を断った」
悠一が頭を抱える。
不屈三牙は、なぜか敬礼みたいな姿勢になっている。
ミロが小声で言う。
「……エルドのツッコミ、今日も強いな」
ガルが頷く。
「正論は刃物」
ニィが補足する。
「鈍器でもある」
悠一は「ごめん」と呟きながら火種を探し始めた。
⸻
「なら、次だ」
火をなんとか復活させた後、悠一は懲りずに言った。
「今度は“食糧効率”を上げる」
エルドが即答。
「やめろ」
「いや今回は“釣り”だ」
悠一は誇らしげに針を取り出す。
「針と糸で簡易釣り竿――」
「今ここ森だぞ」
エルドが静かに言った。
悠一が止まる。
「……川は、ある」
「あるが、夜だ」
「夜でも釣れる」
「釣れる」
エルドは頷いてから言った。
「だが、お前が釣れるとは言ってない」
ミロが噴き出しそうになり、真顔を装う。
ガルが言う。
「俺が釣る」
ニィが即座に止める。
「お前は川に落ちる」
ガルが胸を張る。
「落ちない」
ニィが淡々と続ける。
「落ちる未来が見える」
ガルが怒る。
「見えるな!」
悠一は無理やり会話を戻した。
「……よし、釣りに行く」
三組で川に向かった。
⸻
川は静かで、月が水面に揺れている。
悠一は糸を垂らし、針を沈めた。
不屈三牙は背後で作戦会議を始める。
ミロ「釣りとは戦いだ。まず相手の動線を読む」
ガル「魚の動線を殴る」
ニィ「殴れない」
ガル「じゃあ魚を説得する」
ニィ「魚は言葉を理解しない」
ガル「理解するまで話す」
ニィ「お前が疲れる」
ミロ「黙れ。今は静寂が武器だ」
その瞬間、ガルが咳払いをして、枝を踏んだ。
ばき。
川の魚が全員いなくなった気配がした。
悠一がゆっくり振り返る。
ガルが、胸を張る。
「……戦いは、始まった」
ニィが小声で言う。
「終わった」
ミロが頭を抱える。
「静寂が死んだ……」
悠一は息を吐き、再び糸を垂らす。
ツムギが、釣り糸の先で小さく形を変え――魚の形っぽくなった。
「お前、何してる」
悠一が言う。
ツムギは「魚です」みたいに揺れる。
「魚じゃない」
エルドが淡々と言う。
「偽物の魚は釣れない」
ツムギがしゅんと戻る。
悠一は笑いそうになり、我慢しながら言った。
「……いや、囮としては」
エルドが即答。
「囮は、餌でやれ」
正論が飛んでくる。
悠一は釣りを諦めかけた。
その時――糸がぴくり。
「来た!」
悠一が竿を上げる。
針の先に、石が付いていた。
ミロが真顔で言う。
「……相手は強敵だったな」
ニィが言う。
「川の底に負けた」
ガルが拳を握る。
「川の底、許さない」
エルドが静かに言う。
「許してやれ」
「なぜだ」
「川の底は仕事をしている」
「……仕事?」
「石としてそこにいる」
ガルが納得した顔をした。
「石の仕事……尊い」
悠一が膝から崩れた。
⸻
野営地に戻ると、不屈三牙がなぜか“釣りの反省会”を始めた。
ミロ「次は音を殺す。俺たちの呼吸も殺す」
ニィ「殺しすぎると死ぬ」
ガル「じゃあ一回死んでみる」
ニィ「やめろ」
エルドが干し肉を炙りながら言う。
「反省会は腹が満ちてからやれ」
ミロが聞く。
「腹を満たす方法は」
エルド「食う」
「……食材がない」
エルドが、焚き火の横に置いてある袋を指差す。
「ある」
悠一が目を丸くする。
「……それ、いつの間に」
「最初から」
「最初から!?」
「お前が火を消した時も、ここにあった」
「なんで言わない!」
エルドは淡々と返した。
「言う必要がなかった」
「必要しかないだろ!」
エルドは袋から、乾燥豆と塩を取り出した。
「旅は段取りで決まる」
悠一が呻く。
「段取りを俺に教えろ……」
エルド「見て覚えろ」
「冷たい!」
「現実だ」
不屈三牙が、なぜか深く頷いている。
ミロ「現実は冷たい……」
ニィ「だから正しい」
ガル「正しさは温められないのか」
エルドが鍋に豆を入れながら言う。
「温めるのは火だ」
ガルが感動した顔をした。
「……哲学だ」
悠一が即座にツッコむ。
「違う!料理だ!」
エルドが小さく頷く。
「そうだ」
それだけで、悠一は負けた気がした。
⸻
豆が煮える間、悠一は糸を指に巻き直していた。
赤、青、無色。
そして太さ。
あれだけのことがあっても、糸は手放さない。
(……俺、何してるんだろうな)
楽しくなってしまう。
無駄に試したくなる。
強くなりたいわけじゃない。
でも――うまくなりたい。
そこに、エルドの声。
「お前」
悠一が顔を上げる。
「糸を弄るのはいい」
「だが、飯の前に弄るな」
「なんでだよ」
「指が汚れる」
「……それだけか」
「それだけだ」
正論が、今日一番弱い理由で刺さった。
不屈三牙が、同時に笑った。
ミロが言う。
「結局、強さってこういうことかもしれないな」
ガルが頷く。
「飯を守れるやつが強い」
ニィが淡々と補足する。
「指を守れるやつも強い」
悠一は笑った。
疲れが少しだけ抜ける。
ツムギが、鍋の湯気に向かってふわふわ揺れる。
いい匂いに惹かれている。
エルドが言う。
「それは食えない」
ツムギが止まる。
悠一が言う。
「食うなよ、ツムギ」
ツムギは「食いません」みたいに揺れた。
エルドが鍋を見て言う。
「……食えるのは豆だ」
ガルが聞く。
「豆は敵か?」
ニィが即答。
「敵ではない」
ミロが頷く。
「豆は味方だ」
ガルが真顔で言う。
「なら勝てる」
悠一が腹を抱えた。
「勝つな!」
エルドが淡々と言う。
「勝っていい」
「豆に勝って何になる!」
「腹が満ちる」
悠一が止まる。
それは、確かに正しい。
正しすぎて、笑ってしまう。
焚き火の前で、
三組は笑って、食って、次に進む。
次の章は、また重い。
信念が信念をぶつけ合う場所へ行く。
でも今夜だけは――
正論で殴られて、笑って、腹を満たす。
それでいい。
明日歩くために。




