第十六話 糸は、逃げるためだけのものじゃない
町外れの空気は、張りつめていた。
昨日までと同じ場所。
同じ風。
同じ草の揺れ。
だが、悠一は分かっていた。
(……今日は、来る)
理由はない。
だが、不屈三牙は「約束」をする連中だ。
約束を守るために、準備してくる。
悠一は歩みを止め、糸巻きに手をかけた。
「……よし」
張る。
だが、いつもの張り方ではない。
一本目は低く。
二本目は、あえて不規則に。
三本目は、自分の退路を切る位置。
(逃げ道を残さない。俺の)
それは、自分自身への縛りだった。
⸻
「……やっぱり、待ってたな」
声は正面。
三人が、現れる。
中央にミロ。
一歩前に出られる位置にガル。
少し引いた場所にニィ。
立ち位置は、昨日と同じ。
だが、気配が違う。
「今日は、逃げないんだな」
ミロが言う。
「ええ」
悠一は即答した。
「今日は、逃げません」
ガルが、低く息を吐いた。
「いいな。
昨日は、正直もどかしかった」
「今日は、力で来る?」
「もちろんだ」
ニィが、悠一の足元を見る。
「……退路、切ってる」
「切りました」
「珍しい」
「覚悟、決めただけです」
ミロが、小さく頷いた。
「始めよう」
合図は、それだけだった。
⸻
最初に動いたのは、ガルだった。
速い。
踏み込みに迷いがない。
(……力役、伊達じゃない)
悠一は、即座に糸を引いた。
だが、ガルは止まらない。
「っ!」
糸が張りつめ、草が裂ける。
(切られた!?)
一瞬、冷や汗が走る。
だが――
切れたのは、想定内の一本だけ。
「……そう来るよな」
悠一は、すぐ次を引く。
二本目。
ガルの足元が、わずかに乱れる。
「止まった!」
ミロの声。
その瞬間、ミロ自身が動く。
(連携、早い!)
ミロは、ガルが止められた一瞬を見逃さない。
悠一の側面へ回り込む。
「……ニィ!」
「了解」
ニィの声と同時に、石が投げられた。
狙いは、糸。
(切る気だ)
悠一は、糸を切った。
自分で。
「……え?」
ガルの声が、わずかに遅れる。
糸が消えたことで、三人の動きが一瞬ズレる。
「今だ」
悠一は、残しておいた糸を一気に引いた。
三人の足元に、同時に影が走る。
完全拘束ではない。
だが、次の一歩が踏み出せない。
「……っ」
ガルが歯を食いしばる。
ミロは即座に状況を把握した。
「無理に行くな!」
「でも――」
「踏み込むと、崩される!」
ニィが、悠一を見る。
「……糸、攻撃じゃない」
「はい」
悠一は、呼吸を整えながら答える。
「止めるだけです」
「……倒す気は?」
「ありません」
一瞬、沈黙。
その隙を、悠一は逃さなかった。
糸を張り替える。
三人の周囲に、円を描くように。
逃げ道は、一つだけ。
「……誘導か」
ミロが、低く呟く。
「ガル、行け」
「了解」
ガルは、迷わず“空いた道”へ踏み出した。
その瞬間――
糸が絡む。
「――っ!」
完全ではない。
だが、体勢が崩れる。
ミロとニィが、同時に動こうとした。
「来るな」
悠一は、はっきり言った。
「ここまでです」
糸を引く。
二人の足元が、同時に止まる。
倒れない。
だが、攻められない。
風が吹く。
草が揺れ、糸が鳴る。
⸻
沈黙を破ったのは、ミロだった。
「……負けだ」
短く、だが迷いのない声。
「今回は、完全に」
ガルが、悔しそうに舌打ちする。
「……くそ」
ニィは、目を伏せたまま言った。
「判断、遅れた」
悠一は、糸を緩めた。
「……ありがとうございました」
思わず、そう言っていた。
三人が顔を上げる。
「勉強になりました」
「俺も、です」
ミロは、少し驚いたように目を細めた。
「勝った側が、言う言葉か?」
「勝ったからです」
悠一は、正直に答えた。
「考え切れた。
逃げずに、最後まで」
ニィが、悠一の糸を見る。
「……糸が、前より落ち着いてる」
「そう感じます?」
「うん」
ガルが、腕を組む。
「次は、もっと速くする」
「次は、もっと考える」
ミロが言う。
「俺たちは、諦めない」
悠一は、小さく笑った。
「……それ、俺も同じです」
三人は、ゆっくりと距離を取った。
「次は、もっと厄介になる」
ミロの宣言に、悠一は肩をすくめる。
「覚悟しておきます」
⸻
三人が去った後、悠一はその場に立ち尽くした。
心臓が、遅れて強く打ち始める。
「……勝ったな」
逃げなかった。
誤魔化さなかった。
考え切った。
糸を回収し、指に巻く。
感触が、確かに違う。
(……強くなってる)
それは、力じゃない。
信念の重さだ。
「……糸は、逃げるためだけのものじゃない」
小さく呟き、町の方角を見る。
不屈三牙は、また来る。
もっと強く、もっと厄介になって。
だが――
「俺も、止まらない」
悠一は歩き出した。
糸を手放さず、
考えることをやめずに。




