第十一話 糸を張る理由
エルドと別れてから、道は再び静けさを取り戻した。
人の気配は薄く、風が草を揺らす音だけが続く。町へ向かう道を選ばなかったのは、衝動ではない。悠一には、まだ「人が集まる場所」に踏み込む覚悟が整っていなかった。
糸と針を手に入れた。
だが、それをどう使い、どう生きるかは、まだ途中だ。
「……焦る理由は、ないか」
独り言を落とし、歩を進める。
道はやがて、ゆるやかな丘陵地へと変わった。視界が開け、遠くまで見渡せる。だが、それは同時に、こちらも見られやすいということでもある。
悠一は足を止めた。
「……ここ、嫌な感じがする」
根拠はない。
だが、今まで何度も命を守ってきた感覚が、微かにざわついた。
悠一は道を外れ、丘の斜面に腰を下ろす。
糸を取り出す。
指に巻き、ほどき、地面に落とす。
「張るか……」
戦うためではない。
逃げるためでもない。
**“分かるため”**だ。
悠一は糸を、草の間に低く張った。
一本、二本。
互いに交差しないよう、だが間隔は狭く。
高さは、くるぶしほど。
獣でも、人でも、必ず触れる位置。
張り終えた後、悠一は少し離れた岩の影に身を寄せた。
息を潜める。
目を閉じ、糸の感触に意識を集中させる。
――来た。
微かな震え。
一本目。
次に、二本目。
悠一は、ゆっくりと目を開いた。
道の向こうから、三つの影が現れる。
見覚えのある歩き方。距離の取り方。
「……やっぱり、か」
盗賊の三人組だ。
同じ連中。
だが、前とは違う。
隊列を組み、間隔を保ち、足元を確認しながら進んでくる。学習している。罠を警戒している。
「前より、厄介だな」
悠一は動かない。
糸も、引かない。
盗賊の一人が、糸に触れた。
ぴん、と小さな音。
「……止まれ」
低い声で指示が飛ぶ。
二人が足を止め、周囲を見回す。
一人が石を拾い、前方に投げた。
石が転がり、別の糸に触れる。
「……見えねぇ線、だな」
悠一は、心の中で頷いた。
――気づかれている。
だが、まだ“位置”は割れていない。
「……なら」
悠一は、一本の糸だけを、ゆっくりと緩めた。
通れる“隙”を作る。
盗賊たちは、それを見逃さない。
慎重に、その方向へ進む。
一歩。
二歩。
その間に、悠一は別の糸を張り直す。
逃げ道ではなく、戻り道に。
「……?」
盗賊の一人が違和感に気づく。
だが、遅い。
三人は、糸の囲いの中に入っていた。
完全な拘束ではない。
だが、動けば必ず、どこかに触れる。
「……クソ。囲まれた」
「見えねぇ相手に、囲まれるとはな」
悠一は、姿を見せない。
声も出さない。
糸を張る理由は、戦うためじゃない。
――考えさせるためだ。
盗賊たちは動かない。
剣も振らない。走りもしない。
沈黙が、時間を引き延ばす。
「……引くか」
誰かが言った。
「下手に動くと、怪我する」
三人は、ゆっくりと後退を始める。
悠一が作った“入口”を使って。
戻ろうとした瞬間、糸に触れる。
「……っ!」
一瞬の混乱。
だが、追撃はない。
悠一は、糸をほどき、回収する。
盗賊たちは、距離を取り、こちらを睨むが、追ってこない。
「……また、あいつか」
呟きが、風に乗って届いた。
やがて、三人は去っていった。
⸻
静寂が戻る。
悠一は岩陰から出て、深く息を吐いた。
「……戦わなかった」
だが、負けてもいない。
糸を指に巻く。
確かに、増えている。
以前より、少しだけ太くなった感触。
「……張る理由、分かってきたな」
糸は、敵を倒すためのものじゃない。
相手に考えさせ、立ち止まらせ、
自分が生き延びる時間を作るためのものだ。
悠一は、空を見上げる。
雲が、ゆっくり流れている。
「……次は、町、かな」
エルドの言葉が、脳裏をよぎった。
糸巻き。
条件付きの約束。
悠一は歩き出す。
糸を張る理由は、もう一つ増えた。
――前へ進むためだ。




