第四十三話 彼女は、まだ刃を抜かない
夜の街は、静かだった。
灯りはある。
人もいる。
だが――
どこか、息を潜めているような空気がある。
ラグスは、屋根の上にいた。
黒い外套。
音を立てずに、縁に腰を下ろす。
眼下には、酒場。
人の声。
笑い声。
噂話。
「……糸の使い手」
誰かが、そう言った。
ラグスは、目を細める。
「赤い糸で盗賊を操った」
「青い糸で距離を狂わせた」
「不屈三牙が、何度も挑んでるらしい」
(……随分と、目立つようになった)
ラグスは、静かに息を吐いた。
苛立ちはない。
焦りもない。
ただ――
確認が必要だった。
(……縁を、結ぶ力)
それは、
彼女が最も警戒する類の力だ。
「人の未来に触れる」
「選択を、戻す」
(……危険だ)
力そのものではない。
使い手の在り方が。
ラグスは、腰の刃に手を置く。
抜かない。
まだ、抜かない。
(……観る)
彼が、何を選ぶのか。
どこまで、踏み込まないのか。
屋根の反対側で、影が動いた。
「……あの三人、また動いてるらしいよ」
別の影――情報屋だ。
「不屈三牙」
「諦めが悪い」
「嫌いじゃない」
ラグスは、短く言った。
「利用できる」
「ぶつける?」
「いいえ」
即答だった。
「彼らは、彼らの正義で動かせ」
「……彼は?」
「まだ」
ラグスは、夜空を見る。
雲の切れ間から、月が覗く。
「彼が“結ばざるを得なくなった時”」
「その時が、私の番」
影が、少し黙る。
「……あんた、戦わないの?」
ラグスは、静かに笑った。
それは、感情のない笑みだった。
「戦うわ」
「でも」
一拍。
「彼が刃を抜く理由になってから」
外套が、夜に溶ける。
ラグスの姿は、屋根から消えていた。
残ったのは、
噂と、静かな予感だけ。
世界は、まだ知らない。
彼女が動く時――
それは、
縁が切れる音がする時だということを。




