第十九話 糸を使うべきか
依頼書は、短かった。
――旧水路付近での騒ぎ
――原因不明
――夜間のみ発生
――穏便に対処できる者求む
「……また“穏便”か」
悠一は掲示板の前で、小さく呟いた。
最近、この言葉が増えている気がする。
倒すな、傷つけるな、壊すな。
――その代わり、何とかしろ。
(難易度、高いんだよなぁ……)
だが、報酬は悪くない。
時間も短い。
悠一は紙を剥がし、ため息をついた。
⸻
旧水路は、町の外れにあった。
今は使われていない石造りの通路。
苔が生え、水音が反響する。
昼でも薄暗く、夜はなおさらだ。
「……雰囲気、あるな」
嫌な意味で。
依頼主は、衛兵だった。
「夜になると、何かが動く」
「獣ですか?」
「分からん」
衛兵は首を振る。
「音だけだ。
だが、近づいた者が転んだり、引きずられそうになったりする」
「怪我人は?」
「今のところ、軽い擦り傷だけだ」
悠一は、少しだけ安堵した。
(……なら、まだ選べる)
⸻
夜。
水路の入り口で、悠一は立ち止まった。
糸を出す。
指に巻く。
(張れば、分かる)
だが、同時に思う。
(張った瞬間、終わる可能性もある)
相手が人なら?
獣なら?
それとも、もっと違うものなら?
「……様子、見るか」
悠一は、糸を張らずに一歩踏み出した。
⸻
水音。
微かに、何かが動く気配。
――ガサッ。
「……」
足元で、小石が転がった。
(来た)
だが、姿は見えない。
「……誰か、いるなら」
声を出す。
「危ないから、出てきてください」
返事はない。
その代わり――
足首に、何かが触れた。
「っ!」
反射的に、糸を出しかけて――
止めた。
(……待て)
触れたものは、柔らかい。
力も、弱い。
「……子供?」
しゃがみ込み、灯りを近づける。
そこにいたのは――
小さな魔獣だった。
犬ほどの大きさ。
濡れた体。
片足を引きずっている。
「……お前、迷い込んだのか」
魔獣は、怯えた目で悠一を見る。
逃げない。
だが、動けない。
(……糸、使えば簡単だ)
拘束して、外に出せばいい。
誰も怪我しない。
だが――
(絡めたら、怖がる)
悠一は、糸を引っ込めた。
代わりに、ゆっくり手を伸ばす。
「……大丈夫だ」
魔獣が、びくりと震える。
「捕まえない」
「……多分」
(自信ないな)
少しずつ距離を詰め、足を見る。
傷は浅い。
だが、痛みで動けない。
「……転んだな」
悠一は、考えた。
糸を使わずに、どうする?
(……針)
布の切れ端を取り出し、簡易的な包帯を作る。
針で留める。
縫わない。
あくまで、固定。
魔獣は、不安そうに鳴いたが――
暴れなかった。
「……よし」
持ち上げると、軽い。
悠一は、水路を出た。
⸻
外で待っていた衛兵が、目を見開く。
「……それが原因か」
「多分」
「倒さなくていいのか?」
悠一は、首を振る。
「必要ないです」
魔獣を、森の方へ下ろす。
少し離れると、魔獣は振り返り――
一度だけ、鳴いた。
それから、闇に消えた。
⸻
依頼は、完了した。
報酬を受け取り、衛兵が言う。
「……糸、使わなかったな」
「はい」
「珍しい」
悠一は、少し考え――答えた。
「使うべき時と、
使わない方がいい時があるみたいです」
衛兵は、しばらく黙り――
やがて頷いた。
「……難しい生き方だな」
「慣れてます」
嘘ではなかった。
⸻
宿への帰り道。
悠一は、糸を指に巻く。
今日、糸は張られていない。
だが、確かにそこにある。
(……使わない選択も、選択だ)
糸は、縛るためのものじゃない。
守るためのものでも、攻めるためのものでもない。
選ぶためのものだ。
「……明日は、どうなるかな」
答えは、分からない。
だが、迷いながらでも進めばいい。
悠一は、町の灯りを見上げ、歩き出した。




