第四十六話 選ばされる側
夜は、静かすぎた。
焚き火の音だけが、やけに大きく聞こえる。
悠一は火の向こうを見つめたまま、動かなかった。
(……来る)
確信だけがあった。
理由はない。だが、前兆は揃っている。
ツムギは、肩口で揺れない。
感知はしている。
だが、警告ではない。
(……判断は、俺だ)
悠一は深く息を吸い、吐いた。
⸻
闇が、歪む。
音もなく、
気配だけが“置かれた”。
「……相変わらず、逃げないのね」
女の声。
低く、冷たい。
だが、敵意は混じらない。
悠一は振り向かない。
「逃げたら、測られるだろ」
「正解」
足音はない。
それでも、距離は縮んでいる。
「村の件、どう思った?」
「……やり方が違う」
「それだけ?」
「それだけで、十分だ」
一瞬、空気が張る。
(……近い)
糸が、わずかに濃く見えた。
無色のまま、張り始めている。
(……張るな)
悠一は、意識的に指を止めた。
「私は、縁を“置く”」
女の声が言う。
「あなたは、縁を“結ぶ”」
「違いは分かる?」
「……責任の取り方だ」
闇の向こうで、微かな笑い。
「優しい答え」
「甘い答えだ」
次の瞬間――
地面が、軋んだ。
悠一は即座に立ち上がる。
(……遅い)
判断が、半拍遅れた。
足元の影が、絡む。
見えない糸が、動線を奪う。
(……縛る気はない、か)
それでも――
転べば終わる。
悠一は糸に触れた。
張る。
色は変えない。
だが、遅い。
その瞬間、
ツムギが――一度だけ、跳ねた。
腕に、絡む。
引かない。
押さない。
ただ、体の軸を戻す。
致命を、避けるための最小修正。
悠一は踏みとどまった。
息が、荒れる。
「……今のは」
女の声が、低くなる。
「あなたの判断が、遅れた」
「……ああ」
否定しない。
「だから、守られた」
「……ああ」
否定しない。
沈黙。
闇の気配が、少し離れる。
「面白いわ」
女は言った。
「力に頼らない」
「でも、頼らざるを得ない瞬間がある」
「……それを、恥だと思う?」
悠一は、答えるまでに一拍置いた。
「思う」
「だから?」
「次は、遅れない」
闇の向こうで、はっきりと笑う。
「いい答え」
「……あなた」
「名は、まだいらない」
即答だった。
「今は、まだ」
気配が、消える。
糸の張りも、影も、すべて。
⸻
焚き火の前に、静けさが戻る。
悠一は、座り直した。
ツムギは、何事もなかったように肩口へ戻る。
「……助けたな」
ツムギは、揺れない。
「……遅れた俺が悪い」
糸に、色はない。
太さも、変わらない。
まだ、真化は遠い。
だが――
基準は、はっきりした。
(……選ばされる側から、選ぶ側へ)
悠一は、火を見つめる。
夜は、まだ深い。
だが――
次に来る時は、
刃を抜く理由が、互いに揃う。




