アサガオの咲く季節
「先輩、好きです。付き合ってください。」
とある日の屋上で、そんな声が響いた。
そこには俺とその子の2人だけ。
俺はその子の事を少し前から知っていた。
登校時間がいつも一緒で、学校でもよく会うし目も合う。
薄々勘づいてはいたけどやっとその理由が明白になった。
さて、なんと返事をしたものだろうか。
別に俺はその子のことを好きなわけでも嫌いな訳でもないし、今彼女がいる訳でもないし好いている人がいる訳でもない。
断る理由も無い、か…。
「はい、よろしくお願いします。」
その一言を告げた途端彼女は俺に抱きついてきた。
俺はどうしていいのか分からずそっと彼女の頭に手を乗せた。
「ぐすっ」
なっ、俺は間違ったことをしたのだろうか。
少なくとも少女漫画では女の子が抱きついてきた時は抱きしめ返すか頭に手を乗せるのがセオリーだと思ったんだが現実ではご法度なのか?
「ご、ごめん」
完全に戸惑ってしまった俺は手を退けてあたふたすることしか出来なかった。情けない…。
「いえ、違うんです。やっと先輩のそばに居れられると思ったら嬉しさが爆発してしまって…。」
「その、だから…ありがとうございます!」
彼女はそう言って少し赤くなった目尻を拭いて俺の事を見上げた。
彼女の眩しい笑顔に不覚にもドキッとしてしまった。
これからこういうことが増えていくのだろうか?
と、言うのがつい先月の話で今俺は彼女と手を繋いで歩いている。
「それでですね…。って、聞いてますか?」
しまった、ついあの時のことを思い返して話を聞いてなかった。
「ご、ごめん」
そう謝る俺に彼女は笑って優しく声をかけてくれた。
「別にいいですよ。私はこうして先輩の隣を歩けるだけで幸せなので。」
そんなことを言われてしまうと照れくさくなってしまう。
ふと、思う時がある。
本当に俺なんかでよかったのだろうか?
俺はちゃんと彼氏をやれているのだろうか?
俺はちゃんと彼女を好きになって行けるのだろうか?
1ヶ月、もう1ヶ月も付き合っているのだ。なのにこれといって好きという気持ちが芽生えることは未だになかった。
確かにドキッとすることはあれどそれは多分好きとかじゃなくて単純に俺が異性とこういう状況になることに慣れていないだけだ。
それに俺はまだあの子のことを…。
いや、そのことはもう忘れたんだ。俺だって次に進まなければならない。
そんなことを考えてしまった自分に嫌気がさして俺は自分のほっぺたをそれなりに強く叩いた。
「えっ、ちょっ、何してるんですか先輩!?」
「別に、こんなに素敵な自分思いの彼女がいてくれるのが夢なんじゃないかと思ってしまったから確かめただけだよ。」
嘘だ。こうしてまた嘘をひとつつく度に胸が苦しくなる。
「もぅ、嬉しいこと言ってくれるじゃないですか。」
「ははは…」
俺はそうやって笑ってやることしか出来なかった。
「っと、もうこんな時間ですよ先輩!一限始まっちゃう!」
スマホをポケットから取りだして見るとそこには8時30分と大きく表示されていた。
「せんぱーい、走らないと遅刻ですよー!」
少し遠く離れたところから彼女が急かすようにして声を上げた。
こうやって…少しずつ離れていってくれるなら楽になれるのだろうか?
いっそ…
「ほんと何やってるんですか!早く行きますよ!」
彼女はそう言いながら俺の手を引いて駆けていくのだった。
結局、一限には間に合わずどうせ遅刻なのならと俺たちは屋上でサボっていた。
「暑くなってきましたね。」
今は7月だし当たり前っちゃ当たり前なのだが暑くなるのに長い長い時間が過ぎた気がする。
「私たちが付き合ったあの日はまだ少し涼しかったのに、時間ってのは早いもんですね。」
彼女は遠くの空を眺めながらいつものように優しい声色で俺に語りかけてきていた。
「そうだね、あの日もこんなふうに暑くなってきた時だった。」
そう言う俺に彼女は目をまん丸にして僕を見てきた。
「せ、先輩何言ってるんですか。あの時は涼しかったでしょ。6月ですよ?」
「あ、あぁ。そうだったね。ごm…」
いつものように謝ろうとする俺の唇を彼女は自分の唇を使って塞いできた。
しばらくしてやっと彼女が唇を離していつものように笑って見せた。
「そうやってすぐ謝るんですから。謝らないでください。謝られてばかりだと私も不安になるじゃないですか。」
そう口にする彼女はどこか儚げで寂しそうな顔をしていた。
そんな顔を見つめているとチャイムが鳴った。
「あっ、チャイム鳴りましたね。さすがに2限までサボる訳にも行きませんし、教室に行きましょうか。」
いつもの顔でそう言う彼女と俺は各々の教室に向けて歩いていった。
「はぁ…」
退屈だ。さっきまでしていたことを考えると授業というのが如何に退屈なのか思い知らされる。
にしても、いきなりキスをしてくるなんてどうかしてる彼女だ。
でもまぁ、1ヶ月付き合ったカップルなら普通するものなのだろうか?
そんなことを考えながら窓の外を眺めていた。
すると何かが窓の外を落ちていった。
たなびく黒髪、すらっとした身体、うちの学校の制服、目から溢れていた涙。
その唐突に起きた非日常に学校中が騒然とした。
死んだのだ、人が。
それも飛び降り自殺。
そして死んだのはうちの学年の女子生徒。
俺の…初恋の人。
学校はその授業で終わりとなり帰宅させられた。
「せ、先輩!」
どうしてあの子が死ぬんだ。どうして、どうして…。
「先輩!」
「え?あぁ、ごめん。」
気がつくと彼女が僕の前に立っていた。
「顔色、すごく悪いですよ?大丈夫ですか?」
彼女の気遣い。いつもなら感謝するはずなのに、とてもじゃないけど今の僕には素直に受け取ることが出来なくて酷い返事を返した。
「君には関係ないからほっといて、1人にさせてくれ。」
そう言って彼女に目を向けると涙を流して苦しそうな顔をしていた。
僕はもう耐えられなくなってその場から逃げるように走った。
走って、走って、走って…。
気がつくと家の近所の公園まで来ていた。
あの子との思い出がたくさん詰まった公園だ。
昔よく二人で遊んで、話した公園。
僕はそこでやっと自分が泣いていることに気がついた。
フラッシュバックする思い出が、あの子の最後の姿が、今の僕には耐え難くて、しんどくて、胸が締め付けられて、いっぱいになって嗚咽を漏らしながら思いっきり泣いた。
すると頭に雫が落ちてきて、すぐにそれが雨なのだと分かった。
でもそんなのを気にすることも無く僕は泣き続けた。
やがて雨が上がり僕も泣き止んでいた。
やっと理解できた。僕はまだあの子のことを忘れられてなんていなかった。心の奥にしまっただけでずっとそこにまだあったのだ。
その事がわかると、全部どうでも良くなってきた。
最愛の人を無くしたのだ。だったらもう生きている意味は無いんじゃないだろうか。
「やっと見つけましたよ!」
どこからかよく耳に馴染んだ声が聞こえてくる。
次第に足音も大きくなってくる。
今の僕はどんな顔をして彼女と会えばいいのだろう。
そんなことを考えては答えが見つからないでいる間に足音は聞こえなくなった。
「先輩、探したんですからね…」
僕はもう逃げられないのだと悟る。好きになろうとした。でもなれなかった彼女。ずっと、他の子が好きだったのに付き合ってしまっていた彼女。いつも僕のそばにいてくれて励ましてくれた彼女。
申し訳なさでいっぱいで、苦しさでいっぱいでやっとのことで口を開こうとした。
「ごm…」
「先輩、それは無しって言ったじゃないですか。雨に濡れて冷えましたよね?1度帰りましょ。」
そう言う彼女はいつものようでは無いにしろ暖かくて優しい笑顔を浮かべていた。
「先輩、お風呂沸いたみたいなので入ってきてください。」
そして僕たちは僕の家にいた。うちは母子家庭で母はこの時間にはパートに出ているので家には誰もいない。
「先輩聞いてましたか?早くお風呂入ってきてください。風邪引きますよ!」
早くお風呂にと催促してくる彼女を改めて見るとびしょびしょだった。
あの雨の中僕のことを探していたのだから当然と言えば当然なのだが。
さすがにこんなに濡れた彼女をおいて先にお風呂に入ることなどできない。
「いや、俺のせいで濡れたんだし先に入ってよ。」
僕は何とかいつものように答えて見せた。
「でもそれだと先輩が風邪引くじゃないですか。私はいいのでお先にどうぞ。」
そう言ってはくれるがさすがに寒いのか彼女の唇は紫色になっていた。
「でもそれだと君が風邪を引くだろ?だから先に行ってきてよ。」
僕も彼女も遠慮気味なので話がなかなか終わらないでいると彼女が1つ提案をしてきた。
「だったら一緒に入りませんか?」
「先輩、あまり見ないでくださいよ?」
彼女が顔を赤らめながらそんな事を言ってくるがさすがに今そんな元気はない。
「見るわけないよ。」
「そこは見るとこでしょうが!」
彼女はそんな訳の分からない怒り方をして僕の頭に手刀を入れてきた。
「イテッ」
何故だ?こういうのは見る方がいいのか?それが彼氏として当然なのか?
「ごめん。僕、彼氏らしくないよね…。」
つい、そんな弱音を吐いてしまった。
そんなことを言う僕に彼女はてっきりまた怒るものかと思ったが反応は全く別のものだった。
「先輩、一人称変わってません?」
しまった。どうやら弱っているせいか昔の一人称に戻ってしまっていたようだ。
最近こそ自分を強く見せるために一人称を俺にしているが本来の一人称は僕で確か変えたのはあの子と別れたあの日だった。
今の状況で隠し事を上手くする自信もないしそもそも隠し事はもうできないだろうから僕は素直に答えることにした。
「昔、付き合ってた人がいたんだ。その時は僕って言ってたんだけどある日振られちゃったんだ。それからその時の自分と決別するために一人称を変えたんだ。」
そう、僕は彼女に振られてから俺になった。なろうとしたんだ。
「そう、だったんですね。」
少し暗いムードにしてしまったようだ。
せっかく彼女が優しくしてくれてるんだからさすがに彼氏として良くないと思って補足をしておいた。
「いや、単純に高校生にもなって僕って言ってるのは恥ずかしいって思ったのもあってね?その、えと、だから…。」
何とかひねり出そうとしたけど上手く言葉が繋がらない。
「先輩」
「ん?」
「私のぼせてきちゃったので先にあがりますね。」
そう言って彼女はお風呂から出ていった。
「あっ、先輩。もう少しでできるのでそこら辺でくつろいでおいてくださいね。」
「え?あぁ、ありがとう。」
どうやら彼女はご飯を作ってくれているらしく部屋にはいい香りが広がっていた。
それからしばらくして完成したのか席に着くように言われた。
『いただきます。』
そう言って合掌する僕らの前には美味しそうなふわふわトロトロのオムライスが広がっていた。
確か、あの子とも昔オムライスを作ろうとして上手く卵が焼けずに何度も何度も挑戦したっけ…。
「ま、不味かったですか?」
不安そうに彼女は僕を見ていた。
「そんなわけない。美味しいよ。」
実際美味しいのでなんの滞りもなく素直に答えたのだが、
「だって先輩、泣いてるじゃないですか。」
「えっ?」
また、僕は涙を流していた。
「なんでだろ、あれ?とまら、ない…。」
何故か溢れては止まらない涙に僕が困惑していると僕の頭は優しく包み込まれた。
「先輩、辛いことがあったら泣いていいんですよ。
それに相談してください。言いたくないなら言わなくてもいいです。でも、言いづらいってだけなら言ってください。」
優しい彼女の言葉に余計涙が止まらなくなる。
「確かに、内容によっては怒ったりもするかもしれません。でもあなたの言うことだから私は最後まで聞きます。だって私はあなたを好きなあなたの彼女なんですから。」
それから僕は全てを話した。
あの子のこと。実は彼女のことが好きでは無かったこと。でも、大切な人になったこと。
翌朝起きると彼女が僕の家まで来ていた。
昨日あんなことがあったので学校は無いが僕と少しでも一緒にいたかったらしい。
「先輩の家の庭にアサガオ咲いてるんですね。」
ふと、彼女が僕に言ってきた。
「小学生の頃に育てたやつだよ。捨てるに捨てられなくて毎年種をまいては育ててるんだ。」
「そうなんですね。」
そこで会話が途切れてしまった。
何とか会話を繋げないと思い口を開いた。
『あのっ』
声が被ってしまって僕たちはそれがおかしくて笑ってしまう。
「先輩からどうぞ。」
彼女はそう言ってくれた。なんだか今言った方が得な気がしたので僕は先に言わせてもらうことにした。
「昨日言った通り僕は君のことが好きってわけじゃない。彼氏らしいことは出来ないかもしれないけど大切だしそばに居て欲しいと思うんだ。だから…!」
そこまで言うと前みたく彼女は唇で僕の唇を塞いできた。
「先輩。私は先輩に彼氏になって欲しかったから付き合ってるんじゃないんですよ。好きだから、そばに居たいから、いて欲しいから付き合ったんです。あの日に思いを伝えたんです。だから彼氏らしいだとかそんなこと気にせずにこれからも私のそばにいてください。」
やっぱり僕は彼女には敵わないみたいだ。
彼女はいつも僕に優しくしてくれて、暖かいものを沢山くれた。それは彼女だからなんじゃなくて僕のことが好きだからなんだってやっとわかった。いつもいつも言ってくれてたのにやっとだ。僕も、彼女のように彼氏だからじゃなくて、大切だから優しく、たくさんのものをあげられるだろうか。
いや、そうしたいんだ。だから僕は彼女に告げる。
「はい、よろしくお願いします。」
ご拝読ありがとうございます。
ある程度は感動的な終わり方ができたのではないでしょうか。
しかし疑問が残りますね。
なぜあの子は自殺したのでしょうか。なぜ泣いていたのでしょうか。飛び降りるとしたら屋j…。
こんなことを考えるのは野暮ですよね。
本作品を楽しんでいただけたなら幸いです。
改めてご拝読ありがとうございました。