第五話 勝たないという選択
道は、緩やかに下っていた。
森を抜けた先に続くそれは、踏み固められた土と、ところどころに残る轍の跡が混じったものだった。人が定期的に使っているのは間違いない。荷車か、家畜か、あるいはその両方だろう。
悠一は歩きながら、周囲に視線を配った。
第四話で遭遇した盗賊たちの姿は、もう見えない。
――逃げた、か。
彼らが撤退した理由は、はっきりしている。
“分からなかった”からだ。
見えない罠。正体不明の干渉。
剣を振るう相手がいない状況で、人は恐怖より先に不安を覚える。
悠一はそれを、狙った。
「……うまくいった、けど」
胸の奥に、わずかな違和感が残る。
勝ったわけではない。
追い払っただけだ。
それでいいのか、と自問する。
だが、すぐに別の問いが浮かぶ。
――勝つって、何だ。
倒すことか。
屈服させることか。
逃げさせることか。
悠一は答えを出さない。
結論を急がない癖は、こんな時にも顔を出す。
「生き延びたなら……それで、いいか」
独り言は、風に溶けた。
⸻
道の先に、さらに人の痕跡が増えてきた。
踏み跡は深くなり、草が押し分けられ、道の脇には折れた枝や、捨てられた布切れのようなものが落ちている。旅人のものか、盗賊のものかは分からない。
悠一は足を止め、糸を伸ばした。
地面をなぞるように、糸を這わせる。
踏まれた跡の端、わずかに盛り上がった土、草の影。
「……ここも、通るな」
罠というほどではない。
だが、動線は見える。
人は、無意識に“歩きやすいところ”を選ぶ。
それは、どの世界でも変わらない。
悠一は、道の両脇に糸を張った。
足首の高さ。見えない線。
逃げ道は一つだけ残す。
第四話と同じ配置だ。
「……来るなら、こっちだ」
そう思った瞬間だった。
草を踏む音。
今度は、はっきりと複数。
悠一はすぐに道を外れ、低い岩の影に身を伏せた。
呼吸を整え、糸の感触に集中する。
現れたのは、やはり三人。
先ほどの盗賊と、同じ連中だろう。
装備も、話し方も変わらない。
「さっきの場所、やっぱ変だ」
「罠師か?」
「いや……誰も見えなかったぞ」
彼らは、周囲を警戒しながら歩いてくる。
先ほどより慎重だ。学習している。
「……成長、早いな」
悠一は心の中で呟いた。
同時に、背筋が引き締まる。
相手が学ぶなら、自分も考えなければならない。
盗賊の一人が、足を踏み出す。
糸に触れる。
「……っ!」
反応は早い。
すぐに足を引き、周囲を睨む。
「やっぱり罠だ!」
「どこだ、見えねぇぞ!」
悠一は、糸を引かない。
今回は、ほどかない。
代わりに、もう一本を重ねる。
同じ場所ではない。半歩ずらした位置。
盗賊が慎重に動く。
一歩、避ける。だが――次の一歩で、別の糸に触れる。
「クソッ!」
混乱が、少しずつ広がる。
だが、今回は違った。
「……囲め」
低い声がした。
三人のうちの一人が、指示を出す。
声に、焦りは少ない。
二人が左右に広がり、茂みに目を向ける。
――まずい。
悠一は即座に判断した。
このままでは、位置を特定される。
糸の数も、無限ではない。
「……撤退だ」
糸を一気にほどく。
線が消え、盗賊たちの足元が軽くなる。
同時に、悠一は森側へ走った。
草を蹴り、枝を避け、糸で進路を誘導する。
後ろから怒号が聞こえるが、追撃はない。
「……深追いは、しないか」
盗賊たちは、道に戻っていく。
彼らもまた、“勝ち”を取りに来ていない。
悠一は、息を切らしながら立ち止まった。
⸻
静かな場所で、ようやく腰を下ろす。
「……二度目は、通じにくいな」
同じ手は、二度は使えない。
だが、それでいい。
この世界は、静止していない。
敵も、学ぶ。
なら、自分も――
悠一は糸を見つめる。
指に絡め、結び目を確かめる。
糸は、わずかに増えていた。
ほんの、ほんの少し。
「……勝たなかったのに」
不思議と、納得できた。
倒さなくてもいい。
屈服させなくてもいい。
“関わった”ことそのものが、何かを結んでいる。
「……これでいい」
自分に言い聞かせるように呟く。
勝たないという選択。
逃げるという判断。
それを、恥だとは思わなかった。
生き延びるために、考え続ける。
糸を切らず、結びながら。
悠一は立ち上がり、再び歩き出す。
この先には、人の集まる場所があるはずだ。
町か、村か、それは分からない。
だが――
糸はまだ、手の中にある。
それだけで、進む理由には十分だった。




