第∞回 町外れの小さな依頼
朝の町は、前日よりも少しだけ静かだった。
それでも静寂とは程遠い。露店の準備音、荷車を引く掛け声、遠くで鳴る鐘の音。人の生活が、層になって重なっている。
悠一は宿の階段を降りながら、昨夜のことを思い返していた。
糸巻き。
あれは、思っていた以上にありがたい道具だった。
(絡まらないって、こんなに楽なんだな……)
昨夜、何度も糸を巻き直しては、無意味にほどいてみた自分を思い出し、少しだけ恥ずかしくなる。
(……子供か)
だが、それくらいでいい。
今は、確かめることが大事だ。
_________
掲示板の前には、昨日より人が少なかった。
悠一は一枚ずつ紙を眺め、目を止める。
――町外れの倉庫付近で、夜に物音
――獣か盗賊か不明
――見回り手伝い求む
「……見回り、か」
戦闘、とは書いていない。
だが、何かが起きる可能性はある。
(町の中じゃ糸は使えない。
でも、外なら……)
頭の中で、自然と判断が進む。
報酬は、昨日より少し多い。
時間も短い。
(……行くか)
悠一は紙を剥がし、依頼元の名前を控えた。
⸻
町外れの倉庫は、昼間でも人通りが少なかった。
建物は古く、木材の隙間が目立つ。夜になれば、確かに不安になる場所だ。
「見回りは、二人一組でやる」
依頼主の男は、そう説明した。
「もう一人は……」
「俺だ」
低い声。
振り返ると、体格のいい男が立っていた。剣を帯び、表情は硬い。
「……よろしく」
悠一がそう言うと、男は短く頷いた。
「無茶はするな」
「しません。たぶん」
「“たぶん”が付くのは嫌だな」
(ごもっとも)
内心で苦笑しつつ、日が落ちるのを待つ。
⸻
夜。
町の灯りが遠くなり、倉庫周辺は一気に暗くなった。
「……静かですね」
悠一が言うと、男は周囲を警戒しながら答える。
「静かな方が怖い」
「同意です」
二人は、倉庫の周囲をゆっくり回った。
(……ここなら、張れる)
悠一は、男に気づかれないよう、糸を低く張った。一本だけ。警戒線だ。
「何かしたか?」
「え? あ、いえ……気のせいです」
男は疑わしそうに見たが、それ以上は言わなかった。
しばらくして――
糸が、微かに震えた。
「……来た」
悠一は小声で言った。
「何がだ」
「獣か、人か……どっちかです」
男は剣に手をかける。
草を踏む音。
数は、一つ。
「……獣、だな」
現れたのは、中型の獣だった。痩せている。目がぎらつき、腹を空かせているのが分かる。
「追い払う」
男が一歩踏み出そうとした瞬間、悠一が止めた。
「待ってください」
「何だ?」
「……無理に近づくと、噛まれます」
悠一は、糸を引いた。
獣の足元で、軽く絡む。
完全拘束ではない。
だが、動きが鈍る。
「……何だ、それ」
「糸です」
「見れば分かる!」
男が驚愕する中、悠一は距離を保ったまま、糸を操作する。
獣は暴れるが、深追いはできない。
「……行け」
悠一は、糸を緩め、逃げ道を作った。
獣は一瞬迷い、それから森の方へ走り去る。
静寂。
「……殺さないのか」
男が言った。
「町の獣です。追い詰める理由はない」
男は、しばらく悠一を見つめ、やがて剣から手を離した。
「……変わったやつだ」
「よく言われます」
少しだけ、場が和んだ。
⸻
見回りは、それで終わった。
報酬を受け取り、依頼主は何度も頭を下げた。
「助かった。剣だけじゃ、どうにもならん時もあるな」
「……糸も、たまには役に立ちます」
男は笑った。
「たまに、か」
(常に役立てたいんですけどね)
内心で返しながら、悠一は町へ戻る。




