第十二話 町の手前で、糸を張る
町は、もう見えていた。
石で組まれた外壁が、遠くに横一線で伸びている。陽光を受けて白く輝き、門の影が小さく揺れていた。人の往来も増え、道には馬車の轍が何本も重なっている。
ここまで来れば、安全――
普通なら、そう思う場所だ。
「……普通なら、な」
悠一は歩みを緩め、独り言を落とした。
町の直前。
人が安心し、気が緩む場所。
そして、逃げ場が一気に減る場所。
盗賊にとっては、これ以上ない狩場だ。
「俺が盗賊なら、ここで張る」
嫌な想像ほど、当たるものだと分かっている。
悠一は、道の端へ寄り、足を止めた。
糸を指に巻き、ほどき、感触を確かめる。
「……張るか」
町が近いからこそ、慎重になる。
派手なことはできない。
だが、何もせずに進むのも愚かだ。
悠一は、草の影に糸を低く張った。
一本。
二本。
三本。
高さは、くるぶしほど。
間隔は不均等。
見た目には、何もない。
(……これで引っかかるのは、俺か相手か)
そんなことを考えながら、岩陰に身を寄せた。
⸻
来た。
最初に感じたのは、音ではない。
糸の震えだった。
一本目。
ごく、微か。
「……やっぱりな」
悠一は、ため息をつきそうになるのをこらえた。
草を踏み分け、三つの影が現れる。
装備は軽く、動きは静か。
無駄がない。
(……今までの連中より、慣れてる)
囲むでもなく、突っ込むでもない。
距離を保ち、こちらの反応を見る立ち回りだ。
「おい」
中央の男が声をかけてきた。
「町に行くのか?」
「……そうですけど」
悠一は正直に答えた。
嘘をつく意味がない。
ここで疑われる方が、面倒だ。
「一人か」
「見ての通りです」
男たちは視線を交わす。
その仕草だけで、会話が成立しているのが分かる。
(……連携、いいな)
感心している場合ではないが、事実だ。
「通してもらえると助かるんですが」
悠一は、できるだけ穏やかに言った。
男の一人が、鼻で笑う。
「そう簡単にはいかねぇ」
「でしょうね」
即答した。
「……ちなみに聞きますけど」
悠一は、糸を指で軽く弾いた。
「俺を倒して、得することあります?」
一瞬、間が空いた。
「金」
「持ってなさそうだが?」
「……正解です」
「武器」
「これですか?」
悠一は糸を軽く掲げた。
男たちの顔に、困惑が浮かぶ。
「……糸?」
「糸です」
(自分で言ってて、だいぶ情けないな)
内心で自虐しつつ、表情は崩さない。
「殺す気はない」
中央の男が言った。
「だが、通すかどうかは別だ」
「ですよね」
悠一は糸を張り替えた。
一本、切る。
別の位置に張る。
男たちは即座に気づく。
「足元だ」
「見えないが、ある」
「踏むな」
(……学習能力、高いな)
悠一は内心で評価を更新した。
ここで逃げることはできる。
だが、町の手前でそれをやれば、また追われる。
「……よし」
悠一は、一歩前に出た。
「通してもらえないなら、
通れる道を作るだけです」
糸を一斉に張り直す。
包囲ではない。
拘束でもない。
ただ、動くと面倒になる配置。
男たちは、動けなくなった。
「……チッ」
「面倒な手だ」
「だが、切れないわけじゃない」
「切れますよ」
悠一は、即答した。
「無理に引けば。
ただ――」
糸を、一本だけ切った。
男たちの背後。
“帰れる道”。
「……追いません」
悠一は静かに言った。
「俺も、町に入りたいだけです」
沈黙。
風が、糸を揺らす。
「……今日は、引く」
中央の男が言った。
「だが、覚えた」
「俺もです」
悠一は苦笑した。
「覚えられるの、正直困ります」
男たちは、それ以上何も言わず、後退した。
⸻
静かになった道で、悠一は大きく息を吐いた。
「……やっぱり、町の前は危ないな」
誰に言うでもなく呟く。
糸を回収し、指に巻く。
感触が、少しだけ変わっていた。
「……増えた、な」
倒していない。
勝ってもいない。
だが、通った。
悠一は町の門を見上げる。
人の世界。
ルールの違う場所。
「……さて」
糸と針を確かめ、歩き出す。
ここから先は、
逃げるだけでは、生きられない。
だが――
糸を張る理由は、もうはっきりしている。
進むためだ。
悠一は、町へ向かった。




