第五十九話 選択肢が、多すぎる
違和感は、町に入る前からあった。
空気がざらついている。
人の流れが、妙に細かく分断されている。
(……嫌な町だ)
悠一は、街道の脇で足を止めた。
大きな町ではない。
だが、商業と居住が混ざり合い、路地が多い。
選択肢が、無数にある場所。
(……ここか)
胸の奥が、重く鳴る。
ツムギは、揺れない。
警告はない。
(……もう始まってる)
悠一は、町に入った。
⸻
最初の騒ぎは、小さかった。
「おい、順番を守れ!」
「こっちは先に来てる!」
市場の一角。
水を汲む列で、言い争いが起きている。
よくある揉め事だ。
(……放っておける)
悠一は、通り過ぎようとした。
だが、その先。
別の路地で、怒号。
「返せ!」
「俺のだろ!」
(……同時多発)
悠一は、歩みを止める。
さらに――
遠くで、泣き声。
子どもの声。
(……全部、同時か)
糸に指を掛ける。
無色。
細い。
(……結べば、止まる)
(……だが、どれを)
一つを選べば、他は放置される。
すべてに手を出せば、遅れる。
(……選択肢が多すぎる)
⸻
悠一は、まず一番近い揉め事へ向かった。
水場。
怒鳴っていた二人の間に、立つ。
「……落ち着け」
声を張らない。
「順番だ」
「でも――」
片方が言いかけた、その時。
背後で――
悲鳴。
(……来た)
悠一は、振り返る。
路地の奥で、人が倒れた。
(……怪我)
水場の二人が、ざわつく。
(……ここを離れたら、また荒れる)
(……だが、怪我人を放置できない)
判断が、割れる。
ツムギが、わずかに揺れた。
介入ではない。
ただ、時間が削られている合図。
(……くそ)
悠一は、糸を一本だけ伸ばす。
赤にしない。
青にもできない。
無色の糸を、水場の桶に絡める。
倒れない。
だが、動かせない。
「……順番、守れ」
短く言い、路地へ走る。
⸻
倒れていたのは、老人だった。
転倒。
額から血。
命に別状はない。
だが、放置できない。
「誰か、医者を――」
言いかけた瞬間。
さらに遠くで、割れる音。
陶器。
悲鳴。
(……増えてる)
(……これは、事故じゃない)
悠一は、歯を食いしばる。
(……町全体が、揺らされてる)
老人を抱き起こし、壁に寄せる。
糸を一本。
簡易的に、仮縫い。
止血。
「……大丈夫だ」
「人を呼べ」
そう言い残し、走る。
⸻
次の路地。
今度は、盗み。
若い男が、袋を奪って逃げている。
追うか?
止めるか?
(……追えば、他が壊れる)
(……止めなければ、被害が出る)
糸を太く――
縄。
無色。
足元に置く。
引かない。
ただ、進路を削る。
男は転ばない。
だが、減速する。
そこへ――
別の方向から、怒鳴り声。
「火だ!」
(……最悪)
選択肢が、爆発的に増える。
盗み。
火事。
怪我人。
水場。
(……全部、同時)
(……全員は、無理だ)
その瞬間。
ラグスの声が、頭をよぎる。
――全員を選べない状況。
(……ああ、そういうことか)
悠一は、立ち止まった。
一拍。
二拍。
その一瞬で、
町はさらに騒がしくなる。
ツムギが、強く揺れた。
だが――
まだ介入しない。
(……俺が、選ぶ)
悠一は、深く息を吸った。
(……優先順位)
火事は、広がれば町が終わる。
怪我人は、今すぐ死なない。
盗みは、命に直結しない。
水場は、時間が経てばまた荒れる。
(……火だ)
悠一は、走る。
⸻
火元は、小さな倉庫。
延焼前。
まだ、間に合う。
糸を太くする。
縄。
桶を引き寄せ――
いや、引き寄せない。
青は使わない。
人を集める。
「水を!」
「ここだ!」
声を張る。
糸で、動線を作る。
人の流れを、結ばずに導く。
火は、消えた。
だが――
遅れた。
町の別の場所で、
盗みが成功し、
水場で殴り合いが起き、
怪我人が増えた。
(……間に合わなかった)
悠一は、立ち尽くす。
胸が、重い。
糸は、無色のまま。
太さも、戻っている。
(……全員は、選べなかった)
⸻
屋根の上。
ラグスは、その様子を見下ろしていた。
(……選んだ)
(……そして、捨てた)
それは、責めではない。
確認だ。
彼は、初めて――
明確に、何かを切り捨てた。
(……それでも、背負う顔だ)
町は、完全には救われなかった。
だが、壊滅もしなかった。
中途半端。
それが、最も人を縛る結果。
(……さあ)
(……次は、どうする)
ラグスは、糸を一本、置いた。
無色。
分岐点は、まだ続く。
⸻
夕方。
町外れ。
悠一は、座り込んでいた。
疲労が、骨に染みる。
ツムギが、そっと腕に触れる。
介入。
初めて、
判断の遅れではなく――
判断の重さに対して。
「……ありがとう」
悠一は、小さく言った。
だが、顔は上げない。
(……選べなかった)
(……でも、逃げなかった)
それだけを、胸に刻む。
この町は、完璧には救えない。
それでも――
誰かは、救われた。
ラグスの仕掛けは、成功した。
だが同時に、
悠一が“世界を選ぶ側”に踏み込んだ証でもあった。
選択肢が多すぎる場所で、
選んでしまった。
もう、戻れない。




