第四十九話 太くなった糸の話
酒場の空気は、重かった。
人は多い。
笑い声もある。
だが、言葉の端々に、
妙な熱が混じっている。
「……聞いたか?」
「糸が、縄みたいになったって」
「縛らずに止めたらしい」
「盗賊が、膝から崩れたってよ」
ラグスは、杯に口をつけたまま、視線を伏せていた。
外套を着たまま。
人混みの中に溶けるように座っている。
(……太さを、変えた)
それは、
単なる応用ではない。
「糸は細いものだ」
「縛るか、切るかの二択だ」
多くの使い手は、そう考える。
だが――
太さを選ぶという発想は、
力ではなく、判断の延長だ。
(……やはり)
ラグスは、ゆっくりと杯を置いた。
(彼は、力を増やしていない)
(選択肢を、増やしている)
それは、
最も厄介な成長の仕方だった。
⸻
隣の卓で、男たちが続ける。
「赤い糸は出なかったらしい」
「青もだ」
「無色のまま、太くなったって」
ラグスの指が、ぴくりと止まる。
(……色を使わなかった)
つまり――
まだ本気ではない。
「人混みで、縄だぞ?」
「普通なら事故る」
「でも、怪我人は出なかった」
(……止めただけ)
縛らない。
引き倒さない。
ただ、動線を奪う。
(……優しさ)
(……いや、違う)
ラグスは、目を細める。
(……責任だ)
彼は、
“選んだ結果”を、
すべて背負う覚悟で動いている。
⸻
杯を空にし、立ち上がる。
「もう行くのか?」
情報屋が、低く聞いた。
「ええ」
ラグスは、外套を整える。
「次は?」
「……近くで、見る」
即答だった。
「太くなった糸は、強い」
「でも――」
一拍。
「迷った時に、太い糸は凶器になる」
夜風が、酒場の扉を揺らす。
「彼は、まだ迷う」
「だから、危うい」
「……止める?」
情報屋が問う。
ラグスは、首を振った。
「いいえ」
「彼は、自分で選ぶ」
「それができる人間だと、信じたい」
信頼ではない。
期待でもない。
観測だ。
⸻
屋根の上。
ラグスは、街を見下ろす。
遠くで、松明が揺れている。
(……次は、もっと複雑な場だ)
(……人も、選択も、増える)
唇が、わずかに歪む。
「……楽しくなってきたわ」
それは、
喜びではない。
緊張が高まる感覚だった。
糸が太くなった。
だが――
世界は、それ以上に複雑だ。
彼が、どこで迷うのか。
どこで、結ぶのか。
その瞬間を、
ラグスは見逃さない。
夜に、姿が溶ける。
次に会う時は――
もう、偶然ではない。




