詐欺師
あるところに一人の詐欺師がいました。
詐欺師は出会う人のすべてを騙し、欺いて来ました。彼のそうした能力は、ほとんどが後天的なものであり、彼の生きるすべでした。彼は人生の中で誰かを愛したこともなければ、誰かに愛されたこともありませんでした。彼は信じるという事を知らなかったし、知るすべもなかったのです。
詐欺師は、それは大層な顔立ちをしていました。それに加え、常に心優しい微笑を浮かべていたので、見るものに警戒心というものを抱かせませんでした。そうして彼が短い生涯を終えるまでのうちに、彼に宿る詐欺師の魂を見破れる者は、誰一人、現れませんでした。
あるとき詐欺師は友人を騙しました。もちろん友人というのは相手側の認識であり、詐欺師は最初からそんなつもりではありませんでした。それどころか詐欺師はきっと「友人」という言葉の意味すら理解していなかったことでしょう。
ある夏の日でした。友人は詐欺師に自身の悩みを洗いざらい話しました。友人は話の中で「家族」「恋人」「真実の愛」「生きる意味」などというような言葉を用いましたが、詐欺師には、やはり言葉の意味が終始理解できませんでした。それでも詐欺師は芸術的ともいえる顔立ちに得意の微笑を浮かべ、親身になって話を聞いていました。話し終えると友人はとてもすっきりした様子で言いました。
「ありがとう、おかげで決心がついたよ。今までありがとう。本当に」
そうして友人は泣きはらした目をこすり、少し笑いました。そうした一連の動作を見て詐欺師は初めて、友人がさっきまで泣いていたのだという事に気が付きました。最後に友人は詐欺師に一封の封筒を渡しました。友人は、それは遺書であり、先ほど話したようなことが一通り書かれていると言いました。そしてそれをたまに見返すことで、自分のことを思い出してほしいというのです。友人は何より人に忘れられてしまうことを恐れていたのでした。詐欺師は了解の意を示し、友人に最後の別れを告げました。それから詐欺師は二度と友人には会うことはできませんでしたが、特にそれを惜しいとも思いませんでした。それから詐欺師は友人のことを忘れ、ついに遺書を読み返すことはありませんでした。
あるとき詐欺師は老人を騙しました。彼は老人とどのようにして出会い、現在の自分達がどのような関係なのか、はっきりとは理解していませんでした。しかし詐欺師は、いつからか老人の家に通うようになり、老人は詐欺師のことを「とし君」と呼んでいました。老人は老いて弱っていましたが、詐欺師によく手作りのチャーハンをふるまいました。そして毎回同じことを言うのでした。
「とし君は、昔からじじの作るチャーハンが好きだったねえ」
そうして詐欺師がそれを食べ終えるのを大変幸せそうな表情で見ているのでした。
食事が終わると老人はいつもの昔話を始めます。古びた写真アルバムを開きながら、「とし君」との思い出を語るのです。よく早朝に起きてザリガニ釣りに行ったこと、なかなか起きない時は老人が鼻をつまんで起こしていたこと。夏は花火をして、冬は雪ダルマを作ったこと。老人はそれらの思い出を毎回昨日の出来事かのように話すのでした。
「一緒に川に釣りに行った時のことを覚えているかい?」
老人は、少年が大きな魚を抱えている写真を指しながら訪ねました。しかし、もちろんそこに写っている少年は詐欺師ではありません。老人はまたその時のことを楽しそうに話すのでした。
「この時はまだばあさんも元気だったなあ」
老人はふとそんなことを言うと、突然泣き出してしまいました。アルバムの写真は老人の涙で濡れ、鮮明だった思い出たちは徐々に滲んでいくのでした。そして詐欺師に向かって何度も何度も「ごめんなあ」と言うのでした。
「ありがとう。またチャーハンでも食べに来なさいな」
老人は詐欺師と別れるときは決まってそう言いました。
それから詐欺師が老人に会いに行くことはありませんでした。そうして詐欺師は老人のことを忘れました。
あるとき詐欺師は女を騙しました。女は彼によく懐き、彼もそれなりに応えていました。詐欺師は元々口数が多い方ではなかったので、話すのは主に女の役目でした。そしてそれを詐欺師が黙って聞いているだけで、女は満足でした。女は自分が詐欺師から愛されていることを信じて疑いませんでした。
「あなたって寂しい人ね」
あるとき女はそんなことを言いました。詐欺師は「寂しい」という言葉が自分に当てはまるのかどうか考えてみましたが、やはり答えは出ませんでした。
「もしも私が死んだら悲しい?」
女がそう尋ねたとき、詐欺師はもちろん黙秘しましたが、その答えは詐欺師自身よりも、むしろ女の方が分かっていました。
「あなたが死んでも私は多分悲しくないわよ」
女が慰めるようにそう言いましたが、詐欺師にはその言葉の意味も、悲しげな女の表情も理解できませんでした。
次の日、女が死にました。彼女の近くには錠剤の瓶と、「遺書」と書かれた一封の封筒がありました。詐欺師は、「またイショか」と思い、見て見ぬふりをしました。封筒には「あなたへ」と書かれていました。珍しく一言も口を利かなくなった彼女は、自信に満ち溢れた表情をしていました。それを見て詐欺師はとても安心しました。こうして無事、女も詐欺師の元から去って行ったのでした。やがて詐欺師は女の顔は忘れましたが、女の声だけはいつまでも彼に笑いかけているのでした。
あるとき詐欺師は星を眺めていました。詐欺師は星が世界で一番好きでした。そして世界で一番嫌いなものは自分自身でした。
詐欺師は今まで自分が欺いてきた人達のことを考えようとしましたが、それらの記憶はまるで星の光のようにぼんやりとしているのでした。しかし数えきれないほどの光が、確かにそこにはあるのでした。
本当は、詐欺師はすべてを理解していました。それは本来であれば、人間があえて理解から遠ざかろうとする様な事柄まで、ほとんど完璧に理解していました。そして、その卓越した理解力が何より彼自身を苦しめていました。そのうち彼は自分のことを「詐欺師」だと思うようになりました。その時、彼はもう自分が取り返しのつかない状態にあることを悟るのでした。詐欺師にはもう、これ以上生きていくことはできないのでした。ついに詐欺師は、その天才的な能力を持ってしても、最後まで自分自身を騙すことはできませんでした。
あるとき詐欺師は死にました。冷たくなった詐欺師の顔立ちは、やはり整っていて、どこか微笑んでいるように見えるのでした。