第三十六話 青に染まる一歩
朝は、澄んでいた。
森の奥から抜ける道は細く、
湿った土の匂いがまだ残っている。
悠一は歩きながら、
昨夜の感覚を反芻していた。
(……見える)
糸が、だ。
数が増えたわけじゃない。
太くなったわけでもない。
だが、
どこに張れば、どう動くかが、
手前に来ている。
(……これが、真化)
浮かれる気にはなれなかった。
あの鹿は、
「使え」とは言わなかった。
(……選べ、か)
ツムギは肩口。
昨夜と変わらない。
だが、
近すぎず、遠すぎず。
ちょうどいい距離にいる。
⸻
違和感は、正面から来た。
音が、雑だ。
草を踏む音。
重い。
獣じゃない。
「……人か」
悠一は、足を止める前に周囲を見る。
逃げ道。
木の間隔。
視界。
(……三人)
姿が、現れた。
武装した男が二人。
少し後ろに、もう一人。
盗賊だ。
「運がいいな」
前に出た男が、笑った。
「こんなとこで一人とは」
(……まずいな)
数だけなら、対応できる。
だが、相手は人間だ。
動きに、知恵がある。
悠一は、糸を引き出す。
無色。
太さは――
まだ、変えない。
(……出すなら、一手だけ)
男たちは、距離を詰めてくる。
左右に散る。
挟む気だ。
(……来る)
ここで、判断が分かれる。
今までなら、
糸を張って足止めする。
だが――
それだけじゃ、足りない。
昨夜、見えたものがある。
距離。
間合い。
(……引き寄せる)
悠一は、息を整えた。
糸を一本、空中に走らせる。
その瞬間。
糸が――
青く染まった。
派手ではない。
淡い青。
だが、
確かに世界の“距離”が、揺れた。
「……?」
前に出ていた男が、
一歩、踏み込む。
自分の意思だと思っている。
だが――
間合いが、ずれた。
「――っ!」
男は、想定より近い位置に来てしまう。
「……そこだ」
悠一は、遅れなかった。
糸を地面に張る。
今度は、自分の間合い。
男の足が止まる。
背後から、もう一人が来る。
(……遅れるな)
判断は、早い。
青は、使わない。
もう一度使えば、
流れを誤魔化す。
悠一は、横に跳び、
糸を一本切る。
空間が、元に戻る。
「……ちっ!」
盗賊たちは、距離を取り直す。
三人とも、顔色が変わっていた。
「今の……なんだ?」
(……効いたな)
だが、
使いすぎると、読まれる。
悠一は、糸を戻す。
色が消える。
無色。
「……来るなら来い」
声は、落ち着いていた。
盗賊たちは、慎重になった。
間合いを測り直している。
悠一は、ここで攻めない。
勝ちに行かない。
(……選べ)
昨夜の鹿の視線を、思い出す。
(……今は、退かせる)
悠一は、糸を低く張る。
見せる。
「……面倒だ」
後ろの男が言った。
「こいつ、やばい」
数秒の睨み合い。
やがて――
盗賊たちは、後退した。
「……次はねえからな」
吐き捨てるように言い、
森へ消える。
⸻
静寂。
悠一は、深く息を吐いた。
「……使ったな」
ツムギを見る。
ツムギは、動かない。
介入も、ない。
(……判断は、遅れてない)
だから、助けもない。
それでいい。
「……青、か」
言葉にしてみる。
引き寄せる力。
間合いを、正す力。
「……便利だな」
だが、
同時に、怖さもあった。
(……使いどころ、間違えたら)
自分が、選択を歪める。
「……慎重に、だな」
ツムギが、わずかに揺れた。
肯定でも否定でもない。
ただ、
見ている揺れだった。
悠一は、歩き出す。
一歩、一歩。
(……選ぶ力、か)
世界は、まだ何も言わない。
だが――
確かに、
青い糸は、結ばれた。




