第二十四話 同じではない
朝は、いつも通りに来た。
窓から差し込む光。
通りの声。
階下から聞こえる食器の音。
変わらない。
……はずだった。
悠一は、目を開けたまま、しばらく動かなかった。
(……いる)
視線を動かさなくても分かる。
枕元。
昨夜と同じ場所。
糸が、丸まっていた。
「……勝手に移動するな」
小さく言う。
返事はない。
だが、糸は――
昨夜よりも、きちんと形を保っている。
絡まらず、よじれず、ほどよく張っている。
(……整ってる)
自分が巻いた時よりも、整然としている。
「……お前、夜中に何してた」
問いかけても、答えはない。
悠一は、上体を起こした。
⸻
朝の支度をする。
顔を洗う。
服を着る。
道具袋を肩にかける。
その一連の動作の中で、糸は――
一度も邪魔をしなかった。
出てこない。
絡まらない。
存在を主張しない。
(……昨日は、勝手に結んでたのに)
違和感が、じわじわと広がる。
「……都合が良すぎるな」
呟く。
昨日は勝手に出てきた。
今日は、静かすぎる。
まるで――
様子を見ているみたいだ。
⸻
朝食。
食堂の端で、いつものパンを齧る。
「……糸の人」
聞こえた。
振り向くと、昨日の店主。
「あ、ええと……」
「違います」
即答した。
「糸は、俺のじゃありません」
店主は、一瞬きょとんとしてから、笑った。
「そういう意味じゃない」
「そうですか」
「だがな」
店主は、声を潜める。
「昨日の件……
あれ、お前が“やってない”のは分かる」
「……どうして」
「目だ」
悠一は、箸を止めた。
「やった奴は、もっと誇る」
「だが、お前は」
「……困ってる」
言い当てられて、黙り込む。
「無理に背負うなよ」
「……背負ってません」
「背負ってる顔だ」
(……顔に出てるのか)
⸻
外に出る。
町は、いつも通りだ。
噂もある。
視線もある。
だが、昨日ほどではない。
(……落ち着いた?)
いや、違う。
糸が、何もしていない。
だから、何も起きていない。
「……判断、止めた?」
悠一は、道具袋に手を入れる。
糸に触れる。
反応はない。
「……昨日は、あんなに積極的だったのに」
言葉にしてから、気づいた。
(……積極的、って何だ)
道具に向ける言葉じゃない。
「……やっぱり、おかしいな」
⸻
昼過ぎ。
町外れまで歩く。
人が少ない場所。
「……ここなら」
悠一は、立ち止まり、糸を取り出した。
「……出てきていいぞ」
言ってみる。
糸は、出てこない。
「……じゃあ、張るぞ」
糸を引き出す。
普通だ。
いつも通り。
指示通りに動く。
「……」
悠一は、糸を地面に張った。
簡単な一本。
罠にもならない。
ただの線。
「……動け」
糸は、動かない。
「……昨日は?」
問いかける。
糸は、静かだ。
「……俺が使おうとすると、黙るのか」
ふと、そんな考えが浮かぶ。
(……逆じゃないか)
使わない時に動く。
使おうとすると、動かない。
「……制御、できてないな」
結論は、静かに落ちた。
⸻
夕方。
宿に戻る。
部屋に入ると、糸は自然と膝に乗ってきた。
「……今は、来るんだな」
糸は、絡まない。
ただ、触れている。
「……お前」
悠一は、しばらく黙り――
ゆっくりと言った。
「俺の命令、聞かなくていい」
糸は、動かない。
「……でも」
一拍置いて。
「勝手にやるなら、
俺が困る時だけにしてくれ」
糸が、ほんの少しだけ揺れた。
否定でも、肯定でもない。
「……約束じゃないからな」
独り言のように付け足す。
糸は、離れなかった。
⸻
夜。
灯りを落とし、ベッドに横になる。
今日一日、糸は何もしていない。
だが――
“何もしない”こと自体が、選択に見える。
「……道具じゃない」
はっきりと、そう思った。
使うものではない。
命令するものでもない。
「……一緒に、考えてる」
それは、少し怖い。
だが――
不思議と、嫌ではなかった。
「……制御できないな」
もう一度、口にする。
だが、次の言葉は自然と続いた。
「……でも、切る気もない」
糸は、静かだ。
だが、そこにいる。
同じではない。
戻れない。
悠一は、目を閉じた。
糸は、ほどけない。
そして――
もう、ただの糸ではなかった。




