打ち上げ ②
「今日は来てくれてありがとう。それと、ごめんね。リョウちゃんが質問攻めにしちゃって」
「ううん、全然。にぎやかで、とても楽しかったわ」
「ちょっと、にぎやか過ぎだったけどね」
拓海が苦笑気味に答える。
麗子は拓海とともに、細い路地を駅へと向かって歩いていた。駅までは、五分ほどの距離だ。
「盛り上がって当然よ、舞台が成功したんだから。あ、そうだ。今さらだけど、二日間お疲れさまでした」
「ありがとう。よかったらまた、近いうちに会えないかな」
「ええ、もちろん」
二人して商店街が並ぶアーケードに足を踏み入れる。遅い時間なだけに、ほとんどの店がシャッターを降ろしている。
すると、前方からギターの演奏に乗った歌声が聴こえてきた。視線の先では、着崩した服装の男が、シャッターを降ろした店先でフォークギターをかき鳴らしながら叫ぶように歌っていた。オリジナルソングのようだが、平凡な楽曲で、歌唱もお粗末な感じだ。通行人は誰も立ち止まることなく素通りしていく。
麗子は通り過ぎる際、足元のギターケースに目を向けた。いくらかの投げ銭が目に留まる。千円札が数枚と無数の硬貨が赤いベルベットのような生地の上に散らばっていた。おそらく、本人が入れた見せ金も混じっているのだろう。
通り過ぎると、麗子は口元を手で隠して小声で言った。
「彼、あまり歌、上手じゃないわね」
「確かに」
二人で顔を見合わせて小さく笑った。
そこで、拓海が急にしゃがみ込んだかと思うと、落ちていた空き缶を拾い上げた。その姿に、麗子は感心する。
「拓海さん、えらいわね」
「そう?」
「ええ、わたしなら無視しちゃうもの」
「好感度、上がったかな?」
「ええ、だいぶ上がったわ」
「じゃあ、狙い通りだ」
麗子は思わず吹き出してしまう。
「拓海さん、面白いわね」
すると突然、声がかかった。
「お兄さん、ちょっといいですか?」
麗子が声のしたほうに顔を向けると、拓海の横に警察官の姿があった。背後から声をかけてきたらしく、腰を低くして拓海の顔を見上げるような姿勢を取っている。そのままへりくだった様子で警察官が口を開いた。
「警視庁——警察署地域課のサナダと申します」
「はあ」
拓海が立ち止まり、気のない返事をする。麗子も彼と並んで警察官に注意を向けた。このあたりで事件でもあったのか、聞き込みをしているのかもしれない。
「現在、警戒活動を強化しております。少し、お話をうかがってもよろしいですか?」
「すみません、少し急いでるんで」
拓海は麗子を気遣って先を急ごうとする。だが、若い警察官は拓海の進路をふさぐように回り込んできた。
「そのバッグの中、何が入ってるんですか?」
「え……」
拓海が小さく驚きの声を上げ、麗子も思わず息を呑んだ。どうやら拓海は職質を受けているらしい。
彼は心底驚いた表情を浮かべていた。それもそのはずだ。拓海は職質を受けるようなタイプには到底見えない。本人もそれを自覚しているからこそ、この状況にとまどっているのだろう。
ふと気づくと、若い警察官の他に中年の警察官が二人、のんびりとした様子で静観していた。明らかに本気の職質という雰囲気ではない。
「バッグの中身、見せてもらってもいいですか?」
拓海が心底呆れた表情を見せ、投げやりな様子で革製のリュックを差し出す。
「何にも入ってないですから好きに見てください」
「いや、その前に身体検査をさせてください」
「はあ?」
拓海が呆れた声を上げるが、若い警察官は背後に回ると拓海の腰のあたりに広げた両手を持っていく。
「いいですか、触りますよ?」
どうやら、身体検査の前に同意を求めているようだ。
「ええ、いいですよ」
だが、警察官はなおも執拗に確認してきた。
「いいですか、触りますよ。触りますよ、いいですか?」
「いいって言ってるじゃないですか!」
拓海が声を荒げた。麗子も苛立ちが募る。だが、若い警察官は表情を変えることなく、拓海のデニムパンツのポケットのあたりをパンパンパンと叩いていく。
二十代半ばくらいのその警察官は、高校球児を彷彿とさせるような運動部タイプの顔立ちをしていた。制帽の下には短く刈った頭が想像できる。ユーモアのセンスは皆無で、ちょっとした冗談も通じそうにない。友人には絶対になりたくないタイプだ。
若い警察官が拓海のデニムパンツを叩きながら口を開く。
「前にもこういった風に声をかけられたことありますか?」
「ないですよ!」
拓海が感情を露わに声を荒げる。若い警察官の質問は、拓海が職質されるような人間だと暗に仄めかしているように聞こえた。悪気はないのかもしれないが、デリカシーに欠けた物言いだ。
「ご職業は?」
「会社員です」
「そうですか」
若い警察官はそれ以上は追求しない。おそらく、大して興味ないのだろう。
「ポケットの中に何か入ってますね?」
「スマホですよ!」
拓海は尻ポケットからスマホを取り出して声を荒げた。
麗子はその様子を静かに見守っていたが、三人の警察官に取り囲まれているため、当然周囲の関心を引く。通行人たちが何事かと奇異の視線を向けてくる。人通りが少ないのは幸いだったが、いい見せ物だ。
中年の警察官の一人が、ニヤけ顔で麗子を見ている。部下の職質には興味がないようだ。
麗子はその視線を避けるように周囲に目をやった。ここは一見してかなり治安の良い場所だ。新宿や渋谷ならともかく、こんな場所で職質をする必要性はないだろう。明らかに挙動不審な人間ならまだしも、拓海は表向きは犯罪とは無縁の存在だ。
身体検査を終えた警察官が口を開いた。
「それじゃあ、バッグを見せてもらえますか?」
拓海がしぶしぶといった様子で革製のリュックを警察官に差し出した。若い警察官はそれを片手で持ち、もう片方の手で中を探っていく。
若い警察官はリュックを探りながら顔を上げずに拓海に聞く。
「もう一度、ご職業聞いてもいいですか?」
「だから会社員だって言ったでしょ!」
拓海の声に怒気がこもる。だが、若い警察官は涼しい顔で言い訳めいた言葉を口にした。
「すみませんねぇ。現在、警戒活動を強化してるんで」
だが、その態度に悪びれた様子はなく、むしろ拓海を苛立たせていることに満足しているようにさえ見えた。しかも、リュックを探る手つきにも本気で何かを探している様子はない。それもそのはずだ。所持品検査に応じた時点で、見られて困るものなど入っているはずがないのだ。それがわかっているからこそ、若い警察官は探しているフリに終始しているのだ。
やがて、若い警察官が拓海に革製のリュックを返却した。
「ありがとうございました」
警察官が礼の言葉を口にするや否や、拓海は警察官を無視して歩き出した。その瞬間、若い警察官の顔から笑みが消えた。拓海の態度が気に入らなかったのだろう。だが、麗子も構わず拓海のあとに続いた。
すると、すぐに背後から再び声がかかった。
「ちょっと待ってください!」
若い警察官が横に並ぶと、いきなり拓海の手首をつかんだ。拓海が驚いて目を丸くする。
「袖、めくってもらえますか?」
「はあ?」
「袖の下、見せてもらえますか?」
拓海はとまどった様子を見せながらも、抵抗せずに袖口のボタンを外して袖をめくった。すると、若い警察官は彼の腕を両手でがっちりとつかむと、膝の内側あたりを入念に調べ始めた。驚いたことに、注射痕を探してるのだ。
麗子はそれを見て呆れ返った。ここまでくると明らかに嫌がらせだ。それに、先ほどは触る前に何度も同意を求めていたというのに、今は許可なく触っている。若い警察官が感情的になっている証拠だ。
調べが終わると、警察官は悪びれもせずに言った。
「ありがとうございました」
拓海は不愉快そうな顔のまま無視して歩き出す。麗子も続こうとしたが、「あ、ちょっと」と呼び止められた。そして、予想だにしなかった言葉が耳に飛び込んできた。
「あの、ついでにお姉さんの所持品も確認してもいいですか?」
「え……?」
瞬間的に頭に血が上った。「ついでに」とは何か。毛髪が逆立ったのがわかる。
「先ほども申し上げましたが、警戒活動を強化しておりますので念のため」
麗子は罵声を浴びせたい衝動をぐっとこらえる。取り乱した姿を他人に見られたくはない。怒りは拓海にも当然伝わったようで、彼が警察官に食ってかかりそうな気配を見せた。だが、警察官相手に余計なトラブルを起こすのは賢明ではないと判断したのか、顔を怒りに歪めるだけで一言も発しなかった。
麗子は顔が紅潮し、ひどく引きつっているのを自覚しながらも、無理やり笑みを作り、「どうぞ」とグッチのバッグを警察官に差し出した。
若い警察官は薄く笑みを浮かべたままバッグを受け取ると、「拝見します」と一言発し、右手を中へ差し入れた。当然、違法なものを探しているわけではない。ただ、本当に「ついで」に確認しているだけなのだ。
麗子はその様子を見つめながら、バッグも中身もスマホ以外はすべて捨ててしまおうと心に決めた。
「確認できました」
警察官がバッグを返してきたが、その際、全身を舐め回すように見られた。何かうまい口実を作って身体検査できないかと思案してるのが読み取れた。だが、それはあきらめたようで、真面目な顔を取り繕って直立した姿勢で少し腰を前に傾けた。
「ありがとうございました」
麗子は激しい憤りを飲み込み、小さくうなずいて見せた。だが、感謝ではなく、謝罪の言葉を口にするべきではないか。そんな思いが胸をよぎる。結局何も出ず、拓海とともにただ不快な思いをさせられたのだから。それに、職質を受けたという不名誉な事実は今後消えることはない。
拓海が黙って歩き出したため、麗子もそれに続いた。警察官たちはそれ以上追っては来なかった。
やがて、拓海が声を震わせながら口を開いた。
「職質なんてされたの、生まれて初めてだよ」
「でしょうね」
拓海の顔はいまだこわばったままだ。あれだけ理不尽な対応をされたのだから当然だろう。
「でも、ほんと失礼な警官だったわよね。腕をつかんで調べ出したときは正直信じられなかった」
「ほんとだよ。リュックを調べられただけでもびっくりだったのに、まさか注射痕まで調べられるとはね
」
「やってるわけないってのにね」
「ほんとだよ」
怒りがぶり返してきたのか、拓海の表情が再び硬くなった。
「でも、ごめんね。ぼくのせいでいやな思いさせちゃって」
「ううん、気にしないで。拓海さんは何も悪くないんだから」
「にしても、こんな何もない場所で職質はないよな」
「わたしもそう思った。ノルマか目標件数があるのかもしれないわね」
「ああ、そうかも。もしくはただのヒマ潰しか」
「それもありそう。バッグ漁ってるときの表情、全然真剣じゃなかったもの」
「それはぼくも感じた。本気で探してる感じじゃなかったよね」
会話が途切れ、しばらく無言でアーケードの商店街を歩いていく。やがて、拓海が苦笑しながら言った。
「……でも今思うと、あんな苛立った態度を見せなくてもよかったのかなって。向こうも仕事だったんだし、ちょっと大人げなかったかな」
「そんなことないわよ。いきなりあんなことされたら、冷静でいられるわけないじゃない」
「まあ、それもそうか……」
「それにあの警察官、とっても感じが悪かったもの」
「それは間違いないね」
互いに笑い合ったところで、ちょうど駅に着いた。拓海は改札の前までついてきてくれたが、麗子は電車を利用するつもりはなかった。
「わたし、ちょっとコンビニ寄ってくから」
改札をくぐらないための口実だ。
拓海は正面に立つと、改まった口調で言った。
「麗子さん、今日は本当にありがとう」
「いえいえ、こちらこそありがとうですよ。また誘ってくださいね。これから二次会でしょ? 楽しんできてね」
「うん、じゃあまた。気をつけて帰ってね」
拓海の背中を見送ると、麗子はタクシー乗り場に視線を向けた。乗車を待つ客が四、五人ほど並んでいる。待つのは好きじゃない。
スマホを鳴らすと、すぐに応答があった。
「沢尻さん、悪いけど、今から迎えに来てもらえる? あとね、今さっきちょっと不愉快なことがあったの。また例のサービス、利用しちゃうかも。理不尽には理不尽でお返ししないとね——」
ポチッと評価、お願いします(^ ^)v




