第十八話 糸の人と呼ばれるまで
朝の町は、いつもと同じようで、少しだけ違っていた。
悠一は宿を出て、伸びをする。
「……今日もいい天気だ」
それだけで、十分だった。
特別なことは、何もない――はずだった。
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最初の違和感は、朝飯だった。
いつもの食堂。
いつもの席。
いつもの硬めのパン。
「……あの」
店主が、妙にそわそわしている。
「はい?」
「その……今日は、これも」
皿が一つ、追加された。
卵。焼いてある。
「頼んでませんけど」
「え、ええ。分かってます」
店主は視線を逸らす。
「……気持ちです」
「?」
悠一は首を傾げる。
「昨日、外で……」
「ああ、獣の件ですか?」
「そ、そうです!」
食堂の奥で、別の客が小声で囁く。
「糸の人だろ?」
「見た見た。倒さないで追い払ったって」
「変わってるよな」
(……なんで知ってるんだろう)
悠一は、卵を眺めながら考える。
「……いただきます」
食べた。
普通に美味しい。
「……ありがたいな」
店主が、なぜか深く頭を下げた。
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外に出ると、視線を感じる。
見られている、というほどではない。
だが、目が合うと、少しだけ反応が遅れる。
「……?」
露店の男が、声をかけてきた。
「兄ちゃん、糸持ってるだろ」
「え? あ、はい」
「やっぱりな!」
なぜか嬉しそうだ。
「噂、聞いたぜ」
「噂?」
「夜の倉庫で、剣も振らずに獣を追い返したって」
「……そんな大したことじゃ」
「いやいや、大したことだ」
男は腕を組む。
「力だけじゃ、町は守れねぇからな」
「……そうですか?」
「そうだ」
断言された。
(……そんなつもりは)
悠一は、内心で首を傾げる。
⸻
掲示板の前。
紙が、一枚増えていた。
――夜の見回り
――倒さずに対処できる者
――糸使い歓迎
「……歓迎?」
悠一は、思わず読み直した。
(歓迎される職業だったっけ、これ)
依頼主が、後ろから声をかけてくる。
「君か」
「はい?」
「糸の人だろ」
(もう定着してる……)
「君なら、穏便に済ませてくれると思ってな」
「期待されても困るんですが……」
「大丈夫だ」
依頼主は、なぜか自信満々だ。
「君は、そういう人だ」
(どういう人なんだろう)
⸻
昼。
道を歩いていると、子供が寄ってきた。
「ねー、糸のお兄ちゃん」
「……はい?」
「糸で、鳥捕まえられる?」
「捕まえないよ」
「じゃあ、なんで糸使うの?」
悠一は、少し考えた。
「……危ないことにならないようにするためかな」
子供は、目を輝かせる。
「すごい!」
「いや、すごくは……」
母親が、慌てて子供を引き戻す。
「すみません!」
「いえ」
母親は、深く頭を下げた。
「昨日のこと、聞きました」
「ありがとうございます」
「……いえ」
(俺、何かしたっけ……)
⸻
夕方。
宿に戻ると、宿主が声をかけてきた。
「今日も、無事だったかい」
「はい」
「そうか」
一拍置いて。
「……糸の人」
「やめてください」
思わず即答した。
宿主は、声を出して笑った。
「冗談だよ」
「でもな」
少し真面目な声になる。
「町は、変わり者を嫌わない」
「役に立つ変わり者なら、なおさらだ」
悠一は、少しだけ考えた。
「……役に立ててるなら、いいです」
「それでいい」
⸻
夜。
部屋で、糸を広げる。
今日一日、戦っていない。
糸を張ってもいない。
だが――
どこか、疲れていた。
「……妙な日だったな」
糸を巻き、指で感触を確かめる。
(強くなった、って感じでもない)
それでも、何かが変わった気はする。
(……縁、か)
誰かに頼られた。
誰かに覚えられた。
それだけで、糸は少しだけ落ち着いている。
「……名前、ついたな」
糸の人。
悪くはない。
良くもない。
でも――
「……生きてる感じは、する」
灯りを消し、ベッドに横になる。
明日も、きっと普通の日だ。
ただし。
少しだけ、
見られる普通の日。
悠一は、目を閉じた。




