婚約者の独白3
「……何故、なのだろうか」
浅い夢を見るように、なぞった過去。眼を開けた先には、窓から青白い光が差し込んでいた。
何度思い返しても、彼女が命を絶つ理由がわからなかった。
宰相から葬式が開かれると聞いてもその場へ赴く気にはならず、ただただ政務に没頭する。重たくなる頭が寧ろ冴えて、それなのに目が霞む深夜。
ふと、騎士の青年の言葉が過った。
「……そうか。ぼくの、せいか」
彼女を、王妃候補に選ばなければ。そうすれば、彼女は自ら命を捨てることはなかったのだという結論に、行き着いた。
そして宰相に乞い、案内された彼女の眠る場所。長く婚約者であったのに、好きな花すらろくに知らず、ただ真白の花をそこに手向けて呟いた。
きみに惹かれなければ。きみを望まなければ。
そうしたら、互いに違う人生があったのだろうという、謝罪を込めて。
しかし前日に何があろうと、民へ王妃の御披露目と懐妊の報せがある以上、暗い顔など作っていられない。
高台でただ二人微笑み、送られる祝いの品々に寿ぎ、一日を終える。
これから迎えるであろう日々に互いに胸を踊らせ、眠る夜。けれどそんなことは許さないというように、それは始まった。
「殺すことが目的ではないのでしょう」
国民への披露目を行って以来、毎夜自室にやって来る侵入者を捕縛した騎士団長が一言、そう呟いた。
「どういうことだ?」
眠る部屋を変えようが護衛を増やそうが減ることなく度重なる闇夜の襲撃に疲いて疲弊して眠る彼女を抱いて問い掛ける。
「送られてくる人間はどれも三流とすら呼べないレベルの輩ばかり。正直、暗殺者の肩書きすら名乗れぬような者が高い報酬金に釣られてやって来たのだろうなという印象です。これ程のスパンで金額に物を言わせて仕向けて来れるような相手ならば、もう少し手練れの者を送って来るでしょう。そうしないということは、それなりの理由があると思われます」
床を汚しながら回収されていく死体を見やりながら己の見解を語る騎士団長の声は固く、柔和な笑顔を浮かべていることの多い表情は険しく歪む。
先代の王が存命であった頃から騎士団長という立場を預かる彼でさえ、こんなにも多い侵入は初めてだという。まるで、送ることだけに重きを置いているようだ、と。
「……殺すことが目的ではなく、ただ人を送ることに何の意味があるというのだ?」
「それは、私にも」
首を横に振って切られた会話を、頭の中でなぞる。本来の目的は、殺すためだろう。けれどそうではなくて、ただただ嫌がらせのように人を送り続ける理由。
「おやすみになってください」
「……ああ」
血で汚れるからと、もうカーペットすら敷かなくなった床を手慣れた様子で清掃するメイド。そんな様を眺めていれば、扉の前で今日も同じように待機する騎士団長に睡眠を促される。決して眠れるような環境ではないが、少しでも休まなければ明日に障る。
浅い睡眠を取っては起こされるような日々の中で、過ごす。そんな日々に終止符が打たれたのは、宰相が持つ一枚の紙。
「……では、そのように?」
「……ああ」
濁された言葉。けれども、確かに通じ合う意図に、私は頷く。唇を噛み締め、震える声が了承の意を吐き出せば、その準備は着々と進んだ。
数え切れぬ程の売国の跡。ご丁寧に、私達でさえ追えるように跡の残してあるそれらでは、簡単に証拠が集められてしまう。
スクリファット侯爵邸の一室。全てを見通していたかのように自室で待つその姿に、息を呑む。
記憶に残る大臣の姿からはかけ離れた、生の感じられぬその姿に。
「…………わかっているよな?」
自分の娘を死に追いやった人間。そんな私を見上げて、彼は一言吐く。
「どうでも良い、ことだ」
先王の右腕として国に仕えた臣下の言葉は、どうとでも取れた。だから、反射的に歪んでしまった顔。それを誤魔化すように彼から目を離し、地下牢へ運んだ後に尋問を科すよう指示を飛ばす。
「……」
けれど彼は、最初に語ったこと以外、何一つとして口を割らなかった。
「…………」
どれ程残忍な罰を与えても、甘言を囁いても、何一つとして。
結果、このままでは死ぬだけだという看守の言葉を受け、尋問はたった一つの供述だけを手にして切り上げられた。
処刑の時間が決まったと告げても顔色一つさえ変えない彼は、国民がショーとして楽しむ断罪の場に上がっても変わらなかった。全身に拷問の跡が見られながも、石と罵倒を投げ付けられる姿は、こちらが見るに堪えない程だというのに。
「……やれ」
それでも刑を、一因を担う者としてその場を終わらせれば、ごろりと転がったその骸は嗤っているような気がした。
レナード殿が最初に供述した通り、彼が亡くなってから夜間の襲撃はぴたりと途絶えた。
「陛下、こちらを……」
「ああ、すまない」
久方振りの静かな夜が続き、代わりに増えた仕事を今日も自室で処理していたとき。一休憩入れるよう促した従者の茶を口に含み、息を吐く。
「ディー……おつかれさま」
一息入れていれば、近頃はずっとベッドで寝そべる彼女が身体を起こしてこちらを見ていた。
「ああ、ありがとう。体調はどうだ?」
「ん、今は平気」
相変わらず体調が優れなさそうだが、落ち着いた夜を過ごすことで多少良くなってきているようだった。
このまま、何事もなく過ごせたらいい。
そんな風に思うことさえ許されやしないのだろうが、それでもそう願えるくらいに穏やかな日々を過ごしていたある日。
嘲笑うように、そんな日々は終わった。
「あ……」
「どうした?」
「来ないで!」
政務を自室で行う傍ら、今日もベッドで休んでいた彼女が、青ざめた顔でこちらを見つめている。何かあったのかと近寄れば、即座に拒絶され、躊躇う。
「ううっ」
「っ!宮医を呼べ!今すぐに!!」
けれども腹を抱えて蹲ってしまった彼女に無理矢理近付けば、白いシーツを染める朱が目に入って、扉近くで待機していた侍従へ声を荒げて指示を飛ばす。
自室に駆け込んできた宮医に追い出され、視界を染めた赤い色が目に焼き付いて離れなくて、仕事が手に付かない。ペンを握っては戻し、握っては戻しを繰り返していれば、漸く部屋への立ち入りを許可された。
「大丈夫なのか?」
一番にベッドに寝そべる彼女に近寄り、その傍で身体を見たであろう宮医に詰め寄れば、彼女はそっと目を伏せて小さく言葉尻を濁す。
「王妃様の御子は……」
消え入るような声で、多くは語らず、最後は静かに消えたその一言で、理解した。
「……そうか、ご苦労だった」
気を失って眠る彼女へどう説明をしようか。そう考えを巡らせていれば、何か言いたげにこちらを見上げる宮医がいる。何かまだ続きがあるのかと待っていれども、その口は開き掛けるだけで先を紡がない。
「陛下、あちらで。少し」
しかし覚悟を決めたのか、揺らいでいた眼は確個たる意思を持って向けられた。この場で話せないこと。それは、眠る彼女に聞かせられない話だということ。そう察して、自室の奥、執務室として改造した部屋に移動する。
「それで、なんだという?」
起きた彼女が入って来ないように内鍵を掛け、ソファに腰掛けて今度こそ離されるであろう題を待ち構える。先程に比べて比較的早く動いた彼女の口から告げられた言葉はいっそ聞かなければ良いと思う程に残酷で、ある意味報いのようなものかと、納得した自分がいた。
「ディー、ディー。ごめんね」
「君が無事で良かった」
平穏が訪れていた自室で、眠っていた彼女が目を覚ました。子が流れてしまったこと、それをなるべく彼女が傷付かないように伝えれば、柔らかい瞳は涙に濡れて、ただただ謝罪を繰り返していた。
君のせいではないと肩を抱き、君が無事で良かったと言葉を吐き続けていれば落ち着いて来たのか、少しだけ顔色に光が戻る。
「次は、産んでみせるから」
少しずつでも、元気になってくれればいい。そう思って浮かべていた表情は、彼女の一言によって崩れてしまったのだと思う。
「……ディー?」
機微に聡いとは言えない彼女が、僕の意図を汲み取ってしまうくらいには。
「…………ディー?」
デリケートな問題に、簡単に大丈夫と嘯くようなことは出来なくて、沈黙を守るしかなかった僕の態度で、彼女は自分の身体について察してしまった。
「もう、望めないの?」
泣き出しそうに震えた声で、こちらを見上げる彼女。
次は、難しい。そう宮医から告げられた言葉を、彼女に伝える気はなかった。例えこの先に子供が望めないとしても、その結果どんな手段を取らざるを得ないかをわかっていても、子を失ったばかりの彼女にする話ではないと、流石にわかるから。
「ああ゙っ……」
身体を抱き込むようにして、喉から絞り出すような慟哭が漏れた彼女をただ抱き締めて、産科医の言葉をなぞる。
今回の件で彼女の身体にいくつか問題が残り、そうなったら経験上、もう一度子を望むことは難しい。望めたとしても、この世に生を授かることが出来るかがわからない。そんな、言葉を。
「…………ごめんなさい」
そして、その言葉の通り、彼女は子を産むことが出来なかった。
数年の間、何度か子を宿したことはあった。けれども、どの子も早期のうちに水子となってしまって、この世で産声を上げることは叶わない。
「せめて、せめてお一人だけでも」
「……わかった」
王妃に子供が望めないのなら、新たに妃を据えるか愛妾を取るかをせざる得ない。一人、たった一人でも良いからと進言する宰相に頷き、言い方は悪いものの手頃な令嬢を見繕ってもらう。
傍系で、血族の血を持つ養子に迎えられるような子供がいたのなら、それでも良かった。けれど、軒並み産まれたのは息女という報告ばかりで、子息が誕生したという報告は一切、聞かない。
まるで、何かの咎を背負ったかのように。
「…………いつか国が滅びることを願って、か」
何度目かわからない流産の報告。慣れたと言ってしまえば不謹慎だが、もう慣れて期待も失望も感じなくなった夜。
自室を改良して使っている執務室の窓から空を見上げ、思い起こす。
過去、レナード殿から送られてきた暗殺者から、いくつか話を聞くことが出来た。
目が飛び出る程の破格な報酬、添えられたメモには依頼内容と今しがた零れた一言が書かれていたという。
その当初に話を聞いたときは運良く暗殺が成功し、私達が死ぬことによって傾くであろう国の未来を考えての一文だと思った。
しかし今は、こうも子が流れてしまう今を知っては、その一言には違う意味が込められていたのではないかとさえ思ってしまう。
「子を望めぬ国母では、国は衰退していく」
王子王女による政略結婚は、不安定になった国家間を繋ぐための交渉の一つ。その切り札を持っているかどうかで、国が長生きするか緩やかに衰退していくかが決まるといっても過言ではない。結婚という契約、王子王女による他国との留学交換、そういった積み重ねが、仮初めの友好関係を作っていくのだから。
そんなものを気にしなくても良い程にこの国が大国であるのなら、何一つ気にしなくても良い。しかし、まだまだ発展途上であるこの国で、しかも一度臣下の謀反が起きたという情報が出回っている今は、少しでも他国との繋がりを強化しておく必要があった。
「……」
もし、仮に。暗殺者を毎夜送ることによってストレス等で彼女の子が流れ、このような事態に陥ったとき。
「……はは、まさかな」
考え過ぎだろう。いくらレナード殿が優秀な大臣であったとしても、自分がいなくなったときのことなどわかりやしない。
それなのに。
まるで、お前も子を失う痛みを知れというように。
そうした後に、昔と同じようにお前は国王として責務を果たせるのかと、問い掛けられるように。
重なる、全て。
「…………そんなわけ、ないだろ」
窓に映る自分の姿。情けなく表情を浮かべる、自分の姿。それが、あの日と被る。
墓の前で、すまなかったと吐いた言葉に贖罪を願った訳ではなかった。
けれど、何一つ彼の痛みを知らなかったそのときと今とでは、同じ言葉はもう吐けない。
歯を噛み、救いを求めそうになった自分を押し止めた。全ては、己が蒔いた種。彼を恨むことも、贖罪を乞うことも、決して許されやしないから。
「……陛下、こちらを」
「ああ」
ずっと準備していたであろう紙束を受け取り、私は後日、王としての責務を果たした。
息の詰まるような、深い、闇夜の中で。
「……君か」
王妃の承諾を得て行われた夜伽。見張り番として扉の外に立っていたのは、ここ数年の間で目覚ましい勳歴を上げて副騎士団長の座まで上り詰めた彼女の幼馴染み。
特に掛ける言葉もなくその横を通り過ぎ、用意された閨の部屋から自室へと戻った。
『シュティ様の代わりに国を支えたいのです』
そう言って婚約者がいた身にも関わらずただ子を産むためだけに身体を重ねる役目を背負ってくれた娘。
そんな彼女が無事懐妊したという報せと共に、王妃の子も望めたという報せを同時に受けた。
「一緒に頑張りましょう」
「うん……ありがとう」
同性の、年が近い女性と共にいるのが良い効果をもたらすのか、いつもと違って初めて一番子が流れやすい時期を乗り越えることが出来た。
「ね、触ってみて」
日に日に彼女の中で大きくなる存在。もう子が流れるという恐怖に怯えなくて済むからか、柔らかく笑う彼女。その手に伝わる確かな命は、あたたかかった。
そうして無事、二人とも男児を産むことが出来た。
まるで双子のように似つかわしい男児は王族らしく金の髪。けれども決定的に違ったのは、その瞳。
王妃の子は私に似て目が青く、予備として生まれたその子は、燃え盛るような朱色の眼をしていた。
「……」
王の独白は、残らない。誰の耳にも触れず、手記にも残されないそれは、彼の心の中にしか存在しない。
「そっか。おくには、なくなっちゃったんだ」
「ああ」
口伝で語り継がれる一つの物語。それを語り終えた一人の老人は、赤みの強い金色の髪をした年端も行かぬ少年へと笑い掛け、皺の多いその手で頭を撫でた。
大きな手が与えてくれる温もり。ごつごつしているけれど、いつもこうやって撫でながらお伽噺を話してくれる祖父が、少年は好きだった。
「父さん、戻ったよ」
「ああ、おかえり」
「とーさん!」
そして、まるで生き写しだと周りから例えられるような父も。
「何をしてたんだ?」
「じいじからおはなしきいてた!」
「そうか」
朱色の目が、自分を見下ろす。自分は違うけれど、祖父と同じ父の瞳は柔らかく揺らいでいて、少年はにこやかに笑った。
「あなた」
「ああ」
リビングの奥、寝室として使う部屋から一人の老婆が顔を出し、もうそんな時間かと立ち上がる祖父を、少年は見上げる。
「あ、あそこにいくの?」
「ああ。行ってくるね」
「行ってらっしゃい!」
少年に見送られ、二人は家のすぐ傍にある崖へと向かう。夕陽を浴びてきらきらと輝くのは、丁寧に磨かれた墓標。
「……」
眠る彼女達へ、掛ける言葉は今更ない。毎日この時間になれば行う日常の一環に過ぎないそれは、許しを乞うためのものではないから。
「行こうか」
「はい」
同じときを過ごし、同じように歳を取った仲間。幼馴染みであった彼女の師と良く似た微笑みを湛える伴侶の元に歩めば、あのときと同じように真白の花弁が風に舞う。
「……シュティ様」
幼馴染みとして彼女と過ごした日々は、かけがえのないもの。優しくて聡明な彼女を殺したあの男を、当然許せるはずもなかった。
だから二人で、誓ったのだ。
墓の前、いくつもいくつも彼女が好きな花が手向けられる、その場所で。
「どうした?」
「……いいえ」
思い起こして、滲む心情。
横に並ぶ生涯のパートナーへ首を振って何でもないと伝え、目を伏せて小さく微笑んだ。
未だ褪せることなく、墓にも手向けられぬ誓い。
『何があろうとも、決して許しなどしない』
それは、遠い昔に交わされた、婚約者達の独白。