第二十二話 勝手にやる糸
朝。
宿の廊下は、いつもより騒がしかった。
「おい、聞いたか?」
「まただよ」
「夜中に、勝手に……」
悠一は、部屋の扉を開けたところで足を止めた。
「……?」
視線が、集まる。
集まる、というより――
避けられている。
(なんだこの空気)
「おはようございます」
一応、挨拶してみる。
「……ああ」
「おはよう」
返事はある。
だが、妙に距離がある。
悠一は首を傾げながら、階段を降りた。
⸻
外に出ると、理由はすぐに分かった。
掲示板の前に、人だかりができている。
「……何かあったんですか?」
近くの男に声をかける。
「ああ、昨夜な」
男は声を潜めた。
「倉庫街で、勝手に“結ばれた”」
「……結ばれた?」
「縄でも、鎖でもない」
「糸だ」
悠一の背中に、嫌な予感が走る。
(……まさか)
掲示板には、新しい張り紙。
――昨夜、倉庫街で物資が荒らされかけた
――犯人は逃走
――だが、入口が“糸で結ばれていた”ため被害は最小限
――糸の正体は不明
「……」
悠一は、無言で自分の道具袋に視線を落とした。
(……俺、寝てたよな)
⸻
「よう」
背後から、聞き慣れた声。
「エルドさん」
商人は、腕を組みながら笑っている。
「やったな」
「やってません」
即答した。
「昨夜は、部屋から出てません」
「だろうな」
エルドは、あっさり認める。
「だがな――」
「糸は、出てた」
悠一は、言葉を失った。
「……どういう意味ですか」
「そのままだ」
エルドは、倉庫の方角を指す。
「人が来る前に、
入口が全部“軽く”結ばれてた」
「軽く?」
「引けば外れる」
「だが、慌ててると気づかない」
悠一の頭の中で、昨日の光景が蘇る。
勝手に動く糸。
指に絡む感触。
拒否しないが、命令も聞かない存在。
(……まさか)
⸻
宿に戻り、部屋に入る。
「……おい」
悠一は、道具袋を開けた。
糸は――
いつもより、きちんと巻かれている。
絡まっていない。
むしろ、整っている。
「……出たか?」
問いかける。
返事は、ない。
だが、糸の端が、ぴくりと動いた。
「……勝手なこと、するな」
悠一は、少し強めに言った。
糸は、止まる。
……が。
次の瞬間。
ぴょん、と跳ねた。
「……は?」
糸が、机の脚に絡む。
そして、結ぶ。
解ける程度に。
だが、確実に。
「……やめろ」
糸は、聞かない。
今度は、椅子。
次は、鞄。
次々と、“軽く結ぶ”。
「ちょ、ちょっと待て!」
悠一は、慌てて止めに入る。
「それ、使うから!」
糸は、止まらない。
だが――
邪魔はしない。
結ぶ場所は、
•危なくない
•でも目立つ
•しかも、ほどける
「……悪意、ないな?」
問いかけると、糸が一瞬止まる。
(……ある程度、分かってる?)
⸻
結局。
部屋は、軽く結ばれただけで済んだ。
ほどけば、全部外れる。
だが、明らかに「やった痕跡」は残る。
「……何なんだ、お前」
悠一は、ベッドに腰を下ろした。
糸は、膝の上。
満足そうに――
いや、落ち着いている。
「守ったつもりか?」
答えは、ない。
だが、悠一の脳裏に浮かぶ。
昨夜の倉庫。
軽く結ばれた入口。
被害最小。
「……余計なお世話だぞ」
言いながら、声は強くならなかった。
(でも……)
誰も傷ついていない。
それだけは、事実だ。
⸻
昼。
町では、噂が広がっていた。
「夜の倉庫、糸で守られてたらしいぞ」
「誰がやったんだ?」
「分からん」
「……糸の人じゃないか?」
「違います」
悠一は、即否定した。
「俺は寝てました」
「そう言うと思った」
エルドが、横で笑う。
「だがな」
「“やってない”のと、“関係ない”は違う」
悠一は、黙った。
⸻
夕方。
部屋に戻り、糸を見つめる。
「……勝手にやるな」
糸は、動かない。
「……でも」
一拍置いて。
「人に迷惑は、かけるな」
糸が、ゆっくりとほどける。
結ばれていた部分が、全部。
「……分かった、ってことか?」
返事はない。
だが――
糸は、それ以上動かなかった。
⸻
夜。
悠一は、灯りを消す前に糸を糸巻きに戻す。
糸は、素直に巻かれる。
だが――
完全には、道具に戻らない。
(……制御できない)
その事実が、少し遅れて胸に落ちた。
便利でもない。
命令も聞かない。
それでも――
勝手に「守る」判断をした。
「……困ったな」
悠一は、苦笑した。
だが、目は冴えている。
この糸は、
使うものじゃない。
一緒に判断する存在だ。
それが、良いのか悪いのか。
まだ、分からない。
ただ一つ確かなのは――
「……目立つな、これ」
明日から、
もう少し面倒になる。
そんな予感だけが、
はっきりとあった。




