第三十二話 判断が遅れた理由
焚き火は、小さくしていた。
夜の街道は音が通る。
火を大きくすれば、それだけで居場所を知らせることになる。
悠一は、火の前に腰を下ろし、
木の枝で熾きを軽くつついた。
ぱちり、と音が鳴る。
その音に、少しだけ肩が強張った。
(……まだ、引きずってるな)
昼間の出来事が、頭から離れない。
獣の動き。
自分の判断。
そして――糸が先に張られた、あの一瞬。
「……」
悠一は、手のひらを見る。
震えは、もうない。
だが、感覚が残っている。
(遅れた)
事実だ。
誤魔化しようがない。
問題は、なぜ遅れたのか。
悠一は、ゆっくりと状況を思い返す。
草の音。
方向。
足音の数。
そこまでは、正しく判断できていた。
(……地形だ)
足元の土。
乾き具合。
草の密度。
「……考えすぎたな」
呟いた言葉が、夜に溶ける。
考えること自体は、悪くない。
むしろ、悠一の強みだ。
だが――
考えすぎて、動けなくなった。
「……一瞬、待った」
その“待ち”が、命取りになりかけた。
悠一は、糸を見る。
肩口で、静かに揺れている。
昼間のように、張る気配はない。
「……お前が動いたのは」
言葉を選びながら、続ける。
「俺が、動けなかったからだ」
糸は、答えない。
だが、否定もしない。
(……助けられた)
その事実は、変わらない。
だが同時に、
(……頼ってはいけない)
という感覚も、はっきりとある。
悠一は、焚き火に枝を一本放り込んだ。
火が、一瞬だけ強くなる。
「……毎回、助ける気はないんだろ」
昼間の介入は、一度きりだった。
その後は、
どれだけ危険でも、糸は動かなかった。
(判断が、間に合っていたから)
つまり――
助けられた=失敗した
そういうことだ。
悠一は、深く息を吐いた。
「……厳しいな」
誰に向けた言葉でもない。
糸に向けたわけでもない。
自分自身への言葉だ。
(俺が考えるのをやめたら)
(たぶん、お前は何度でも動く)
だが、それは違う。
それでは――
“一緒に歩いている”ことにはならない。
ただ、守られているだけだ。
「……それは、嫌だ」
声に出した瞬間、
自分でも少し驚いた。
はっきりと、そう思っている。
悠一は、地面に小さく円を描く。
そこに、糸を一本垂らした。
張らない。
ただ、置くだけ。
「……考える時間が、足りなかったわけじゃない」
問題は、
考える順番だ。
まず動くべきか。
それとも、情報を集めきるべきか。
(……どっちも、欲張った)
結果、どちらも中途半端になった。
「……優先順位、だな」
呟く。
戦いの中で、
すべてを完璧に判断することはできない。
だからこそ、
先に決めておく必要がある。
「……次は」
悠一は、糸を見る。
「まず、動く」
糸は、揺れない。
だが、
逃げもしない。
「……それで、遅れたら」
一拍、間を置く。
「……その時は、また考える」
それが、今の自分に出せる答えだった。
⸻
焚き火が、少し小さくなった。
夜は深い。
だが、頭は冴えている。
(……お前)
糸を見ながら、思う。
(俺が遅れた時だけ、動く)
(それ以上でも、それ以下でもない)
それは、道具の振る舞いではない。
意思だ。
「……名前」
その言葉が、
ふと頭をよぎる。
だが、まだ言わない。
今はまだ、
呼ぶべき言葉を持っていない。
悠一は、横になった。
糸は、肩口にある。
夜風に揺れながら、
静かに、そこにあった。
守られた夜。
だが同時に――
次は遅れないと誓った夜でもあった。




