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強くならない俺が、糸で異世界を生きている。  作者: 優未緋


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第六十六話 嘘は、ほどく前に縛る


朝の井戸は、静かだった。


静か――というより、

誰もが声を出す前に一度、周囲を見回している。


昨日、殴り合いが止まった。

代表会議が形を作った。

順番が貼られ、確認役が立つ。


それは“秩序”のはずだった。


だが秩序は、脆い。

脆いからこそ、誰かの指先で簡単に揺れる。


井戸の横の掲示板には、紙が貼られている。

今日の水汲み順。

そして確認役の名前――古参側と最近側、二人体制。


古参側は、昨日もいた年配の女代表。

最近側は、昨夜「俺がやる」と前に出た男。


二人は板の前に立ち、互いに距離を取りながらも、同じ紙を見ている。


それだけで、昨夜の“合意”は形になっているように見える。


だが――

人の視線は、紙ではなく二人の顔を見ていた。


疑いを探す目。


「……よし」


古参側の女が、紙を指でなぞった。


「一番は、東の四軒」


最近側の男が頷く。


「次が、川沿いの二軒」


声が、井戸の周りへ広がる。


人々が動く。

桶が並ぶ。

順番が流れ始める。


(……今のところは)


悠一は少し離れた場所から、その様子を見ていた。

不屈三牙も壁際にいる。


ミロは腕を組み、ガルは落ち着かない様子で足を揺らし、ニィは人の顔ばかりを観察している。


ツムギは肩口で静かだ。

介入の気配はない。


(……今日は、何も起きない)


そんな期待を持った瞬間が、一番危ない。


悠一は知っている。


“絡ませる”者は、

人が「もう大丈夫だ」と思った瞬間を狙う。



最初の異変は、紙だった。


板の端に、もう一枚、紙が増えていた。


誰かが貼った。

いつ貼ったか分からない。


だが、そこには同じような字で、同じような体裁で、こう書かれていた。


「本日の順番・修正版」


(……修正版?)


悠一の背筋が冷えた。


古参側の女が先に気づき、紙を剥がそうとする。


「誰がこんな……」


最近側の男が手を伸ばし、止めた。


「待て」


「……何だ」


「これ、内容が違う」


二人の声が、井戸の周りへ広がる。


人々の視線が一斉に板へ向く。


「違うって……どう違うんだ」


「確認役が二枚も読んでるぞ」


ざわめきが起きる。


古参側の女が苛立ちを抑えながら言う。


「昨日決めたのは、この紙よ」


「それは分かる」


最近側の男が言い返す。


「だが、こっちには“代表会議で合意済み”と書いてある」


「合意してない」


「じゃあ、誰が貼った」


「知らない!」


声が荒くなる。


秩序はまだ始まったばかりだ。

それなのに、最初の一手で“確認役同士の食い違い”を作られた。


(……嘘で裂く)


ラグスが言っていた“成功の悪用”が、もう来た。


昨日の二人体制――

それを利用して、二人の言葉を違わせる。


違えば、町は言う。


「ほらな」

「二人にしたら揉めるだけだ」

「よそ者は信用できない」

「古参は意地悪だ」


正義と正義が、また殴り合いに戻る。


(……最悪だ)


不屈三牙が動きかける。


ミロが前へ出ようとするのを、ニィが止めた。

ガルはもう、拳を握っている。


悠一は、深く息を吸った。


(……ここで糸を使う?)


赤なら、誰かの未来を変えられる。

例えば、貼った犯人の行動を変える。

例えば、群衆の次の一歩を変える。


青なら、引き寄せて間合いを作れる。

例えば、騒ぎの中心人物を引き寄せ、声を届かせる。


だが――


(……ここは“人の正義”の場だ)


糸で捻じ曲げれば簡単だ。

だが、その瞬間から悠一は“言葉の場”を壊す。


(切れば楽だ)


(だが切らない)


悠一はまず、状況を見た。


新しい紙は、古い紙より少しだけ湿っている。

糊の匂いが新しい。

今貼られたばかり。


つまり、貼った者は――近くにいる。



「どっちが本物だ!」


人が怒鳴る。


古参側の女が、声を張った。


「本物はこれよ!」


最近側の男が叫ぶ。


「待て! 俺は“修正版”の存在を知らされてない!」


その一言が、悪い。


知らされてない。

つまり「隠された」。

つまり「古参が裏で決めた」。


そんな連想が、群衆の頭の中で一瞬で繋がる。


(……言葉が勝手に縁を結ぶ)


「やっぱり古参は信用できない!」


「よそ者が嘘ついてんだろ!」


「確認役、二人にした意味がねえ!」


秩序が、“確認役そのものへの攻撃”に変わる。


確認役が折れたら終わる。


(……守るのは紙じゃない)


(守るのは、仕組みだ)


悠一は前へ出た。


真正面からではない。

群衆の斜め、板の横へ。


そして、声を張る。


「紙は一枚でいい」


全員の視線が、悠一に刺さる。


「よそ者だ!」


「また口出しだ!」


罵声が飛ぶ。


だが悠一は続けた。


「紙が二枚あるなら」


「まず決めた“決め方”に戻れ」


「決め方?」


古参側の女が、苦い顔で呟く。


悠一は頷く。


「言葉が違ったら、代表会議が集まる」


「そう決めた」


「今が、その時だ」


最近側の男が目を見開いた。


「……今?」


「今」


悠一は言い切った。


「今ここで、殴り合う前に」


「代表を呼べ」


群衆がざわめく。


「代表なんて待ってたら水が――」


「水が足りないなら、なおさら殴れない」


悠一は短く返した。


その時、板の前で誰かが小さく笑った。


音が小さいのに、妙に耳につく笑い。


悠一の視線が、その方向へ走る。


少年――いや、若い男。

町の者か外から来たか分からない顔。

だが、手が妙に綺麗だ。


糊を扱った手だ。


(……こいつだ)


確信まではいかない。

だが、直感が叫ぶ。


(貼ったのは、こいつ)


ここで赤を使えば、未来を変えられる。

彼の次の行動を縛れる。


だが――


(支配に近い)


赤は、最後だ。


悠一は、青を選んだ。


青は「引き寄せ」。

だが、人を引き寄せるのではない。


悠一は、掲示板の端にある“糊の壺”に糸を絡めた。


糊の壺は、小さく重い。

引き寄せれば、音が出る。

目線が動く。


青い糸が、一瞬だけ走る。


糊の壺が、滑って悠一の足元へ寄る。


「――何だ?」


周囲の視線が、壺へ落ちる。


その一瞬、手の綺麗な若者が、反射で背中を向けた。


逃げようとした。


(……やっぱり)


悠一は無色の糸に切り替える。


縄に太さを変え、地面に這わせる。


足を縛らない。

ただ、進路を削る。


若者の足がもつれ、転びかける。


「っ!」


彼は踏みとどまったが、立ち止まった。


その瞬間、ニィが動いた。


「……誰だ」


声は低い。

だが、刺さる。


ニィは若者の前に立った。


「紙を貼ったのは、お前か」


若者が笑う。


「証拠は?」


「糊」


ニィが足元の壺を指す。


「手が綺麗」


「今ここで貼った」


若者の表情が、僅かに歪む。


群衆がどよめく。


「やっぱり誰かが煽ってた!」


「誰の差し金だ!」


若者は肩をすくめた。


「差し金? 大げさだな」


「俺はただ……面白くしただけだ」


その言葉に、空気が凍る。


面白くした。


つまり、争いを遊びにした。


古参側の女が怒鳴る。


「ふざけるな!」


若者は、にやりと笑った。


「だってさ」


「二人体制って、結局“疑い合う仕組み”だろ?」


「違うって言うなら、証明してみろよ」


(……挑発)


彼は分かっている。


町の正義同士が今、ぎりぎりで立っていることを。


そして、もう一押しで倒れることを。


(……こいつは単なる悪戯じゃない)


(“置かれた糸”の末端)


悠一の背中に、冷たい気配が触れた。


見えない糸。


ラグスの気配は、姿を見せずに“そこにある”。


(観測してる)


(この町が裂けるかどうかを)



代表会議は、すぐに集まれない。


それが最大の問題だった。


「代表を呼べ」と言っても、畑に出ている者もいる。

町を回っている者もいる。


時間がかかる。


その間に、群衆の怒りがまた燃える。


「そいつを縛れ!」


「叩き出せ!」


「よそ者のせいだ!」


矛先が乱れる。


若者は肩をすくめ、さらに火を注ぐ。


「ほらほら、結局殴るんだろ?」


「言葉で直すんじゃなかったのか?」


ガルが一歩前に出た。


「殴るぞ」


ミロが袖を掴む。


「ガル、駄目だ!」


ガルの肩が震える。


「こいつ……!」


ニィが、短く言った。


「殴れば負ける」


ガルは歯を食いしばった。


悠一は、ここで“ほどく”しかないと理解した。


相手は挑発している。

殴らせたい。

殴らせれば仕組みは崩れる。


なら、殴らせない。


殴らせないためには――

正義の顔を保たせる必要がある。


悠一は、古参側の女に目を向けた。

そして、最近側の男へ。


二人が今、どう見られているか。


古参は「隠している」

最近は「騙されている」あるいは「嘘をついている」


どちらも負けの顔だ。


負けの顔のままでは、群衆は殴る。


(……勝ちの顔を作る)


(勝ちの顔=仕組みが働いた証拠)


悠一は声を張った。


「確認役の勝ちだ」


全員が一瞬、黙る。


「……何?」


古参側の女が、眉をひそめる。


悠一は続けた。


「二枚目の紙が出た」


「二人の言葉が違った」


「だから、代表会議を呼ぶ」


「それが、決めた“決め方”だ」


「今、仕組みは働いてる」


最近側の男が、息を呑む。


(……そうか)


彼は理解した。


これは自分の失敗じゃない。

古参の陰謀でもない。


“仕組みが想定していた事態”が起きただけだ。


古参側の女も、ゆっくり息を吐いた。


「……そうね」


彼女は言葉を選びながら言った。


「私たちは揉めるために二人になったんじゃない」


「揉めた時に殴らないために二人になった」


その言葉が、群衆に落ちる。


空気が、少しだけ変わる。


若者が舌打ちした。


「つまんねえ」


(……効いた)


悠一は思った。


今、言葉で“縁の向き”が変わった。


そしてその瞬間、若者は逃げようとした。


だが――


悠一の判断が、半拍遅れた。


逃げ道を塞ぐ糸が、足りない。


ツムギが、手首に触れた。


介入。


(……遅れた)


ツムギはミサンガにはならない。

加護は使わない。

ただ、悠一の腕を引くような――“気づき”の介入。


悠一は即座に無色の糸を走らせた。


縄。


若者の足元へ絡める。


縛らない。

転ばせない。


ただ、一歩目を奪う。


若者が止まる。


その瞬間、ガルが一歩で距離を詰め、腕を掴んだ。


「逃げるな」


ガルの声は低い。

拳は振るわれない。


ミロが言う。


「殴らないぞ」


ニィが続ける。


「代表会議で決める」


若者が笑った。


「代表会議?」


「そこで俺を裁くのか?」


「裁かない」


悠一が言った。


「確認する」


「誰が貼ったか」


「なぜ貼ったか」


「そして、次に貼る奴が出た時、どうするか」


若者の笑みが、薄くなる。


(……こいつ、背後があるな)


悠一は確信した。


ただの愉快犯なら、ここまで“仕組みを狙って”来ない。

二人体制の弱点を理解していない。


(誰かが教えた)


(もしくは、見せた)


“成功体験を見せる”

ラグスのやり方だ。



代表会議は、結局集まった。


全員が集会所へ移動する。

井戸の前に残る者は少なくなり、怒りの熱も移動する。


場が変わるだけで、人の熱は少し冷める。


集会所で、若者は前に立たされた。


まとめ役の男が問う。


「お前は、何者だ」


若者は肩をすくめる。


「ただの旅人だよ」


「昨日の会議を聞いていたのか」


「聞いてた」


「なぜ、紙を貼った」


若者は笑う。


「試したかった」


「二人体制が本当に機能するか」


古参側の男代表が怒鳴る。


「ふざけるな!」


最近側の男代表が言う。


「試すって……町を壊す気か」


若者は、軽い口調で答えた。


「壊れるなら、元々壊れてたんだろ?」


その言葉が、場に落ちる。


正しい。

だが、最悪に正しい。


まとめ役の男が、唇を噛んだ。


(……ここで裁けば、また正義が衝突する)


「罰を与えるか?」

「追い出すか?」

「許すか?」


選択肢が増える。


ラグスの匂い。


悠一は一歩前へ出た。


「追い出すのは簡単だ」


場が静まる。


「だが、追い出しても次が来る」


「紙を貼る奴は、また出る」


「だから、今決めるべきは一つだ」


まとめ役が、悠一を見る。


「……何を」


悠一は言った。


「掲示板の管理を“二人”にする」


「確認役とは別に」


「貼る紙は一枚」


「貼り替えは二人の立ち会いでしかできない」


「二人は古参と最近から一人ずつ」


「……また二人か」


古参側の男が唸る。


悠一は頷く。


「二人は揉める」


「だが、揉める場所を“紙”に限定すればいい」


「揉める場所が限定されれば、拳は出にくい」


ニィが小さく呟いた。


「……仕組みで縛る」


ミロが息を吐く。


「それなら、俺たちが昨日やったのも無駄じゃない」


ガルが若者を睨みつける。


若者は、少しだけ笑みを取り戻した。


「へえ」


「面白くなってきた」


(……まだ笑うか)


悠一は、背中の冷たい気配を感じた。


ラグスは見ている。


この町が、嘘で裂けるか。

嘘を“仕組み”で受け止めるか。


悠一は、糸を握りしめた。


赤も青もある。

だが、今日の勝ちは糸ではない。


言葉と仕組みで、最悪を避けたこと。


そして――

ツムギの介入は、遅れた時だけ。


そのルールが守られたこと。


まとめ役が頷いた。


「決める」


「掲示板の管理役を二人」


「貼り替えは立ち会い制」


「破った者は、次の会議で裁く」


若者が肩をすくめた。


「裁くのかよ」


「裁くんじゃない」


まとめ役が言う。


「確認する」


「そして、次に同じことを起こさせない」


若者の目が、一瞬だけ曇った。


(……背後に報告する顔だ)


悠一は確信した。


こいつは終点じゃない。

“置かれた糸”の先に、まだ手がある。


会議が終わり、人々が散り始める。


悠一は集会所の外へ出た。


空気が冷たい。


井戸の方を見ると、列は短くなっている。

それでも、順番は守られている。


完璧じゃない。

だが、崩れていない。


不屈三牙が近づく。


ミロが小声で言った。


「……今の、勝ちか?」


悠一は首を振る。


「勝ちじゃない」


「ただ、今日は裂けなかった」


ニィが頷く。


「裂けなかったなら、十分だ」


ガルが唸る。


「……でもムカつく」


「ムカつくのは正しい」


悠一は言った。


「ムカつく相手に拳を出さないのが、もっと正しい」


ガルが黙る。


その時、背中の冷たい気配が、ふっと消えた。


ラグスが離れた。


観測は終わった。


だが、終わりではない。


悠一は糸を巻き直す。


無色の糸。

そして、色の糸。


使える。

だが、使うほど世界は壊れるかもしれない。


だから、ほどく手を増やす。


ほどく仕組みを増やす。


そのために、歩く。


嘘は、ほどく前に縛る。

だから、縛られたものを切らずにほどく方法を――

この町で、また一つ増やした。


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