第一話
この世界の月は、二つある。大きい方がサイナス、小さい方がティクラ。それぞれに神の名を冠したそれらから降り注ぐ魔素によって、大気も地面もそこで生きる動植物も魔力を帯びている。
そこに生きる人々もまた、その魔力を活かして日々の暮らしを営んでいる。所謂剣と魔法の世界と呼ばれる類の世の中でも、人々の全てが剣を取り魔法で以て戦うような社会というのはなかなか成り立つものではない。そこには商店を営む者もいれば動物を育てることを生業にする者もいる。ただ、物騒な生き物や人間がいれば、それらから身を守るために人を雇う必要も生まれてくる。
「なんだか面妖な所に出てきたねぇ」
「面妖なも何も、まるっきり景色が違ってるじゃねぇか」
空には太陽があり、足下にはそれほど整備されていないとはいえきちんとそれと認識できる、それなりの幅の道があり、道の両脇には森があり、少し先では馬車だったものーすでに馬は殺されているようだーが武器を持った生身の男たちに襲われている。
「森を切り開いて道を通したのかねぇ」
そう言いながら無造作に馬車に近づいていくのは、雨でもないのに和傘を片手にさした、和装の人影。
「なんだァてめぇは」
護衛の最後の一人を斬り倒した賊が、その気配に気付き、血刀を下げたまま振り返る。
「何だと言われても説明に困る……というか……」
傘の下には、青灰色をした猫の顔。
「説明して欲しいのはこっちだよなぁ」
もう一つの声が重なる。その妙な空気に他の賊の手も止まっている。とはいえ護衛を全て倒してしまったのでそれほど急いでないのだろう。
「助けて!助けてください!」
馬車の外の弛緩した空気を破るように、女性の声が響いた。
「うるせーなっ!おとなしく待ってろ」
馬車を蹴る下っ端。
「で、ここはどこなのかねぇ?」
「どこでもいいだろ。金目のモン置いて回れ右、だ」
「回れ右したとしても、帰れるとは限らないんだけどねぇ」
そう言いながらも袂から決済チップを取り出す。
「この辺でもコレで支払いはできるかい?」
しかし残念ながら賊にはそれが何なのか分からなかったようで、
「なんだぁそれ」
「そんな石ころが何になるってんだ」
口々にそんなことを言う。それだけではなく、段々我慢の限界が近付いているようだ。
「おや……困ったね」
「わかってて遊ぶのやめろよな」
「いやいやわからないじゃないか。こんな見た目でも全部ホログラフィーでぶいあーるで体感型何とかってやつかもしれないしねぇ」
うろ覚えの言葉を使う猫。しかし残念ながらVRでもホログラフィーでもなく、特にオンライン決済でチップを払うイベントというわけでもない。
「ごちゃごちゃうるせぇ、金目の物持ってるかどうかはぶっ殺した後で調べてやるよ!」
そう言いながら振り下ろされた刀をいつの間にか抜き放った刀で受け流すと、突出してきた賊の頭を柄頭で殴り飛ばす。
「乱暴な人間は嫌いだなぁ」
そういうと猫は一旦刀を納めて
「馬車の中の人。助けたら後で行灯……は無いか、灯りの油を頂けるかね?」
返事は即座に返ってきた。
「そ、そんなものならいくらでも差し上げます!」
「聞いたかい、いくらでもだそうだよ」
猫が舌なめずりする。
「良かったな、じゃあいくらでも働けるな」
「いくらでもは働きたくないねぇ」
どこまでも呑気である。
「一人で何が出来るってんだ」
賊の一人が言う。賊は全部で6人。馬車の護衛が全員斬り伏せられていることからも、決して侮って良い相手ではない事がわかる。しかし賊を見回した猫は気にもとめずにこう言ったのだった。
「全員が生身……面白いこともあるもんだねぇ」