第四話 結べるもの、結べないもの
森を抜けるまでに、半日はかかった。
距離にすれば大したことはないはずなのに、悠一の足取りは慎重で、その分だけ時間が流れた。木々の間を進み、音に耳を澄ませ、糸を張っては回収する。その繰り返しだ。
結果として、悠一は“何も起きなかった”森を抜けた。
だが、それは偶然ではない。
「……生き延びるって、こういうことだよな」
独り言は、誰にも届かない。
森の先には、小さな開けた場所があった。草は短く刈られたように揃い、踏み固められた地面が続いている。人の手が入っている痕跡だ。
――道。
ようやく、世界と繋がる線を見つけた。
悠一はすぐには踏み出さず、道の脇に腰を下ろした。疲れていないはずなのに、立ち止まる癖は抜けない。ここで一度、頭を整理する。
この世界に来てから、まだ何日も経っていない。
武器はない。金もない。知識も乏しい。
あるのは、糸と――考える時間だけ。
悠一は糸を指に絡め、結び目を作る。ほどけないか、軽く引いて確かめる。問題ない。
「……戦う必要は、まだない」
言葉にして、確認する。
糸でできることは分かってきた。
分断、拘束、誘導、察知。
だが、攻撃はできない。
できない、というより――しない。
強く引けば切れるし、切れるものを相手に向けるのは、彼のやり方ではなかった。
悠一は道を見つめた。
人が使う道には、人がいる。
人がいる場所には、助けもあるが、面倒もある。
その両方を、引き受ける覚悟が必要だった。
⸻
道を進んでしばらくすると、遠くから声が聞こえてきた。
「……おい、そっちだ!」
荒い声。複数。
笑い声も混じっている。
悠一は即座に道を外れ、茂みに身を隠した。
音を立てないよう、ゆっくりと。
糸を動かす。
地面と地面、草と草を軽く結ぶ。踏み込めば音が鳴る位置に、細い線を引く。
視線の先に、三人の男が現れた。
粗末な革鎧。手には短剣や棍棒。
旅人、ではない。動きに警戒がないが、視線は獲物を探している。
「……盗賊、か」
この世界の常識は分からない。
だが、“人の道で獲物を待つ”という行為は、どの世界でも似た匂いがする。
悠一は、息を殺した。
三人は道の中央で立ち止まり、何かを話している。
「さっきの奴、逃げ足だけは速かったな」
「森に入ったら終わりだろ」
「また別のが来るさ」
悠一は、その会話を聞きながら、静かに距離を測る。
戦えば、勝てない。
だが、逃げるだけでは、いずれ追いつかれる。
――なら、触れさせない。
悠一は糸を、道の端に沿って滑らせた。
足首の高さ。三人の動線を横切るように。
一本、二本、三本。
視認できないが、確かにそこにある線。
盗賊の一人が、歩き出した。
次の瞬間、足が止まる。
「……っ?」
糸に触れた。
強くはない。だが、違和感は十分だ。
「なんだ?」
もう一人が近づく。
別の糸に触れ、今度は体勢が崩れる。
「おい、足元――」
言葉が終わる前に、悠一は糸を“ほどいた”。
結び目が解け、線が消える。
同時に、別の位置で糸を張る。
盗賊たちは混乱した。
何も見えないのに、動くたびに邪魔される。
「クソッ、罠か!」
「誰だ!」
悠一は声を出さない。
糸だけを動かす。
逃げ道を、一つだけ残す。
人は、行けると思った方向へ行く。
盗賊の一人が、その道へ走った。
残りの二人も、遅れて続く。
悠一は、糸を回収した。
追わない。
勝ちを取りに行かない。
盗賊たちの足音が遠ざかるのを、ただ待つ。
⸻
静寂が戻った道端で、悠一は深く息を吐いた。
手が、少しだけ震えている。
怖かった、のだと思う。
だが、それでいい。
「……無事なら、それでいい」
自分に言い聞かせるように呟く。
糸を指に巻き直すと、また、わずかな増加を感じた。
ほんの少し。だが、確かに。
「……結んだ、からか」
人と戦わず、命を奪わず、
それでも関わった結果。
理由は分からない。
だが、糸は応えた。
悠一は立ち上がり、道を進む。
人の世界へ、慎重に。
糸を握ったまま。
この先、何が待っているかは分からない。
けれど――結べるものと、結べないものを見極める準備は、もう始まっていた。




