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日々記す  作者: 宮城創
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八月二十日。海の日。祝日。

 

 ところで僕であり、わたしであり、あなたは誰なのか、てんでわからない。

 もしかしたら我々はそれぞれもとは別のかたがただったのかもしれない。

 わたしは僕に集約化されて、僕として未来永劫続いていく。

 確かにわたしがわたしであった頃もあっただろう。

 はるかかなたひと昔前の思い出。

 たぶん僕が僕でしかなかった頃もあっただろう。

 今も昔も動かない事実として、現在にもつながっていく。

 僕が僕である現実は僕の生きてきた過去が証明してくれるだろう。

 僕の記憶のみならず僕の身の回りにいた人物、他ならぬあの娘が含まれる。

 僕に関わった多くのかたがたが僕の姿を見て、僕の名前が宮城創であり、また深川豊美であると認めるに違いない。

 あなたがたは我々がもとは二人の人間であった過去を覚えているか? と質問されて答えられるだろうか? わたしはわたしであり、僕は僕である。


 宮城創であると同時に深川豊美である。


 僕は両者の記憶を持ち、また、周囲のかたがたからも両者であると認められている存在。

 あり得ないと笑うのは勝手であるが、名前がなんであろうと、僕が僕として他者に承認された時間とともにわたしがわたしとして歩んできた全行程はこのからだを巡り巡って、他人だらけの世界を駆け回っている。


 僕自身が望み、あの娘が受け入れた。

 いずれ周りは気付くだろう。

 そのとき僕はわたしである。


 深川豊美となって秩序のなかにもう一度生まれ変わり、別の誰かの記憶を思い出して移ろっていく。

 本当に僕は最初のはじまりはどんな人間だったのか、記録していれば面白かった。

 もう僕はどこにもいない。

 オリジナルな僕の記憶は僕ではなかったのかもしれない。


 最近頭が痛い。

 宮城創という僕、深川豊美というわたし、他の何者か、またはそもそも僕であった誰か、何人もの思い出が混在している。

 突然叫び出すわ、うずくまるわ、頭を壁に打ち付け始めるわで、宮城創の周辺部は宮城創本人に恐怖心を抱いていた。

 周辺部に深川豊美がもちろん含まれている。

 宮城創がどれほどまでに憔悴した様子であるか、気が狂ってしまったとしか言えない行動、何らかに怯えているかのような言動、深川豊美の目に映る多くの景色として僕の記憶に雪崩れ込む。


 つまり宮城創である僕は僕自身の奇行を深川豊美というわたしの瞳から眺めているのだ。

 余計に気味が悪い。


 のどの痛み、赤くなったひたい、真っ白い手……。

 どうしてこんな自傷行動に走っているのか? 僕に何を見せたいのか。

 宮城創である僕に対して宮城創本人は何を伝えたいのか? いつも通りの日記が連なる。


 僕は混乱している。

 狼狽していた。


 宮城創であろうとする僕に対してほかのひとびとの記憶が叛逆し、追い払おうとしている。

 僕が何をしたのか教えていただきたい。記憶を奪った、と言う。

 そのひとの周りのひとびとの記憶を、僕として塗り替えただけである。

 自分が自分である理由を考えたとき答えは出るか。

 証明できるか。

 宮城創である僕は、本当に宮城創として我々の目に映るのか。

 少なくとも深川豊美から見た宮城創は分かっていた。

 いまは可哀相な姿である。

 これまではどう見えていただろうか。


 僕が宮城創としての視点を手に入れたのは三月の真ん中あたりである。

 試験勉強をしていた。

 ちょうどそのとき。

 間違いだらけの問題集が目の前に現れ、僕は、いままさに僕自身を叩いているような頭痛とともに、宮城創となった。



 とぼけた僕は夏休みであるにも関わらず学校にやってきた。

 夏休みだと理解出来ていない。

 うっかりしていた。

 上履きに履き替える。

 やけにひとが少ないな、ぐらいに思っていた。


 朝から吹奏楽部がやかましく、校庭では甲子園が近いというのに野球部の姿がなく、平和な鳥の鳴き声が響く。

 予鈴のチャイムは鳴らない。

 ほかの生徒は居るのだろうけど会わないまま、教室に着いてしまった。


 教室前。

 ひとが居る。

 そのひとは僕を知っていて、僕もそのひとのことをわかりすぎるほどにわかっていた。

 お互いに秘密も、隠しごともできない。

 彼女は、気付いてしまった。わたしのなかに僕の記憶が混じり込んでいることを知っている。


「わかっているよ、宮城君」


 深川豊美は悲しそうな顔をしていた。

 宮城創である僕と深川豊美であるわたし、そして宮城創本人。

 わたしが見ているのはあなた? それとも別のひと?


「わたしは宮城君のこと、わりと好きだよ」


 それは告白のようで、違う。

 宮城君のことは好き。

 でも、宮城創である僕のことは、わたしがはっきりと拒絶している。

 ここに来ることがわかってしまった。

 宮城創である僕は学校が夏休みに入っていただなんて思っていない。

 宮城創である僕の記憶がわたしと繋がっている。


 僕は登校した。

 今日もこれから始業のチャイムが鳴る。鳴らない。休みだから。

 深川豊美も登校した。なぜか。宮城創が来るから。

 僕の目をわたしが見る。

 どちらがどちらを見ているのか、僕にはわからなくなってきた。

 僕は宮城創なのか、それとも深川豊美なのか。

 僕が僕としてこのままあり続ける為に、いつかわたしになってしまった後になって面倒な出来事を生むのは好ましくない。


「あなたはどちらでもないよ。わたしはわたし、宮城君は宮城君。あなたはだあれ?」


 こいつを黙らせてやりたい。

 この誰でもないよくわからない人格を宮城君のなかから追い出して、宮城君の悩みを消してあげなきゃ。

 わたしにしかできない。

 僕の思考と深川豊美の考えが織り交ぜられる。うるさい。出て行け!

 どうしたの?

 そう、わたしはあなたが嫌い。

 わたしは宮城君のことは好きだけどあなたのことは大嫌い。

 なんだかテレパシーみたい。

 僕は完全に深川豊美に飲み込まれてしまったのか。

 もしもチャイムが鳴るのなら、この休みの日でも終わりを告げて、深川豊美を鎮めてくれる。


 チャイム?

 ああ、思い出した。


 僕はわたしのかさぶたをはがす。彼女の封印した記憶。思い出の奥底。


 再生する。

 巻き戻される時間の流れ。

 過去のわたしの意識の中へめり込んでいく。

 わたしの中から過去を見つめた。


 小学校。

 わたしは正直なところを言うと頭が悪くて、勉強に追いつけなくて、この神佑附属小学校から抜け出すことばっかり考えてて。

 でもお父さんもお母さんもずっとこのまま、おんなじ学校のなかで過ごしてくれることを願っていた。

 そんな子。


 いま考えてみると神佑高校、またその上の神佑大学へはわたしの学力では到底入れそうにない。

 附属校を卒業した、という強みがなければ難しかっただろう。

 わたしは両親の期待に応えるために毎回のテストをぎりぎりでくぐり抜けなければならなかった。


 外のひとたちから見れば神佑高校卒業というのは大きな意義を持っている。

 肩書きだけで相当な期待がかけられてしまう。

 一人残らず誰しもが天才である、と。

 卒業生に著名な政治家が居り、世界的に名の知られた芸術家が居り、またスポーツ界に世界的なプレイヤーが居た。

 各方面で才能を発揮するようなかたがたを続々と輩出する。一体全体何が他とは違うのか。


 小学生も後半になり、そろそろ自分と他人との差異を感じるようになると、自ずと答えが見えてきた。

 要するにもともと才能があるような子どもらしか集めていない。

 何の取り柄もないようなわたしみたいな子のほうが珍しくて、そもそもどこかひとつずば抜けている、良く言えば優秀な・悪く言えば風変わりな・もっと言うなら普通の学校ではいじめられそうな、そんな感じの。


 個々の能力はとても高い。

 よくわかる。

 でも集団になると弱い。

 お互いがお互いを引きずり落とそうとしてまったく前に進むことなく時間切れになる。

 彼らに協調性という言葉を教えたら、「効率が悪い」と返ってきた。

 他人に任せて責任を分散させるよりも自分一人ですべてを片付けるほうが遥かに早く終わる。

 何よりも間違いがない。

 ミスがあっても自分の責任。

 連帯責任なんて寒気がする。


 彼らはいつでも個人主義で、仮初めの集団を作り上げてもひとりひとりの考えは捨てていない。

 いつもどこかでお互いをバカにしている。

 相手とは違う。あそこのあのひととは合わない。わたしのほうが優れている。特にこの点がよい。

 区別して自分であろうとする。

 クラスの雰囲気は陰湿ではない。

 暗くはないがどんな時でも誰もが誰かとの差異を生み出して満足している。

 確かにあなたは素晴らしい。

 ひとりの人間としては足りない。

 わたしはそんな環境で最低ランクを維持している。

 わからないものはわからない。

 しょうがないとごまかして笑う。

 どこがわからないのかわからないから解決しようがない。


 この日もまた、同じ。

 仲間はずれがあっては見た目に美しくないと、わたしのまわりを取り囲む。

 どうせわたしは出来ない。

 出来ないわたしをどうにか出来るようにすること。

 彼女たちにはある一種の使命感があった。

 使命感によって彼女たちは繋がっている。

 クラスの圧力じみた何か。

 救済策の威圧感。

 わからないことの何が悪いのかわからないわたしはまんなかで縮こまる。

 閉じこめられたその日。

 授業と授業の合間だった。

 わたしがわからないのは算数。

 次の時間の宿題すら解けない。

 考えれば考えるほどに自分が何に躓いてしまったのか見えなくなってくる。

 周りからなんやかんやのフォローが飛んできた。

 その声に圧されて、わたしはさらに戸惑ってしまう。

 早く解放されないかなと期待を込める。

 一向に宿題が進む気配が見えない。

 さきほどからまったく、考えがあちらこちらに周り回っていてたぶんこれが適当と思われる答えが浮かんでは消える。


 時計を見た。

 そろそろチャイムが鳴る。


 ようやくこのひとときから抜けることができる、という喜びで秒針を数え上げていた。


「静かにしなさい!」


 それは怒鳴り声。

 現実に立ち返った。

 現在のわたしたちも教室の中。

 ただし、高等学校の。

 僕の頭の中で反響して広がっていく。耳をふさいでも関係ない。過去の思い出である。

 わたしのトラウマと重なって答えになる。

 深川豊美はよろけた。まともに立っていられないほどに、両手を床についている。ワタシハワルクナイ。

 僕に流れ込んでくる劣等感、正当化の声。

 ダレモワカッテハクレナイ。

 でも、あなたなら、わたしになれるあなたになら、わかってもらえるだろう。

 わたしのことをすべてぼくがわかってあげられるほど僕の記憶容量は大きくない。

 僕自身、僕であるのか、僕が本当に宮城創であるのか、見境がつかないのだから、いまここで日記を書いている僕が宮城創だという確証はどこにある?

 逃げ出した。

 深川豊美を置き去りにする。

 途中、階段から転げ落ちそうになったが、なんとかやりすごした。

 そこまで焦る必要があったのか?

 と言われると疑問は残る。

 だが、何ともいえない不安感が降りかかってきたのである。

 このまま墜ちてしまうのではないか?

 もしかしたら、最初の記憶が警告してくれているのかもしれない。

 離れれば離れていくにつれて、過去からの残響が消えていった。

 ほっとしている自分がいる。

 混乱は穏やかに、ここまでの内容を書き記した。

 僕は宮城創でありたい。

 ほかの雑念を振り払って、固定された人間になる。

 周囲にどう思われようとも構わない。


 わたしではなく、僕である。


 書くと安心してきた。

 夏休みの宿題でもやろうかと思う。


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