雨の中
ぽつりぽつり。
ざざざざざざざざざ。
天気雨だった。
たぶん。
すぐ止むだろうから。
わたしは雨宿りしようとした。
ぽつんと玄関にたたずむ。
筆記用具の類を持ってきていればここで宿題をやってしまってもよかった。
残念ながら持ち合わせていない。
なんでこう。
一つ足りない。
なんて詰めが甘い人生なんだろう。
誰か傘を持ってきてくれないかしら。
学校の置き傘、どこだろう。
ああ、帰りたいな。
帰りたいけれど、この雨の中で帰ったらびしょ濡れでまったくやる気が出ないまま寝てしまう。
起きたら明日。
こうして宿題が終わらないまま最終日を迎える。
何も成長していない。
小学校の頃から変わっちゃいない。
もう高校生なんだからしっかりしないと。
そう言い聞かせて二年生。
まだ進路は決まっていない。
わたしは文系科目も理系科目も苦手だから、どちらに進めばいいかなんて考えられない。
このまま進学しないでどこかでバイトしながら暮らしたい。
でもそれは両親が許してくれない。
ずっと昔から彼らはわたしに期待をかけすぎている。
ひたすら暗い気持ちになった。
両親のことを考えると気が重い。
何も考えないで生きていければいいのに。
校庭のほうを見つめる。
いつの間にか部活動の面々は避難していた。
サッカーゴールも。
金属バットも。
テニスラケットも落ちていない。
がらんと広がった校庭が、やけに大きく見える。
この学校は住宅地の中にあるから、一般的な校庭よりも狭い。
運動系の部活動は場所の取り合いをしている。
よくけんかになっている場面を見てしまう。
見慣れた風景。
そのはずなのに。
妙な感覚があった。
端っこのほうに、ひとが立っている。
この雨の中。
傘をさしていない。
こちらを見ていた。
なんだろう。
絶対、この神佑高校の生徒ではなさそうだった。
雰囲気が違う。
歳は同じぐらいだろうに、わたしよりも一回りは年上のような。
重苦しい。
目を合わせてしまうと、どきりとした。
何か胸の奥深くを掴まれてしまったような。
実際にそんなことをされたことはないからわからないけれど。
冷や汗が出てくる。
鳥肌が立つ。
逃げなくてはならない。
あのひとは会ってはいけない。
わたしにとっての天敵。
また大声で怒鳴られてしまう。
そんなの嫌だ。
まっぴらごめんだ。
まずこの場から去らないと。
いなくなってしまわないと。
わたしは立ち上がる。
どこに逃げればいいのかわからない。
どこかに行かなければならないのに、行き先が思い当たらなくて、戸惑う。
「あ、あの」
背後から、声がした。
わたしは校庭に背を向けている。
男の子の声。
どちらかと言うと高音。
だけれども女の子の声とは違う。
「今は西暦二〇〇七年、で合っているか?」
えっ?
今年は二〇〇七年。
確かにその通り。
「なるほど。俺はまた繰り返す必要がありそうだ」
意味深。
振り返れば、そこに男の子が居た。
しわやらしみやらでちょっとよれよれなスーツを着ている。
髪はぼさぼさで、まったく気にしていないんだろうな、という様子。
わたしよりも背が低い。
たぶん、百五十ないんじゃないだろうか。
右手に日記帳のような本を持っている。
それ以外に持ち物はない。
小学生ではなさそう。
中学生にしては幼すぎる顔立ち。
高校生とは思えない。
もうちょっと身長があってもいいし、声も低くていい。
でも、スーツって。
着慣れているようには見える。
似合っていないとは言わない。
どこかちぐはぐなのだけど、どの辺がとははっきりしない。
どういうことなのだろう。
身にまとっている雰囲気、のせい、かもしれない。
どこか暗くて。
後ろめたくて。
どんよりとしていて、正体が掴めない。
こんなひとに会ったのは初めてで、しどろもどろになる。
「ああ、別に気にしなくていい。こちらの話だ」
ごまかされた。
こちらの話って何だろう。
謎の少年はあーでもないこーでもないと、一人で考え込んでいる。
そういえば。
今外は大雨なのに、この子はまったく濡れていない。
そもそもここに何をしに来たのだろう。
わからない。
見る見るうちに怪しくなってくる。
「ところで、この学校に宮城創君が居ると思うんだが」
宮城君?
この学校に宮城君は一人しか居ない。
わたしのクラスに居る。
どうして。
今、ここでその名前を聞かなければならないのだろう。
わたしの視界の端っこに。
宮城君の物と思われる視界が食い込む。
何なの?
どうして邪魔をするの?
わたしは映像を振り払う。
一瞬視界がぼやけてしまう。
ええと。
わたしは。
学校の玄関に居る。
うん。
大丈夫、ちゃんと立っている。
「そうか、居るか。ちゃんと設定通りだ」
うんうん。
少年はうなずいている。
設定通り?
「俺はこの世界を作り直し、新しく設定し直した。それが働いているかどうかを確認しに来たんだ」
何を言っているのだか。
さっぱりわからなくて、逆に呆れてしまう。
ただの病気じゃないか。
この少年の頭の中では、世界はそうなっているんだろう。
付き合っていられない。
「まぁ、信じられなくてもいい。無関係の人間に信じてもらおうとする程、俺も暇じゃないんだ」
無関係かどうか。
わたしが宮城君とまったく関係がないかどうか。
そんなことはない。
もしも。
まったく関わり合いがなかったのなら。
宮城君の記憶がわたしの記憶と混じり合うことはない。
全然知らないひと同士ならよかったのに。
わたしはいつからか宮城君の頭の中が読めるようになってしまっていて。
最初はわたしの記憶だと思っていた。
だけれども。
ちょっと違う。
たとえば昨日見たテレビ。
わたしはA局のテレビを見ていたつもりでも、実際の記憶に映っているのは宮城君の見ていたB局のテレビで。
会話がずれていく。
宿題をやったと思っていてもまだ終わってなかったり、三時間目は数学だと覚えていたら英語だったり。
日常生活で不便になっていく。
どこまでがわたしの記憶?
どこからが宮城君の記憶?
わからない。
誰も教えてくれない。
一人で悩む。
宮城君に話してみようと思ったこともあった。
でも、変な子だと思われるのが嫌で。
二度と話せなくなってしまうのが怖くて。
いまだに相談できないでいる。
「つまり、君は無関係じゃないのか……。厄介なことになったもんだ」
少年がため息をついた。
厄介って。
困ってはいるけれど。
「俺はクリスと言う。電話番号はこれ。白菊美華に巻き込まれたら連絡が欲しいんだが」
ようやく名乗った。
クリス。
見るからに日本人なのに。
「そういう設定なんだ」
設定か。
設定じゃ、しょうがないか。
なんとか納得しようとする。
うん。
しょうがないしょうがない。
「とにかく、君の記憶の中に、白菊美華と名乗る女の子が出てきたらここに電話してくれ。まぁ、会うことはないと思いたいが」
白菊美華。
思い出そうとする。
ああ。
日記帳をもらった子。
そんなことがあった気がする。
わたしは日記帳を持っていない。
持っていないけれど、もらった記憶はある。
夢の中?
「いや、違う。それは宮城君の記憶だ」
そ、そっか。
その通りかもしれない。
その日は二〇〇六年六月六日。
わたしは下校中だった。
特に何があったかは思い出せない。
たぶん、何もなかったのだと思う。
何も事件がなかった分、記憶に残らなくて、余計に宮城君の分の記憶で埋め合わせられている。
難しい。
「頑張ってくれ。……なんだか、俺が考えていたよりも根深くなってしまっているような気がするが」
え。
そんな。
助けてくれるわけじゃないの?
その、白菊美華ってひとから。
この、深川豊美っていうわたしを。
「白菊美華は君に直接危害を加えるわけじゃない。俺が会いたいだけだ」
宮城君がらみで、わたしが白菊美華さんに会う可能性があるから、その時に連絡が欲しい。
ということ?
「そういうことだ」
白菊美華さんとはどういう関係なんですか。
直接連絡は取れないんですかー。
どうしてわたしが仲介する必要が。
「……一昔前に、俺が白菊美華に渡した物がある。それを返してもらいたいだけだ」
その時連絡先を交換すればよかったのに。
そうすれば督促出来たのに。
なんて言うとクリスは目を逸らしてしまった。
図星だったのかもしれない。
話してみるとちょっと電波なだけで案外いい奴っぽい。
そんな感じがしてきた。
「じゃあ、そういうことで。よろしくお願いします、だ」
最後にぺこりとお辞儀をして。
雨の中に消えていった。
どうして傘をささないんだろう。
風邪を引いたり体調が悪くなったりしないんだろうか。
はたまた、そういう『設定』?
「やだなー」
夏休みの始まりから、こういう変なことに巻き込まれると。
なんだか胸騒ぎがしてくる。
白菊美華さんに会えなくても、宮城君にはなんとか言わなくちゃ。
もう一人の宮城君。
深川豊美としてのわたしを揺るがす存在。
なんとかしなくちゃ。
これもまた夏休みの課題のようなものだった。




