第二十七話 判断しているのは誰か
その報告は、三つ重なって届いた。
一つ目は、倉庫街。
二つ目は、市場。
三つ目は、宿の周辺。
どれも共通しているのは――
糸による“軽い介入”
破壊なし。
怪我なし。
被害は最小。
そして何より。
時間が、合わない。
ラグスは、天幕の中で地図を広げていた。
焚き火は小さく、煙を立てない。
夜だが、彼女の動きに迷いはない。
「……やっぱりね」
静かな声。
地図の上に、小石を三つ置く。
「全部、同じ人物の行動圏」
「でも――」
指で円を描く。
「同時刻には、動けない距離」
部下の一人が、息を詰めた。
「分身……?」
「違う」
ラグスは、即座に否定する。
「分身は、意思を共有する」
「これは……」
一拍置いて。
「意思が分かれてる」
沈黙。
焚き火が、ぱちりと鳴る。
⸻
「糸の人――悠一」
ラグスは、名を口にする。
「彼は、選ぶ」
「戦わない選択もする」
「使わない選択もする」
それは、すでに分かっている。
「でも」
彼女は、紙を一枚取り上げる。
そこには、走り書きの報告。
――露店の布が結ばれていた
――子供の靴紐が直っていた
――荷車の取っ手が固定されていた
「……これは、選択じゃない」
「反射でもない」
部下が、恐る恐る言う。
「……善意、では?」
ラグスは、少しだけ笑った。
「善意は、迷う」
「迷って、遅れる」
「でもこれは――」
指先で紙を叩く。
「即断」
「しかも、最適解」
部下は、言葉を失った。
⸻
ラグスは、目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、
“糸の人”の報告書に書かれた一文。
――争いを避ける
――単独行動
――糸を使う
「……彼は、優しすぎる」
それは、評価ではない。
欠点でもない。
「だから、判断を委ねた」
ラグスは、そう結論づけた。
「自分以外に」
焚き火の火が、揺れる。
「道具に?」
部下の声。
「いいえ」
ラグスは、首を振る。
「道具は、判断しない」
「これは――」
少し、言葉を選び。
「存在」
⸻
彼女は、立ち上がった。
外套を羽織る。
「観測段階は、終わり」
部下が、緊張する。
「動くのですか」
「直接は、まだ」
ラグスは、夜の向こうを見た。
「でも」
「彼の“隣”を見る」
「……隣?」
「彼が切らないもの」
「彼が命令しないもの」
「彼が、守ろうとするもの」
その目に、迷いはない。
「そこが、歪みの核」
⸻
一人になった天幕。
ラグスは、焚き火を消す前に、呟いた。
「糸が判断する世界は、長くは続かない」
「……でも」
ほんの一瞬だけ。
「その糸を、切らない選択」
声が、わずかに柔らぐ。
「嫌いじゃない」
すぐに、感情を閉じる。
「だからこそ――」
「正す」
⸻
夜風が、天幕を揺らす。
遠くの町で、誰かが笑っている。
悠一は、まだ知らない。
自分の“隣”が、
世界に認識されたことを。
そして。
その認識が、
いずれ避けられない対話を生むことを。
糸は、今日も空気を読まない。
だが――
世界は、完全に読み切った。




