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日々記す  作者: 宮城創
16/20

死よ、答えを教えてくれ

 僕の記憶が。

 過去も過去。

 別の世界の記憶を探り当てる。


 私立神佑大学医学部附属病院西病棟八〇一号室。

 ここに一組の男女が居りました。


 男の人の名前は、宮城賢。

 名字はミヤギではなくキュウジョウと読みます。

 当時の年齢は二十歳前後です。

 病室のベッドの傍らに椅子を据えて、何やら楽しげに談笑しています。

 ベッドの上で起き上がり、にこにこと笑いながら話を聞いている女の人は、宮城蘭といいます。

 夫婦は同じ名字を使います。

 証拠にお揃いの結婚指輪が、お互いの左手の薬指にはまっています。

 この世界でも夫婦別姓が騒がれた時期がありましたが、二人の意志に任せるということで落ちつきました。

 予定日まで残り一週間。

 もし相部屋の方がいらっしゃるのなら、この二人の会話を微笑ましく思うか、あるいは羨ましく思うかのどちらかでしょう。

 残念ながらいらっしゃいません。

 面会時間の始まりから終わりまで毎日ベッドの横に居座り、一体彼らは何を話しているのかが気になった看護師の一人が、帰りがけの賢を捕まえて、聞き出したことがありました。

 彼は笑顔で「これから生まれてくる自分達の子供の将来について」を、周囲のあきれ顔を全く眼中に入れず、どこか遠くを眺めて、延々と語り出し、もう二度とこの質問を向けるのはやめようと、スタッフ一同は心に決めた次第なのであります。

 院内の時計が午前十一時半を示すと、私立神佑大学医学部附属病院の面会時間、午前の部が終了します。

 午前の部があるのですから、もちろん午後の部もありますが、これは午後二時からでありまして、この間は患者や医師などの食事および休憩時間等々と定まっております。

 ということですので、賢はほとんど追い出されるようにして西病棟の正面入り口から院外へ。

 九月の、澄み切った青空が広がり、ほんのりと色付いたイチョウの葉が秋を感じさせます。

 医学部のキャンパスに隣接する形で建てられましたので、ここ神佑大学で学んでいる者達がイチョウ並木を歩いておりますのにさほど違和感は覚えません。

 問題は平日だというのに面会時間ぎりぎりまで病室で話し合い、「お金は無くても構わない、愛さえあれば!」と子供が産まれるというのに未だ定職に就かず、ぶらぶらと一人で大学見学をしながら午後二時まで時間を潰していらっしゃるダメ亭主。

 一五〇センチメートルと、青年にしては随分と小柄なので、警備員に「君、学校はどうしたんだい?」と聞かれてしまい、若作りしているつもりではないのに実年齢よりかなり年下に見られていると、喜んでいいのかわからない気持ちにさせられた後に、あても無く彷徨うこと八十七分。



 視点が変化する。

 吐き気を抑え込みながら。

 僕は見せられ続ける。



 ここ最近、何者かに尾行されているような気がして、不意に立ち止まってみたり、後ろを振り返ってみたりとしていた。

 やがて学生さん達の視線に痛みを覚えて、自分は恨みを買う人間では無いと言い聞かせることでなんとか幻覚を振り切ろうとしていたんだ。


「こんにちは」


 きっと錯覚だと思いたいが、一瞬にして、目に見えていた秋の風景は暗闇の中に沈んでいった。

 真っ暗で、自分すら見失いそうで、飛び込んでくる映像はただ黒一色の世界に、変貌した。

 自分に対してとても親しげであるけども、全く聞き覚えのない少女の声がした方向は、背後。

 何故だろうか? 自分の中で〝振り向く〟という選択肢を選ぼうとは思えなかった。

 尾行されているというのが単なる被害妄想ではなかったとして、その犯人に、自分の名前を知っているこの少女を重ねずにはいられなかったのかもしれない。

 もしかしたら自分が忘れていただけで、相手が自分の事を覚えていて、久しぶりに姿を見かけたから声をかけてみた、高校や中学校などの同級生かもしれない。

 ……なんてことは、まずはその場から逃げる為に、全速力で走り出し、距離を十分にとってから改めて考え直した結果だ。

 この仮定が正しいのなら、自分は相手に悪いことをした。

 彼女の姿を探そうと、立ち止まり、振り返って、イチョウ並木の合間を縫うように、声をかけられた場所へと戻ろうとした。

 が、一歩進もうと足を踏み出した瞬間に、左胸に鋭い痛みを感じて、恐る恐る右手で小さな傷口を、なぞるように触れて、赤い液体が指に付いたのを、首をひねりつつ、両目で凝視した。


「血……?」


 痛みを堪えながら、必死になって近くの建物に駆け込み、鏡で自分の姿を確認して、事態の奇怪さを目の当たりにし、一旦冷静になって考えてみることとした。

 通常、人間の心臓は左側にある。

 それを銃弾が貫いたなら、普通は出血死する。

 撃たれた後に、数百メートル走って、なんで自分は無事なのだろう?

 一般的に考えて血が服を濡らしていそうなものだが、Tシャツの上から銃弾が貫通して出来た穴があり、その周りにお飾り程度に付いているだけだ。

 よくよく見ると、傷口が塞がりそうだ。

 とりあえず、病院に行った方がいい。

 医学的知識の浅薄な凡人があれこれ考えるよりは、医者に相談した方が遥かに正確な答えが導き出されるだろう。

 自分を撃った犯人だとか、尾行していた奴だとか、声をかけてきた少女とか、他人を気にかけるよりは自分の、この尋常でない状態から抜け出さないと話は始まらない。

 幸いにも病院が近くにある。

 休憩時間だが、急患だと言って無理矢理にでも診てもらうしかない。


 ストーカー(仮)から声をかけられ、スナイパー(これも仮)に心臓を撃たれる。

 厄日。


 もし入院という話が出てきたら、担当医に頼んで妻と同じ病室に入れてもらおう。

 そうしよう。

 最期に見るのは、貴女と、赤ん坊の顔でありますように。

 だんだんと痛みが取り除かれていく。

 覚束なかった足取りが、今となっては嘘のように軽快だ。

 病院まで、残り五十メートル。

 イチョウで敷き詰められたアスファルトの上を、左胸を隠しつつ突き進むことあと三分とかからない時間で渡りきり、正面入り口の階段を昇り、自動ドアを通り抜ければそこは私立神佑大学医学部附属病院内だというのに……いうのに……。


「これぐらいで死なれても困ります」


 どこかで見たことがある制服 思い出した、私立神佑大学附属高等学校の制服を着た少女だ。

 目の前に立ちはだかって、呆れた調子で話しかけてくる。

 自分はその高校の卒業生ではあるが、あまり後輩とは関わりがなかったし、この少女に見覚えがない。

 しかし、声の感じに聞き覚えがあった。

 彼女の姿をまじまじと見ていたが、右手で掴んでいる物は、言葉を失うのには十分な力を持っていた。

 拳銃。

 何かの映画でしかお目にかかったことがないので確かではないが、筒に取り付けられているのは、サイレンサー。

 発砲音を消す道具。


「改めまして……こんにちは、宮城賢くん。わたしは白菊美華と言います。久しぶりです」


 親しげな声。

 わかった。

 さっき、背後から話しかけたのは、この少女だ。

 銃声がしなかったのは、サイレンサーが音をなくしたからだとすれば、自分を、撃ったのは、この少女だ。

 犯人だ。


「そんなに怖い顔しなくても……あ、傷、塞がってませんか?」


 言われて左胸に触れてみれば、確かに、穴は塞がっていた。

 綺麗に撃たれた痕跡は消えてしまい、痛みもない。

 ホッとするどころか、逆に戦慄が走り、背筋は凍り付き、鳥肌が立ち、イチョウのじゅうたんに膝をつき、俯き、目を見開いて両手を眺め、体中の震えが止まらずに、いた。

 自分は、どうなってしまったのかと、常人ではない、おかしい、自然治癒力と、言い切ってしまってはいけないような、これは、一体、なんだ?

 特異体質?

 何が、変なんだ?

 何故、この少女は笑っているんだ?

 そう見えるだけかもしれない、でも、彼女は笑っている、笑っている。

 そんなに俺が、その両目には、奇異に映るのか?

 何の根拠も無しに撃ったとするのなら、「これぐらいで死なれても困ります」という台詞が引っ掛かる。

 誰が困るのだろう?


「あなたは不死の力を持っています。これまで気付いていないようでしたが、あなたはあなたの役目を果たす為に、永遠に生き続けなければなりません。そういう()()なのです」


 何を言っているんだ?

 そんなファンタジックなことを立て続けに言われても、理解できない。

 わけがわからない。

 説明されても理解できないのは、自分の頭が悪いからなのか、それとも話が難しくてついていけないからなのか、……どちらにせよ同じ意味合いか。


「この世界はもうじき滅び、あなただけが取り残されます。あなたはこの世界を作り直し、〝正しい歴史〟の因果を生み出すのです」


 ちょっと待て、〝今の世界が滅んでから〟俺が〝作り直す〟世界?

 滅ぶ?

 滅ぶってどういうことだ?


「なくなります。そしてあなたは何十億年を生き延び、その間にこのアカシックレコードを封じ込めて、〝正しい歴史〟を生きる白菊美華に渡さなければなりません」


 自分から聞いておいてこう言ってしまうのも変だが、……馬鹿馬鹿しい。

 そんなの、誰が信じるもんか。

 嘘をつくんだったら、もっと信憑性のある嘘であって欲しかった。

 午後二時になりそうだ。

 能力とやらで傷も治ったことだ、同じ病室に入る計画は無下になってしまったが、そんなことどうでもいい。

 三人で一緒に暮らせればいいんだ。


「この世界の運命はもう確定しています。わたしは別の世界の白菊美華に期待しましょう」


 私立神佑大学医学部附属病院、午後の面会時間は二時から始まり五時前に終わります。

 美華との会話のせいで時間を無駄にしてしまい、いつもなら二時ちょうどに西病棟八〇一号室に入っているというのに何十分と遅れてしまい、不機嫌さをオーラにして発しつつ、看護師さん達に心配される程でしたが、病室に入ってしまえば、すぐにイライラは吹き飛んだようです。

 夫妻の会話に美華の話は出てきません。

 今、何よりも大切なことは、三人の未来でありまして、第二文明の滅亡などというスケールの大きすぎる話は関係ありません。

 養育費はどうするのかとか、住む家はどうするのかとか、仕事はどうするのかとか、まだまだたくさんございます、そう、悩みの種は尽きません。

 世界の終わりが近付いているのだと教えられたのですが、数分前にそれを告げられた夫の脳裏に、美華の言葉は残っておりません。

 幸せすぎるのは、罪でしょうか。

 楽しい時というのは、あっという間に過ぎ去ってしまうものです。

 名残惜しむように何度も手を振って、退室する夫を微笑んで見送る妻。

 明日また会えると信じて、正面入り口から外へ出ます。

 陽は少しだけ傾いていました。

 この世界を生きているすべてのモノ達に、死の影は常に付きまとっているものでありますが、その影が本体を午後五時をもって一斉に飲み込み始めました。

 例外は一人。

 どんな致命的な攻撃を受けたとしても、たとえば心臓を打ち抜かれたとしても、今現在の身体に修復できる強力な治癒力を持っています。

 老いず死なずの身体、不老不死の肉体と言っても、決して、過言ではありませんし、むしろ正しいと言い切れるでしょう。


 すべて、予定通りでございます。

 これは世界の終わり。

 これは破滅の記憶。

 この〝正しい歴史〟の世界ではない。


 何が起こったのか、理解するのに、時間がかかった。

 いや、まだわからない。

 わからない。

 どうしてこうなってしまったのか。

 何故、みんな、倒れているのか。

 誰もかもが、青ざめた顔をして、口から泡を噴いて、倒れていた。

 人間だけじゃない。

 池の中を泳ぎ回っていたコイは、ぷかりと浮かんでいた。

 死んでしまった生き物にたかるハエは、自ら水に飛び込んでいた。

 土の中で夏を待っていたはずのセミは、わざわざ地面から這い出ていた。

 いつでも空を飛び回っていた鳥たちは、じたばたともがいていた。

 やがて力つきて、死んでしまった。


 ……これは夢だ。

 とんでもない悪夢だ。


 たぶんこれからのことが不安で不安でしかたがなくて、うなされているんだろう。

 面会時間が終わって外に一歩出てからすぐに眠ってしまうなんて、かなり疲れているんだろう。

 季節は秋だっていうのに、イチョウは冬の色に染まっていた。

 変な少女(白菊美華と名乗っていた)と話していた時は、確か、じきに黄色くなりそうだったというのに。

 暗い。

 夕方にしては暗すぎる。

 自分の心、不安を映し出すかのように、どんよりとした曇り空になりつつあった。

 雨が降ってきた。

 まるで滝のような雨だ。

 病院から傘でも借りないと、これでは帰れない。

 夢の中なのに、いやにはっきりとした考えがよぎって、苦笑いしつつ、正面入り口から再び院内に入った。

 こちらにも倒れている人々は多かった。

 死屍累々。


「……冗談じゃない」


 どこかのゲームじゃあるまいし。

 倒れている人々の中に、以前話し掛けられたことのある看護師を見つけた。

 院外で見た、どの人々とも同じように、顔面蒼白で、泡を噴いていた。


「……嘘だ」


 肌は冷たくなっていて、目は澱んでいて、脈がなかった。

  どうなっているんだ?

 疑問と共に、嫌な予感がした。

 どんなに健康だった人でも、何の突拍子もなく倒れているのに、身ごもっている、彼女は……蘭は……?

 大丈夫だ。

 いつもみたいに笑顔でいる。

 心配いらない。

 どんな時だって、蘭は元気だったじゃないか。

 いくら体力が衰えているからって、俺よりも先に亡くなるなんてことは、ない。

 ありえない。

 心臓撃たれても死ななかったのは当たり所が良かっただけで、実は大したこと無かったんだ。

 もしかしたら左側じゃなくて右側に心臓があるのかもしれないし。

 大丈夫だって、信じてるんだ。

 この思いを裏切られたくはない。

 裏切られはしないさ。

 ……だって、これから、三人で、生きていくんだろう?

 階段を駆け、連絡通路を渡り、西病棟八〇一号室。

 扉を思いっきり開けようとした、が、それは、ぴくりとも動かなかった。

 重かったわけではない。

 自分で、真実を確かめるのが、この期に及んで、恐ろしくなっただけだ。

 ここまで来るのに夢中すぎて、何人を踏んでしまったかわからない。

 最悪の結果が、待ち受けているとしか、思えなくなり、自分が、それを、受け入れられるのか……いや、受け入れられない、そんなこと、……でも、ここまで来たのなら、開けるしかない。

 覚悟を、決めた。


「蘭っ!」


 返事は、なかった。

 宮城賢は、まず自分の耳を疑った。

 蘭はちゃんと答えているのに、自分が聞こえていないだけだと、思い込むことにして、次に視力が落ちたのだと考えようとして、更には現実から逃げ出そうとしている。

 これまで様々な物を踏んだせいで、脂や汗、血などで汚れてしまったスニーカーが、病院の床に新たな足跡を作る。

 足を引き摺り、そう遠くはない距離を、半身をふらつかせながら、ゆっくりと、賢は蘭の傍に歩み寄っていた。

 しまいには僅かな望みに縋りつくように、しかし、希望が絶望に移り変わるのを恐れて、崩れ落ちるように、へたり込む。

 結果は見えている、わかっている。ここまで近付いていて、尚も目のせいだとは言えない。

 わかってしまった。

 息をしていない、瞳孔が開き一点を見つめたまま動かない、……心音を確かめるまでもない。

 苦しかったのだろう、掛け布団はベッドの上から床まで落ちている。もがいた後なのか、くしゃぐしゃになっていた。


 ほんの、たったの、数十分。

 ちょっと前まで、喋っていた。

 その相手は、もういない。

 もう、この世の人ではない。

 この事実を否定してくれる人はいない。

 どんなに信じられなくとも、現実はそこにある。

 今の賢には、受け入れられるだけの器が作られていなかった。座ったまま、拳を何遍も床に打ち付け、その痛みが全くないことへの驚きよりも蘭を失った悲しみが彼の心を苛み、口を囈言のように、「嘘だ」と呟かせていた。


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 嘘だこんなこと。


 人間だけでなく、すべての動植物が亡くなっているのに、自分は何とも起こっていない、いや、痛覚が無く怪我がすぐに治る身体になっていることに対しては、疑問を持たなかった。

 持たなかったわけではない、持てない。

 蘭の死がもたらした感情が、彼の思考を麻痺させていた。

 彼女の存在は、大きすぎる。

 賢は蘭なしの生活を想像できなくなっていた。

 蘭が賢から離れて、どこか別の場所へと行ってしまう そんな日は来ないと妄信していた。

 どうしてそれほどまでに蘭を愛していたのか。

 狂信者のように、あるいは、偏執狂のように。

 いつからだっただろうか。

 盲目的に好きになったのは。

 始まりは他愛ないことで、蘭の方から話しかけてきて、心のどこかではしつこくつきまとう彼女を鬱陶しく思っていて、終わりはあまりにも唐突で。

 悲しみの濁流に飲み込まれて。

 僕は僕自身を見失う。

 僕は誰?

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