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日々記す  作者: 宮城創
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二〇〇七年五月八日月曜日。晴れ

 この娘は、よく喋る。

 僕がその話に興味があるかないかと言えば、上の空なのだが、まったく意に介さず、むしろ「あー」だとか「そうだね」だとかいうあいづちさえ打ってくれれば相手は誰でもいいのではないかとさえ思える程度に、口を動かしていた。

 ちょっとでも注意を払っていれば、話題が延々と繰り返されているという事実に気付いてしまうのだが、僕にとってはどうでもいいことである

 どうでもいいが、僕以外の周りのひとびとから見るとだいぶ目に付くらしい。

 ひそひそとうわさ話が嫌でも聞こえてくる。

 どうやら僕と深川豊美は付き合っている、と思われているようである。

 間違いであると断言はできないが正しくはない。

 僕は基本的に平和主義者である。

 厄介な問題には関わりたくない。

 どうせならすべて穏便な解決策を提示していきたい。

 僕は僕であることは相違ないがわたしが起こした面倒な事柄さえも背負っていかねばならない惨めな身分である。

 損な役回りだろうか。


 僕はわたしである。

 僕は宮城創の記憶を持つ宮城創の姿をした存在。

 同時に深川豊美の記憶を持っていた。


 記憶。


 わたしの記憶が延々と脳裏で再生されたとき、今日この日に思ったこと・感じたこと・望んだこと・叶ったこと・その他エトセトラが浮かんでくる。

 ひとびとはひとりひとりの生き方があって、多少窮屈でも、それなりに満足感を抱いて日々を過ごしていた。

 昨日と今日とは違う日で今日と明日ともおんなじではない。

 晴れの日もあれば雨の日があるように、肌寒い日や薄着の日もある。

 僕は数多くのひとびとの記憶のなかを行き交い、生きている存在である。

 いつ気付いてしまったかははっきりと記録していない。

 思い出せる直近の映像は、空を飛んでいたので、人間ではなく別の生き物であろう。

 宮城創という僕はこのように文字を書き記す行為を好んでおり、おかげさまで僕が間違いなく宮城創という名前を持つ僕であると認識させてくれる。

 誰彼に名前を呼ばれなくとも意識を呼び起こし、宮城創という人物であると決めつけられるのは僕としてもわたしとしても非常に便利である。


 僕はいま、高校生で、この学校へは今年の春に転入してきた身。

 前の高校で不登校児だった宮城創。

 特にこれといって異常はない。

 僕がともにいるということが大きな異変、か。


 おしゃべりなこの娘の目を見つめても何ら気にすることなく、彼女を押し黙らせる特効薬は授業のはじまりを告げるチャイムである。

 今日のこの時間は、「そういえば、あの」というタイミングで止まった。

 いったい何だったのか、ちょっと気になる。

 世間的にはゴールデンウイークが終わってしまっていた。

 教室全体に言いようのない、敢えて言葉を当てはめるなら、「どんよりとした」空気が漂う。

 僕は多くの課題をすべてやり終えてから登校したのであるが、部活動に所属している熱心なひとびとでは一切片付ける暇がなかったというのが、時間という魔物の脅威である。

 一部の例外を除いて。

 魔物は不平等であり、欲しからざる者に与え切望する者から逃げ、無限にあるように見せかけて実はそうではない物である。

 深川豊美はまだ英語の課題を終えていないらしい。


 授業は四時限目である。

 提出もまた同じ。

 本日は四時限目の後に保護者会なるものがあるので居残れない。

 つまり、四時限目が始まる前にどうにかして英語の課題を終わらせなければならないという話である。

 プリントが五枚だったか。

 ちなみに今は二時限目の数学の授業中。

 僕は板書しつつこの日記を執筆中である。

 深川豊美の席は目の前で、筆の進みが明らかにおかしい。

 教師の書く文字とまったく歩調を合わせようとしていないのがよくわかる。

 課題を片付けようとしているのであろう。

 先程の休憩時間にはしつこく僕の課題を見せてもらえないかと頼まれた。


 しかし、僕とわたしが同時に存在しているかぎりわたしにも僕の記憶が存在しているはずである。


 僕がわたしの記憶を思い出してわたしの住所を言い当てることが出来るように、わたしもまた僕がゴールデンウイーク半ばに課題を終わらせたときの記憶を掘り当てることが出来る。

 デジャヴ、という現象がこの世界では往々にしてあり得るらしい。

 それとよく似ていた。

 いわゆる既視感である。

 別のひとは前世の記憶だと言った。

 僕の中にある記憶も、遠い昔であったり意外と近年のことであったり、様々なパターンが散見される。

 記憶の順序はあいまいで前後関係がはっきりとわからないものが多い。


 だが、一番はじめの記憶はわかる。

 それは僕の視点ではない。


 僕はややくぐもったところから様子を見ていただけである。

 なんと言っているのか、話し声だろう音は聞こえていた。

 それは女の子が誰かを突き落とす場面である。

 この高校の女子用制服を着た少女に押されて背中から墜ちてしまった。

 その後どうなったのか。

 その誰かはいまの宮城創ではない。

 高いところから頭を打ってしまった。

 もうこの世のひとではないだろう、と思う。

 最期に見た景色が僕に連続した。

 僕の起源と関わりがないとは言い切れない。

 あの子は誰か?

 思い出して絵にしてみようか。

 それより授業に集中すべきだろうか。

 と、うかうかしていたら授業が終わってしまった。

 目の前の席に座る深川豊美が問題を解かなかったせいで僕は晒し者である。


「わかりません!」


 深川豊美は言って、周りの失笑を買った。

 教師は困り顔である。

 では、と宮城創である僕を当てた。

 前に出て黒板の上に文字を書こうとするとどうもうまくいかない。

 ノートのように罫線が引かれていればまだ書きやすいのかもしれないが、時折チョークを置いて爪を研ぎたくなる。

 周りが耳を塞ぎたくなる異音で、僕のことは不問にしていただきたい。

 国語的なミスはあったが正解したのでよかった。

 送りがなを間違えたぐらいで減点しなくともいいのではないか、と思う。

 数学である。

 言いがかりに近い。

 僕が憤慨している間に、深川豊美は課題を終えた。


「おわったー!」


 だなんて大声で叫ぶ。

 正直、他人ならどれだけよかっただろうと思った。

 何故か僕はわたしであり、宮城創である僕と深川豊美であるわたしが存在しているのである。

 何故この娘が僕であり、そもそも僕が宮城創であるのか、僕自身は他人の記憶をコピーして次へ次へと生きていく存在であるのか、よくわからない。

 僕本人の身体はどこへ行ってしまったのか、本来の僕はどこの誰なのか、名前は?

 このままひとびとの記憶を飛び交っては間借りする生命であり続けるのか、てんでわからない。

 自分のことだというのに誰かに答えを求めている。

 他力本願。

 今の僕は宮城創である。

 宮城創である僕は宮城創に留まろうとして宮城創のように振る舞う。


 日記を書き、授業を受け、ひとと話す。

 そんな人生が、いまは楽しい。


 居心地がよい。

 深川豊美の思念が巻き込まれるのが不愉快である。

 僕が僕として存在する力を廃棄しないかぎり、延々と流れ込んでくるだろう。

 それは僕が僕自身であることを辞めることと同義である。

 そのあとの僕はどうなるのか。

 僕自身は宮城創に憧れているのかもしれない。

 宮城創であることを望んで、僕は宮城創になった、そんな気がするのである。

 宮城創本人にしてみれば邪魔だろう。

 書かなければよかったかもしれないが、書いてしまった後ではどうしようもないので残しておく。


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