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強くならない俺が、糸で異世界を生きている。  作者: 優未緋


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第三十一話 遅れたという事実


街道の朝は、落ち着きすぎていた。


鳥の声は一定で、風もない。

足元の土は乾き、踏みしめる感触もはっきりしている。


(……静かすぎる)


悠一は、そう感じた瞬間に歩幅を狭めた。


こういう朝は、危ない。

何も起きないようでいて、

起きた時に逃げ場がない。


糸は肩口。

風に揺れているだけだ。


(……問題はない)


そう判断したのは、

「警戒しない」という判断ではない。


「まだ大丈夫だ」という判断だった。


――それが、遅れの始まりだった。


草が、鳴った。


音は小さい。

だが、近い。


悠一の思考が、一段階ずつ動く。


(獣か?)

(足音は一つ)

(方向は左前)


ここまでは、正しい。


次に来るべき判断は、

「距離を取る」か「糸を張る」か。


――だが、その選択に、一瞬の迷いが入った。


(地形は――)

(足場は――)


考えすぎた。


茂みが、弾ける。


「――っ!」


影が飛び出す。


狼に似た獣。

口が大きく、牙が長い。


(……速い)


想定より、半拍。


悠一は後ろに跳ぶ。


だが、足元の土が、思ったよりも乾いていた。

踏み込んだ踵が、わずかに滑る。


(……やばい)


ここで、糸を張る判断が来るはずだった。


だが――

もう、遅い。


距離は詰まっている。

牙が近い。


(――間に合わない)


その瞬間。


地面に、一本の糸が張られた。


悠一の視界の端。

自分が出した感触は、ない。


獣の前脚が、

その糸に――引っかかった。


絡まらない。

縛られない。


ただ、

踏み込みが、ほんの一瞬だけ止まる。


その一瞬が、

致命を、致命でなくした。


「――っ!」


悠一は反射で体を捻り、距離を取る。


牙は、空を切った。


心臓が、喉まで跳ね上がる。


獣は着地し、すぐに振り返る。

だが、さっきの勢いはない。


警戒が、前に出ている。


(……今の)


悠一は、息を整える暇もなく地面を見る。


糸は、すでに緩んでいた。


(俺じゃない)


(……判断が、遅れた)


その事実が、

遅れて、胸に落ちてくる。


獣は、円を描くように動くが、

もう踏み込まない。


悠一は、ここでようやく糸を張る。


無色の糸。

地面に一本。


今度は、自分の判断だ。


獣は、その線を越えない。


数秒の睨み合い。


やがて、獣は一歩下がり、

さらに下がり――

林の中へ消えた。



静寂が、戻る。


さっきまでの緊張が嘘のように、

風が草を揺らす。


悠一は、その場にしゃがみ込んだ。


膝が、少し震えている。


「……」


声が出ない。


さっきの一瞬を、頭の中で何度も再生する。


(俺が、考えすぎた)

(判断を、先送りにした)


だから――

糸が、先に張られた。


「……一回だけ、だったな」


誰にともなく呟く。


あの介入は、続かなかった。

助け続ける気も、代わりに戦う気もない。


(……遅れた時だけ)


それが、はっきり分かった。


糸を見る。


糸は、何も言わない。


だが、

逃げない。


「……次は、遅れない」


それは反省ではなく、誓いだった。


守られたことを、

なかったことにしないための誓い。



立ち上がり、歩き出す。


足取りは、さっきより慎重だ。

だが、視線は前を向いている。


(……守られた)


その事実を、胸に残したまま。


(……判断するのは、俺だ)


糸は肩口にある。


動かない。

だが、確かにそこにある。


街道は、続く。


選択は、待ってくれない。


そして――

一拍の遅れが命取りになる旅が、

ここから本当に始まった。


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