第三十八話 選ばせるための赤
雨が、降り始めていた。
細かく、冷たい雨だ。
街道の土はすぐに湿り、足元が不安定になる。
悠一は、フードを深く被りながら進んでいた。
(……嫌な天気だ)
視界が悪い。
音も、散る。
こういう日は、判断が遅れやすい。
ツムギは肩口。
静かだ。
(……今日は、使わないで済めばいいが)
そう思った直後、
遠くで――叫び声がした。
子どもの声。
(……来たな)
悠一は、迷わず走った。
⸻
街道から外れた小道。
雨に濡れた草地。
そこで、馬車が止まっていた。
御者が倒れ、
その前に――三人。
武装した男たちだ。
盗賊。
だが、
動きが今までと違う。
「……殺すなって言っただろ!」
一人が、怒鳴る。
「でもよ、抵抗するから――」
「違う! “奪うだけ”だ!」
(……仲間割れ)
悠一は、物陰から状況を見る。
御者は生きている。
だが、動けない。
馬車の中から、
かすかな嗚咽が聞こえた。
(……子どもか)
男たちの間に、
縁が乱れている。
糸が、絡まり、引きちぎられかけている。
(……このままじゃ)
一人が、判断を誤る。
誤った未来が、
連鎖する。
青を使えば、
間合いをずらせる。
だが――
それでは、止まらない。
逃げる。
追う。
斬る。
未来が、分岐したままだ。
(……赤、か)
胸が、重くなる。
赤は、
相手の未来を“こちらで決める”力だ。
だが――
今、結ぶべきなのは
「殺さない」という選択だ。
悠一は、深く息を吸った。
(……選ばせる)
糸を一本、引き出す。
無色だった糸が、
静かに、赤く染まった。
派手ではない。
血の色でもない。
落ち着いた、深い赤。
糸は、三人の間を――
結ぶ。
一瞬。
世界が、静止したように感じた。
男たちの動きが、揃う。
それぞれが、
“次に取るはずだった行動”を、
思い出したように止まる。
「……?」
「……なんだ、今の」
刃が、下がる。
御者に向いていた殺気が、
ふっと抜けた。
「……殺すつもり、なかったよな?」
悠一は、姿を現した。
声は、静かだ。
「奪うだけだ」
「それで、生きて逃げるつもりだった」
「……違うか?」
男たちは、答えない。
だが、
否定もしない。
赤い糸は、張られたままだ。
縛らない。
操らない。
ただ、
最初に選んだ未来へ、戻している。
「……持っていけ」
悠一は、御者を庇う位置に立つ。
「積み荷だけだ」
「人には、触れるな」
数秒の沈黙。
やがて――
男の一人が、舌打ちした。
「……ちっ」
「行くぞ」
三人は、荷を掴み、森へ退いた。
赤い糸が、ほどける。
色が、消える。
⸻
雨が、少し弱まった。
悠一は、膝をついた御者に声をかける。
「……動けますか」
御者は、震えながら頷いた。
「助かった……」
悠一は、答えなかった。
胸が、重い。
(……使った)
赤を。
相手の未来に、
触れた。
ツムギを見る。
ツムギは、動かない。
介入も、ない。
(……判断は、間違ってない)
だが、
軽くもない。
「……これが、赤か」
呟く。
縁を結ぶ力。
未来を、一本に戻す力。
(……乱用は、できないな)
悠一は、立ち上がる。
雨に濡れた街道を、再び歩き出す。
赤は、もう使わない。
必要になるまで。
それは、
選択を守るための色なのだから。




