第十四話 仕事を探すという戦い
朝は、思ったよりもうるさかった。
宿の窓の外から、馬のいななきと木箱を叩く音が容赦なく入り込んでくる。誰かが怒鳴り、誰かが笑い、誰かが値段をまけろと粘っている。天井を見上げたまま、悠一はしばらく動かなかった。
(……草原の朝、静かだったな)
そんなことを思っても、戻るつもりはない。
ここに来たのは、逃げるためじゃない。
「……起きるか」
身体を起こし、服の縫い目を確かめる。昨日直したところは問題ない。針と糸は、道具袋の奥で静かだ。町では、派手に使えない。だが、使わないわけにもいかない。
(まずは……金だな)
宿代は払った。だが、先は長い。
食べる。泊まる。道具を揃える。
考えれば考えるほど、現実が重くなる。
「仕事、か……」
剣も魔法もない。
糸と針がある。
(……縫い物?)
一瞬浮かんだ案に、すぐ首を振る。
(町で素人が縫い物して、信用されるか?
……されないな)
自分の服を直したのは事実だが、それは“自分のため”。
仕事となると話は別だ。
悠一は宿を出た。
⸻
通りはすでに活気に満ちていた。
露店の列、荷運びの人足、行き交う商人。目が忙しい。足も忙しい。何より、判断が忙しい。
(糸、張れない。
……張りたい場面、いっぱいあるのに)
人の流れを見ているだけで、危険箇所が分かる。荷車の死角、露店の裏、狭い路地。草原なら迷わず糸を張る場所だ。
(張ったら捕まる。確実に)
悠一は“張りたい衝動”を必死に抑えながら、掲示板の前に立った。
「……求人、か」
木板に釘で打ち付けられた紙切れ。文字は雑で、内容も簡素だ。
――荷運び
――倉庫整理
――掃除
――人手不足
(戦闘スキル不要、って書いてないのが逆に怖いな)
一枚一枚、読む。
読んで、考える。
(荷運び……力仕事。向いてない)
(倉庫整理……罠、張りたい)
(掃除……糸で? いや、怒られる)
悩んでいると、隣から声がした。
「兄ちゃん、仕事探し?」
振り向くと、日に焼けた男が立っている。
人足だろう。腕が太い。
「ええ。……向いてるのがなくて」
「向き不向きはやってから決めりゃいい」
正論だ。正論すぎて反論できない。
「武器は?」
「糸です」
「……糸?」
またこの流れだ。
男は一瞬黙り、次に笑った。
「変わってんな。でも、嘘はついてねぇ顔だ」
(顔で判断されるの、ありがたいような怖いような)
「倉庫の整理、どうだ。細かい仕事もある」
「……細かい仕事」
糸と針が、頭に浮かぶ。
「やります」
即答だった。
⸻
倉庫は、町の外れにあった。
中は暗く、埃っぽい。木箱が積み上がり、縄や布が雑に放り込まれている。
「この辺、まとめといてくれ」
男はそう言って、他へ行った。
悠一は、深呼吸する。
(……糸、使えるな)
張らない。
だが、結ぶ。
崩れそうな箱を、糸で軽くまとめる。
散らばった縄を、解けないように束ねる。
布のほつれを、針で仮留めする。
(目立たない。
でも、確実)
作業は地味だ。
だが、手は止まらない。
「……お?」
声がした。
振り返ると、倉庫の奥から男が覗いている。
「兄ちゃん、それ……縫ってるのか?」
「仮留めです。運ぶとき、引っかからないように」
男は近づき、縫い目を覗き込んだ。
「……丁寧だな」
(評価された)
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
⸻
昼過ぎ。
作業は終わり、賃金を受け取った。
銅貨。
多くはないが、自分で稼いだ金だ。
「助かった。また来い」
「はい」
倉庫を出た瞬間、空腹を思い出した。
(飯だ)
露店に向かい、安いパンを買う。
噛みしめると、味は素朴だが、妙にうまい。
「……働いた後の飯、強いな」
思わず笑う。
その時だった。
「お、やっぱりいた」
聞き覚えのある声。
振り向くと、荷を背負った男が立っていた。
「……エルドさん」
商人エルド。
町で再会するとは思っていなかった。
「町はどうだ?」
「……糸、張れません」
エルドは一瞬考え、笑った。
「だろうな」
「仕事、見つかりました」
「それは上出来だ」
エルドは、悠一の手元を見た。
糸。針。銅貨。
「……稼いだな」
「少しだけ」
「十分だ」
エルドは荷袋を下ろし、布包みを取り出した。
「約束、覚えてるか?」
悠一の視線が、自然と吸い寄せられる。
「糸巻き……」
「売る」
エルドは、はっきり言った。
「施しじゃない。買え」
悠一は、銅貨を握りしめる。
足りるか。
――足りる。
「買います」
エルドは頷き、糸巻きを渡した。
木製で、素朴だが、よくできている。
糸を巻く。
絡まらない。
指に伝わる感触が、変わる。
「……楽だ」
「だろ?」
エルドは満足そうに笑った。
「町で生きるなら、道具は味方だ」
悠一は、深く頭を下げた。
⸻
夕方。
宿に戻り、糸巻きを眺める。
糸。
針。
糸巻き。
(……揃ってきたな)
強くはない。
だが、生きるための形が、少しずつ整っている。
「……明日も、働くか」
疲れているはずなのに、不思議と前向きだった。
悠一は糸を巻き、道具袋にしまう。
町という場所は、戦場だ。
剣も魔法も使えない戦場。
だが――
糸で戦えないわけじゃない。
「……やってやるか」
小さく呟き、灯りを消した。




