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日々記す  作者: 宮城創
9/20

二〇〇七年九月一日。

 

 僕が宮城創として手に入れるはずだった生活は、どこかかなたに消えてしまった。

 消えてしまったのではなく、消し去ってしまった、というほうが正しいのだと、僕の()()から訂正が入ったので書き直す。

 いまこの文章を書いている日付は、さっき書いた日付ではない。

 その日付よりも未来である。

 あの日起こったことを僕が思い出して書き残しておきたいので、わざわざ過去の日付としておいた。

 僕が宮城創として確定された後、すぐのことである。


 僕のなかのわたしが訴えかけます。

 出て行けと口汚く罵るのです。

 わたしが誰であるのかお構いなく、四六時中わめき散らすのである。


 ぼくは宮城創、あなたは深川豊美。

 僕は誰?


 結局、僕はさも当然のように宮城創としてこの日学校へ向かった。

 僕として宮城創であり続けるために、日常生活を営まなければならない。

 ぼくが僕を追い出そうとしている、ということがわかってしまって、頭の中で争い続けていた。

 物理的に我が身を傷つけるだけではうまくいかない。


 あの日、八月二十日、深川豊美に会った僕のその後、次の日から、ぼくとわたしは結託して僕の居所を追い出そうとしている。


 僕の何が悪いのか?

 今日から夏休みも明けて新学期が始まるというのに、僕の心の中は騒がしかった。


 この家には、母親がいない。

 ぼくを産んだのちに亡くなってしまった、らしい。

 と、父親から聞いた。


 しかし、仏壇のようなものはない。

 宗派の関係だろうか。

 お盆の墓参りもなかった。

 母親の写真に類するものも見覚えがない。

 実家に戻った際にぼくが見た光景である。

 とりあえず、神佑高校へ向かう。

 この学校が僕の通う高校である。

 今日も平和に過ごせればよかったのに。


「宮城君」


 呼ばれた。

 わたしが呼んでいる。

 手招きした。

 僕は考える。

 今のどちらでもない状況が、絶対的に正しいとは思えない。


 僕は宮城創である。

 明確にしなければ、いつまで経っても僕は僕自身の存在に戸惑うだろう。

 それは同時に、ぼく自身と決着をつけることである。


 宮城創は僕なのか?


 学校の裏庭のような場所に二人きり。

 二人ではなく三名。

 周りからみれば二人しか見えないだろう。


「わたしは宮城君に話があるの。あなたじゃない」


 区別する。

 僕とぼくとを比べて、僕を蹴落とそうとしていた。

 さて、僕はどうするべきだろうか。

 宮城創は僕である。

 深川豊美にどう言われようとも、はっきりと意識して答えられた。

 宮城創自身にも言ってしまわなければならない。


 どっちつかずなのは、どちらも望んでいないから。

 決着をつけなければならない。

 僕は僕であるから。


 世界の中に宮城創という名前の人間は、何人かは居るだろう。

 でも、神佑高校二年生な宮城創はたったひとりである。

 過去の記憶、現在の所属、未来の希望、絶望も感情もすべて含めて、個人的なものであり、誰とも共有されないもの。


「あなたがそんなこと言うなんて、間違っている」


 僕は深川豊美を睨みつけた。

 瞬間、視界が暗転し、頭痛が襲いかかる。


 ぐるぐるぐる。

 まわるまわる。

 ぼくがどこにいたのかわすれさせる。

 おなかがすいたぼくは。

 ぼくのこころのなかに。

 きおくのかたすみから。

 なきさけんでいる。

 これはかこのぼく?

 それともぼくではないの?

 わたしわたし。

 そこにいるのはだあれ?

 あおえおあこおあさこ。

 ぼくはだれ?

 だれがぼくなの?

 だれもしらない。

 だれにもきめられない。

 ぼくはぼく。

 わたしはわたし。

 あなたはぼく?

 ぼくはあなた?

 そう。

 あなたはぼく。

 ぼくはわたし。

 わたしはぼく。

 かわるかわる。

 すべてのきおくをすこしずつ。

 わすれてはいない。

 きおくはいつかきろくになって。

 えんえんとつみかさなるから。

 ぐるぐるぐる。

 まわるまわる。


 目を開けたい。

 閉じてしまったまぶたを持ち上げる。

 見えてきたのは宮城創。


 あれ?

 違和感。

 宮城創が目の前にいる。

 ということは、いま、この視点は、深川豊美のもの?


「ふか、がわさん?」


 そうだった。

 僕はそんな力があったのだ。


 戸惑うことはない。


 深川豊美というわたしを通して、宮城創を見つめる。

 面白い。

 僕が目の前に居るのである。

 とてつもなく間抜けな顔をしていた。

 もっとかっこいいものならよかったが、実際に向き合ってみるとなんともおかしな気持ちがしてくる。

 鏡で自分の顔を眺めた時とはまったく違う。

 笑ってしまった。

 宮城創からしてみれば、深川豊美が唐突に笑い始めたようにしか見えないに違いなく、見るからに警戒している。

 何を身構えているのだろう。

 ますます止まらなくなる。

 声を上げて笑ってしまった。


「深川さん、じゃなさそうだ。だとしたら、そうか、Hか」


 ある時、宮城創は僕にHという仮名を与えて、日記の中に手紙を残していたことを思い出す。

 僕の書いたもののまさに次の日付で、もし僕の日記だけを拾い読みしているひとがいるのなら、そこだけ違和感があるだろうと思われるその文書。


 宮城創はようやく、納得した面持ちで、僕に向かい合った。

 深川豊美の中にいる僕に対して、「出てこい」と言う。

 僕も出来れば僕自身の身体で話したいところである。

 深川豊美は僕ではない。

 あいにくこれはゲームではないので、おんなじ性能を持った宮城創を二つ存在させることは不可能なのである。

 僕自身の身体、つまり、今のような、他人の身体を媒介にして表面化されるような僕ではない、唯一無二の僕がどこにいるのか、僕にはわからない。

 この世界に居るのか、居ないのかさえこの時点では知らないのだから、どうしようもなかった。

 出てこいと言われても、出ていけと言われても、実体のない記憶のみの存在である僕は幽霊のように漂うことができない。


「じゃあ、なんでぼくを選んだ?」


 選んだ?

 僕に選択権があったのか?

 そんなものはない。

 気付いたら宮城創になっていたのである。

 神佑高校というところに転学させられそうになっていたのも、その時に刷り込まれた。


 そして、転学試験の日。

 僕はこの大事な日に、宮城創としてまた目覚めてしまったのである。

 受験会場はわかっていた。

 開始時刻も知っている。

 だとすれば、行ってみようと思った。

 受験票、筆記用具、腕時計。

 僕はもう既に世界の思惑から導かれていたのかもしれない。


 正面入り口に飾ってある男女制服を眺めて、立ち止まった。

 特に女子制服である。

 見覚えがあった、というよりは、寒気すら覚えてしまうデザイン。

 最初の記憶の中の、女の子が着ていたものと同じであった。

 この学校に通えば、僕の起源がわかるかもしれない。

 そんな期待を抱いた。


 同時にそれは恐怖でもあり、宮城創としての僕の、最初の強い感情である。


 もし、あの女の子がいたら。

 試験を受けている間も、たびたび湧いてくる疑問。僕はあの子に会いたいと思っているのだろうか。

 合格しなければ何も始まらない。

 僕自身の記憶に近付く為に僕は試験を受けて、結果として合格した。宮城創だけの為ではない。どちらかといえば僕の為である。


「ぼくを利用していたってことか……」


 利用していた、というのはやっかみでしかない。

 流れるまま、用意された事態を乗り越えていたら現実が都合よくなってしまっただけである。

 結果だけ見れば僕の為になった。

 深川豊美に関しては、ただ巻き込まれてしまった可哀想な一般人であり、僕はわたしではなかったのであり、謝るべきではある。

 しかし、宮城創に関しては、あまりにも不自然で、予定調和と一言でまとめてしまうのは失礼にしかならない。

 僕は宮城創である。

 お前は何者なのか?


「ぼくはぼくで、宮城創だ。お前こそ誰なんだ?」


 消えるのはお前のほうで、僕は宮城創としてのすべてを手に入れる。

 平凡な人生を。

 ありったけの運命を。


 深川豊美の身体から、僕の精神が抜け落ちて、宮城創の過去を巻き戻し、再生し、上から重ね合わせていく、現在の僕がここにいるように、このまま生きていくことが真っ当に、世界に認められるような、世界の正しい歴史書の中身が編纂されていく、上書きするように元々存在していた宮城創の存在を消し去り、僕が僕で、僕が宮城創であるということが、世界にとっての事実になるように、歴史が、個人の見解が、皆々様の意識が、狂っていき回転して、僕の頭の中を混ぜ込んで、景色を歪ませて、誰でもなかった僕が宮城創として固定されるように、ぐわんぐわんとうねりながら、変わる。


 チャイムが鳴る。

 僕は至極当然といった顔で登校しようとしていた。

 深川豊美の視点は消えて、僕以外のひとびとの記憶もない。

 つまり、僕をHたらしめていたものはなくなったのである。

 これが一般人から見える風景かと、浮き足立ってしまう。

 秋晴れの空が広がっている。


 僕が元々どういう力を持っていたかどうかは、今となってはこの日記でしか判断できない。

 宮城創のオリジナルが書いていた部分はそのまま僕が書いたものとして定着されたが、僕をHと仮定して書いた手紙のような部分に関してだけ、どうも違和感がある。


 ふと、立ち止まる。

 裏庭から続く、非常用出口の手前。

 嫌な予感がした。鳥肌が立つような感覚。急に世界が静まる。


 神佑高校の女子制服を着た女の子が現れて、僕を見た。


 見覚えがある。何度となく夢の中に出てきた少女。

 おぼろげな記憶をたどっても、名前は出てこない。


 本を持っていた。一冊の本である。

 僕の日記とよく似た形状をしていた。

 でも題字がある。

 日記ではない。


「久しぶりですね、ピリオド」


 僕に対して言ったのだろう。

 つい振り返ってしまったが、僕しかいない。

 深川豊美は過去が再編集された時に扱いが変わって、今、普通に登校している。


 宮城創は僕である。

 では、ピリオドというのは?


「あなたは宮城創として確定され、その結果、歴史、つまりひとびとの記憶が組み直されました。宮城創のオリジナルは別の世界に移行し、この世界に矛盾が生じないように取り計らいされます。あなたはあなたの役目を果たすために適当な身体を与えられました。あなたあなたと言うのも嫌なのでわたしはあなたをピリオドと呼ぶことにします」


 長々と説明が続いた。

 言われた当時は唐突すぎてまったく理解できていなかったので、先ほど書いたかぎかっこの中身も思い出せる範囲でしかない。

 以降も、白菊美華が語る部分に関しては後からわかったことを補完した内容である。


「わたしはアカシックレコードと共に正しい歴史を誘導し、矛盾を排斥する為の存在です。一応、名前は白菊美華とあります」


 にこりと笑う。

 これまで真顔でわけのわからないことを話しかけている美少女が、笑いかけてきた。

 戸惑う僕は、「へへ」と、返答なのか呟きなのか、どちらでもない反応しかできない。


「この世界の正しい歴史に、小さな変動が見られました。ピリオドがピリオドとして目覚めたからです。これからその名のように、誤った歴史に終止符を打っていかなければなりません。それがピリオドの役目です」


 役目、と言われた。

 自分の出自すら定かではない僕の。

 宮城創の母親がどうして存在しないのかさえもわからないというのに、この世界での必要性だけははっきりとしている、と。


「たとえばあなたは宮城創に関するすべての記憶を塗り替えました。この世界に矛盾がないように。その変化を察知して、わたしはここに来たのです。ピリオドであるあなたに出会うのは、久しぶりでした」


 僕はいつ、彼女に出会ったのか。

 宮城創の記憶をたどっても出てこない。

 僕としての最初の記憶。


 あれは僕自身のもの?

 違う。


 僕はあの時、既に他人の視界を手に入れていた。

 そうじゃない。


 他のひとびととは違い、僕の記憶として定着され、まるで僕自身の記憶であるかのように振る舞う。

 くぐもった場所から、見上げるようにして。

 僕は一部始終を特等席から眺めていた。


「ピリオドであるあなたが、ずっと抱いていた疑問……『僕は何者であるのか』についての答えを、今から見に行こうと思うのです。そうすれば、きっと、あなたはあなた自身の配役に気付いてくれるでしょう」


 白菊美華が僕の手を握る。

 その手はまったく温かみがなくて、僕は思わずふりほどいてしまいそうになった。

 きつく縛られた手は、動かない。

 景色が変わる。

 僕が宮城創として確定された時よりも、力強く、吐き気を催すほどに。


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