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婚約者の独白

彼女が死んだと。彼女を慕い、彼女が慕う騎士が言った。


「あんたのせいだ」


いつも澄ましたその気に食わない朱色の目に燃え盛る怒りを湛えて、被っていたはずの愛らしい仮面も脱ぎ捨てて、騎士は語気を荒らす。


「あんたが、あのひとを殺したんだ」


今にも飛び掛かりそうな勢いで拳を握り締めたその姿。押さえ付けるようにして横に控えていた同僚が彼を止めていなければ、きっとその握り締めた拳は剣を握ってこの首を刎ねていただろう。


「あ……の、ディー?」


息が詰まる剣呑を孕む空間の中で、やけに場違いに戸惑う声が震えた。


真っ白に染められた思考から逃れるようにそちらを振り向けば、戸惑うようにこちらを窺う灰茶の目がある。


「ああ、向こうに行っていておくれ」

「え、でも、」

「いいから」


いつものように政務中に横に立っていた彼女の存在。しかし今はこの場に立たせるべきではないだろうと執務室の横にある休憩室へ入ることを促せば、その眼は不安げに揺れている。


けれど、ちらちらと視線を交互に送る彼女を半ば強引に隣の部屋へと追いやった。そして同僚の騎士に連れられて部屋を出ていった彼の代わりにその場に立つ騎士団長へと、視線を向ける。


「…………本当なのか?」


第一に、そんな問い掛けが口から滑った。


それは、彼女が()()()()()で自ら命を絶つと思えなかったからだと、思う。


「はい」


口数少なく、あくまでも事実だけを伝える騎士団長の姿に、僕は、相槌を打つこともなく彼の言葉を聞いていた。


「ご自身の手で、首を」


ペンや針しか握らないその白い華奢な手で、彼女はナイフを握って首を掻っ切ったという。


「父君であるレナード殿が、最初に発見されたそうです」

「…………そう、か」


ご苦労、と辛うじて絞り出した言葉は震えていなかっただろうか。



「ディー?」


報告を切り上げて、早急に騎士棟へと戻っていった団長の背をずっと追うように閉められた扉を眺めていれば、ひょこりと休憩室の扉から顔を半分だけ覗かせる彼女と目が合った。


「だれか、亡くなったの?」


いつもと変わらない、何も知らない目で、彼女は僕を見上げる。


そう。無垢な瞳は、いつもと変わらないから。


「ああ……すまない、奥に行っていてくれないか」

「え、でも」

「すまない」


だから、再び強引に奥へと押し込め、自分の鼓動しか感じられないその部屋で、何が込められているのかがわからない息が零れた。


「…………」


到底政務など手に付くはずもなく、握っては戻すを繰り返す羽ペンを見つめて、ふと思い出す。


『こちらを。気に入っていただけると嬉しいのですが』


無表情に、固く張られた声。婚約者の役目としてか、一応誕生祭の後夜に個人的な贈り物として渡されたそれ。


『ああ、ありがとう』

『いえ』


責任感からくる物だとしても、彼女自らが選んでくれた初めての贈り物に少し胸を高鳴らせて開けば、二つの色彩が目に飛び込む。


朝焼けのような、夕陽のような、鮮烈な色でありながらも浅く、深い陽の色をした美しい羽と、反対に夕闇に包まれる日暮れのときを思わせる濃い青。一つだけでも美しく、二つセットになればそれは朝と夜の色を、黄昏のときを楽しめる、そんな趣向が凝らされたペンとペンスタンド。


『……ありがとう、大切にするよ』


先日話した、なんてことない一言を覚えていてくれたことが嬉しかった。口元を緩ませて礼を告げれば、自分の前でだけは笑わない彼女が、少しだけ微笑んでいる気がした。



「…………きみは、僕のことが嫌いだったんじゃないのか」


もうずっと昔のように思えてしまう記憶に蓋をして瞼を閉じれば、そんな感傷が口を滑る。


出会った頃から、その後も、ずっと。


自分が好かれている、などと思えたことはない。


何故なら、彼女はいつだって自分の前ではあの花開くような笑顔を、見せてくれたことがないのだから。


思い返す。


その微笑みに惹かれ、柔らかい声に惹かれた、その日を。



それは、あの子が齢12になろうかというときのことだった。次期王妃候補を選別する茶会にて、家柄と丁度良い年頃の息女が集まる、その日。


朝から何回も何回も開かれる茶会に、挨拶の繰り返しにうんざりしていた夕方頃。もう適当に選んでしまおうか、などと思い始めていた頃。


最後のグループにて、凛とした、静かな声が耳を掠めた。


「お初にお目に掛かります。スクリファット侯爵家第一息女、シュティル・スクリファットと申します」


金や銀等、浅い色をした髪を持つ令嬢が多いその茶会の中では一際目立つ赤茶の髪が、軽く礼を取ったその背を滑る。


「この度は……」


聞き慣れた挨拶口上を紡ぐ鮮やかな紅の引かれた唇からは鈴の音のように軽やかで、耳障りの良い声が紡がれる。


飽きる退屈な挨拶に思わず耳を傾けるくらいに心地の良い声と、頭を下げる前に一瞬だけ見えたグレーの眼が作り物かと間違う程に澄んでいたから。


相俟って、記憶に残った。


「……王太子殿下?」


一人挨拶をしたら、それに言葉を返すのが慣習。滞りなく行われていたそれが自分の番になった瞬間に行われなくなったことに不安を抱き少しだけ上げられた目線にかち合ったとき、はっとして慣れた挨拶返しを吐き出す。


「ああ、すまない。父君であるレナード殿には、良く世話になっているよ。君の話もとても可愛い娘がいるのだと聞いていた。短い時間になってしまうが、この場を楽しんでもらえたら幸いだ」

「ありがとう存じます」


掛けられた言葉に、儀式的に頭を下げた彼女。そんな彼女の番が終わればその横に座る令嬢がまた慣れた挨拶を始める。そしてまた、一言返す。


何度かそんなことを繰り返して軽い世間話をしていれば、もうとっぷりと日が暮れようとしていた。


「では、本日はこの辺りで」


唯一記憶に残るスクリファット家の令嬢以外、誰一人として記憶に残らない茶会を終えれば、疲労感と倦怠感が身を襲う。すっかりバキバキになった身体を軽く伸ばし、息抜きがてら庭園でも散歩して戻ろうと夜闇に包まれつつある、サロンから一番近い中庭へと向かうことにした。


「そうか、失敗はなかったか」

「ええ、特に何もなかったけれど、大きな失敗はしていないからまだ望みはあると思う」

「うん。選ばれるといいな」


開けた中庭。城内の人間であれば誰でも立ち入ることが許されるその場所で、先程の取り繕った表情からは想像出来ない程に柔らかく笑うその姿と、明るく語る弾けるような声が強く、目に、耳に、焼き付く。


「今日はご馳走にしよう。シェフに頼んであるんだ」

「もう、まだ顔合わせをしただけよ」


笑い合い、並んで中庭を歩くその姿を、惹き付けられたように最後まで見送った。月明かりだけが輝くこの場所で、何よりも輝かしく見えたその姿に、その横に、自分を重ねて。


「シュティル・スクリファット嬢。彼女を、第一候補として考えている」


だから、茶会を終えたその夜。中庭から父君の居室である最奥のその部屋で、そう告げた。


「ふむ、レナードのとこの娘か。良いんじゃないか?少々訳あって騎士の志を捨て、大臣として私の傍に付いてくれている程の者だ。そんな彼の娘が私の娘になるのなら、文句などないよ」


ゆらりとグラスを傾け、深紅の液体を飲み干す父。王である父君の承諾が得られるのであれば、候補はほぼ決まったと言っても過言ではない。それでも、様々な根回しをしておいて不足はないと、私は父の部屋を後にする。


母君である王妃が早くに亡くなり、以降妾すらも取らないが故に王の子供は私だけ。だから、正当な継承権を持つのも私だけ。


しかし、王子が一人では替えが効かないと、傍系の人間に数人仮の継承権を持つ者はいる。継承者候補が増えればそれだけ派閥も増えていく。正当な権限ではないが故に彼らを表立って次期王太子へと据える声はないが、水面下ではそんな動きが見える。


そんな彼らに邪魔されないようきちんと協力者に根回しをしておくのが政治の世界だと、父は言う。その言葉に従って行った根回しの結果、晴れて正式な場で次期王妃の名として、彼女の名前を呼ぶことが出来た。


「わたくしが、ですか?」


絞られた候補者の中、広場で名を呼ばれた彼女の声に、頷く。


「シュティル。いや、シュティ。これから、よろしく頼む」

「……は、い」


取った手が震えている。嫌われていなければいいなと思いながら言葉を掛けたときは、確かにそこに偽りなどなかった。彼女と二人、この国を、導いて行けたらと。


そう、思っていたのに。



「ディー様?」


次期王妃が内定し、何度目かの顔合わせ。今日も上部をなぞるような会話だけを交わす以外何一つとして発展出来ていない関係性の中、どうすれば親しくなれるだろうかと頭を悩ませていれば、戸惑ったように向けられたグレーの瞳。


まるでこの内心を見透かされたのかと思う程に澄んだその目を気恥ずかしさからまともに見れず、思わず逸らしてしまう。


「……っ」


意中の女性と話した経験がないからか、どうにも上手く彼女と関係性を作れなくて逸らす視線の先で悩む。


逸らしてしまったその視線の先、彼女がどんな顔をしていたのかも、勿論知らないまま。


ただ、どうすればもう少し仲を縮められるだろうかと、思案していたのだ。


仲良くなりたい。庭園で見掛けたあの笑顔を、自分にも向けて欲しい。そんなことだけを考え、朝を迎える日も多くあった。


午後には彼女との茶会がある。今度こそ、と意気込んで決意を固めた自分の横を、見慣れた赤茶の髪が横切った。


「おめでとう」

「ありがとうございます」


願っていた彼女の表情は、本当に綺麗だった。向けるそのグレーの瞳が、緩く弧を描くその口元が。


とても。


「…………?あら、何方かいらしたかしら?」

「気のせいでは?」


実際、二人でいた訳ではないだろう。古くからの幼馴染みとはいえ、未婚の、あまつさえ片方は婚約者を持つ立場。当然、二人きりで歩くなど許される話ではない。角の先、自分の死角となっていた場所に従者がいたのであろう。


けれど、今。自分が彼女と仲を深めようとしていたことが全て無駄だと思えるくらいに、彼女が、相手に気を許していたから。


付け入る隙さえない。そう強制的に思わされる程に、二人は、お似合いだった。


彼へ向ける好意が友愛であっても、親愛であっても、そうでなくても。


自分にはそれらさえ向けられていないのだと、知った。


「ははっ……」


彼女が誰を想っていたって、構わないと切り捨てられる感情なら、あの場面を見たって何も感じなかっただろう。ただの政治的婚約。そう、割り切った関係なら、何も。


「……ばか、みたいだ」


親しくなりたかったのは、自分だけ。


だって、自分には見せてくれない笑顔が、向けてくれない視線が、掛けてくれない声が。


その、証左なのだろうから。



「ディー、様?」

「なんだ?」


興味もない相手から話題を振られるのは苦痛だろうと、以降の茶会では挨拶だけを述べてただ茶菓子を頬張るだけのときが流れた。


「…………いえ、なんでもありません」


辛うじて自分の愛称を呼ぶ彼女のその声だけが、自分の婚約者であるのだと思える。それでも、やっぱり彼女は今日も笑わないし、話さないし、ただ困ったように自分を見やるだけ。そんな顔をさせてしまうのなら、いっそのこと茶会など開かない方が良いのだろうと、ただ思った。



「ディー様、こちらを。気に入っていただけると、嬉しいのですが」


茶会を開かなくなり、彼女と顔を合わせることがすっかり減った近頃。久々に顔を見た彼女から、誕生日の贈り物をもらった。


「……ありがとう、大切にするよ」


初めて自分に向けられた小さな微笑み。嫌われている訳ではないのかと、少し自信を持てたのも束の間で。


嫌われていないのなら、もう一度茶会を開いても許されるかと彼女を自ら誘うために出掛けた午後。


「もう、やめてったら」

「はは、申し訳ありません」

「悪戯が過ぎるぞ」

「本当ですよ!」

「全くだ」


再び見てしまったその景色に、ちょっとだけ抱いた期待は砕け散った。


仲睦まじく笑い合う彼女と、レナード殿と、彼女の幼馴染みである騎士見習いの少年の姿。それを見守るように微笑む、宰相とその娘二人。


「…………」


二回目は、前回と違ってそれ程痛む感情はなかった。ただ、ただただまた思い知らされただけ。


やっぱりあそこに、自分が立つことなど出来やしないのだと。



「好きなヤツがいるんだろう?なら、態々私と出なくても良いだろう」

「え……」


そんな一種の諦めを抱いて以来、彼女に近付くことを更に避けた。茶会の同伴、パーティーのエスコート。その辺りを避け続け、何故かとついに彼女に問い詰められれば、そう答えた。


単に自分よりも騎士の少年の方が好ましいのだろうと思って吐いた言葉であったが、思いの外刺が強い言葉として彼女に向けられたそれ。


挨拶回りの一貫を兼ねているとはわかっていても、隣に立つ度に自分と彼らとの差を突き付けられる気がして、気が進まない。それに、二人で出ることは、義務でもない。


「相手が必要なら、他に頼めばいいだろう」


幼馴染みであり、従兄妹である親族ならば、自分の代わりの用を満たせる。背を向け、そう考えて吐いた言葉に彼女の言葉が暗くなっていることさえ気が付かないまま、足早にその場を立ち去った。


彼女と顔を合わせない理由が幼稚な感情からくるような幼いもの。たったそれだけならば、初恋を拗らせた王子の馬鹿な話の一つとして、将来笑い話にでもなったのかもしれない。


見守りながらも関係性について少し触れてくる保護者のような宰相の言葉に、いつか折れて。


「……シュティル嬢、戻っていただいて大丈夫ですよ」

「……はい。それでは、その、ありがとうごさいました」


けれど、ここ半年から一年に掛けて自分が避け始めるようになった原因は、それだけではなかった。


「すまない、もう一度頼む」

「はい、勿論です」


国を背負う者として彼女と共に学び始めた場で、その優秀さを僕は突き付けられていた。


「……はい、問題ありませんよ」

「ありがとう」


彼女が一で物事の理解をするのなら、自分は三の時間を要する。それなのに、最終的な問題の失点は彼女の方が少ない。


「ありがとう、ございました」


同じ時間に始め、いつも先に退室する彼女から送られるこちらを窺うような視線。


羨望が、嫉妬に変わったのは、そう遅いことではなかった。


「では、その……」

「ええ、お疲れ様でした」


週に二、三度開かれる勉強会。今日も今日とて先に上がっていく彼女と、ふと目が合う。


一切柔らがない眼差しに、結ばれた口元。こちらを見つめる、その固い表情。


「いちいちこちらを気にしなくていい。鬱陶しい」

「殿下!」


上手く行かない関係性から、嫉妬に塗れた心情から、そんな剥き出しの悪意が、何かがきっかけとなって口から流れていった。


「……申し訳、ありません」


俯き、出ていく彼女。先程の言動を指導係である宰相にいくら咎められようと、謝ることが出来なかった。


ずっとずっと幼稚な自分に嫌気が差す。それでも、いつまでもたった一言が言えないまま、僕らはその日を迎える。


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― 新着の感想 ―
[一言] 全部自業自得、自ら蒔いた種じゃねえか。 同情も免罪も不可能だな、クソ王子。
[一言] なんだ、結局あなたが好きとかすべてを捧げるとか言いつつ別の男に尻を振っていた雌犬が死んだだけか。“かわいそうな令嬢“がいなくて良かった。
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