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強くならない俺が、糸で異世界を生きている。  作者: 優未緋


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第三十五話 名を結び、世界が応えた夜


夜は、重かった。


闇が濃いのではない。

意味を含んだ静けさが、森を覆っていた。


悠一は、倒木の陰に身を寄せたまま、長く息を吐く。

吐いた息が白くならないのが、逆に寒い。


肩の痛みが、鈍く残っている。

血は止まっている。

だが、体はまだ戦場にあった。


(……生き延びただけ、か)


勝ったとは言えない。

逃げ切ったとも、違う。


ただ――

届かなかった。


その事実が、胸の奥に沈んでいる。


糸は、肩口にあった。


いつも通り。

細く、無色で、何の主張もない。


だが、今日だけは――

「そこにいる」ことが、やけに重い。


悠一は、視線を落とした。


「……なあ」


声が、夜に溶ける。


呼びかける相手が、

いつの間にか“独り言”ではなくなっていた。


「俺、今日さ」


言葉を選ぶ。

慎重に、だが逃げずに。


「判断は、間に合ってた」


「……でも、足りなかった」


糸は、揺れない。


だが、

逃げもしない。


「遅れたら、助けられる」


「遅れなかったら、助けられない」


「……それも、分かってる」


胸の内を、並べるように言葉にする。


「だから」


一度、言葉を切る。


「俺は、強くなりたいわけじゃない」


「勝ちたいわけでもない」


本心だった。


「……ちゃんと、選びたい」


その一言に、

今までの迷いが、すべて含まれていた。


「一人じゃ、限界だ」


「でも、任せたら、終わりだ」


矛盾している。

だが、嘘ではない。


悠一は、糸に触れた。


握らない。

引かない。


ただ、触れる。


「……だから」


喉が、少し鳴った。


「隣にいてくれ」


「一緒に――紡ごう」


その瞬間。


糸が、静かに張った。


力はない。

だが、確かだった。


“応えた”という感覚が、

音もなく、胸に落ちる。


「……ツムギ」


名を、呼んだ。


それは宣言ではない。

支配でもない。


受け取った関係に、言葉を与えただけだ。


――その瞬間だった。


森が、沈黙した。


風が止まる。

虫の声が消える。


まるで、

世界が「聞く側」に回ったように。


悠一は、顔を上げる。


闇の奥。

木々の隙間。


そこに、立っていた。


鹿だった。


巨大ではない。

だが、測れない。


その体は、確かに鹿の形をしている。

しかし、輪郭が定まらない。


毛並みは、糸。

無数の糸が、撚られ、重なり、ほどけながら形を保っている。


角は、枝のように広がり、

一本一本が縁の束のように揺れていた。


色は、定まらない。


白にも見え、

虹の手前のようにも見える。


悠一は、直感した。


(……幻獣)


(……いや)


(……世界だ)


鹿は、動かない。


近づきもしない。

威圧もしない。


ただ、

見ている。


悠一と、ツムギを。


「……」


言葉が、出ない。


出てはいけないと、

本能が告げている。


鹿が、ゆっくりと首を下げた。


角が、淡く光る。


その光は、

何かを注ぐものではなかった。


照らす。


悠一の中にあるものを。


今までの選択。

遅れた判断。

遅れなかった判断。

足りなかった一歩。


すべてが、

一本の糸として、見えた。


(……ああ)


分かる。


これは、力を与える儀式じゃない。


(……認められた)


鹿は、何も語らない。


だが、確かに伝わった。


「結ばれた」


「だから、先へ行け」


次の瞬間。


視界が、変わった。


糸が――

はっきりと、見える。


地面に。

空気に。

自分と、世界の間に。


増えたわけじゃない。

新しくなったわけでもない。


ただ、

理解できる距離に来た。


鹿は、静かに一歩、後ろへ下がった。


役目は、終わった。


そう言わんばかりに。


次の瞬間、

その姿は糸の光となってほどけ、

森に溶けて消えた。


夜が、戻る。


音も、風も。


だが――

世界は、もう同じではなかった。



悠一は、膝をついた。


息が、荒い。


だが、恐怖はない。


「……真化、か」


誰に教えられた言葉でもない。

だが、それ以外に呼びようがなかった。


ツムギは、肩口にある。


変わらない。

だが、使命を帯びた重さがあった。


「……護るんだよな」


問いかける。


ツムギは、揺れた。


それは、返事ではない。


受け取った使命を、抱えた揺れだった。


悠一は、立ち上がる。


夜は深い。

だが、迷いはない。


「……行こう」


それは、始まりの言葉だった。


世界を紡ぐ旅の。


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