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ヴァレンシュタインシリーズ

公女の世直し

作者: 川里隼生

 人口三万人で観光が主な産業の小さな国、ヴァレンシュタイン公国。現在のヴァレンシュタイン家長女、エリーゼ・ヴァレンシュタインはアウトドア派で知られ、まだ十五歳でほとんど名誉職に就いていないのを良いことに護衛を一人だけ連れて毎週のように遊び回っている。


 この日もヴァレンシュタイン邸を地下通路から抜け出し、市街のショッピングに出かけていた。付き添いはハーラルト・ホフマン。ヴァレンシュタイン家の執事である。

「エリーゼ様。目的地はどちらです?」

「目的地? そんなものはないわ。これから決めるのよ」


 若い女性に人気だという看板を出す服屋に入った。

「あら。これなんて良いじゃない。ねえホフマン。このジャケット、私に似合うと思わない?」

「ええ、お似合いかと」

 姿見の前で笑ってみせるエリーゼは小国の公女ではなく、十五歳の普通の娘のように見える。


 エリーゼは気に入った服を二点と、白黒ストライプのネクタイを買い物かごに入れた。

「エリーゼ様、そのネクタイは恐らく男性用ですが……」

「ああ、これはあなたのものよ。私に付き合ってくれたお礼。報酬と言ったほうが受け取りやすいかしら?」


 ホフマンは遠慮するべきと思ったが、エリーゼの裏表のない表情を見て、こう言った。

「報酬ですか。ならば、ありがたく頂戴いたします」

 エリーゼはレジに行き、財布を取り出した。しかし、レジに誰もいない。

「あら? 店員さんがいないわね。休日ではないと思うのだけど」


 そこに、入り口から息を切らして大柄な男が入ってきた。

「はあ、はあ。あ、いらっしゃい。待たせてすまなかったな」

 男はこの店の名札を付けており、エリーゼの姿を見るとすぐレジに入った。

「いいえ。待ったことは気にしていないわ。それより、営業中の店を無人にするなんて、少々不用心ではないかしら?」


 男は汗で濡れた頭を掻く。

「いやあ、その通りなんだがね。実は泥棒を追いかけてたんだ。足の速い奴で、とうとう撒かれちまったよ」

「まあ! この国にも泥棒はいるのね。……残念だわ」

 隣のホフマンから見えたエリーゼの横顔は、先程とは打って変わって沈んだ表情をしていた。


 二人が店を出た直後、店主はエリーゼの悲鳴を聞いた。慌てて店を飛び出す。

「どうした嬢ちゃん!」

「この人がバッグを無理矢理取ろうとしたの!」

 指差す先には、ホフマンに組み伏せられた若い男がいた。

「あっお前! さっきの泥棒じゃねえか!」


「ちくしょう、離せ!」

「大人しくしろ」

 ホフマンが暴れる男を取り押さえる。

「あなたが泥棒さんね? もうすぐ警察が来るから覚悟なさい。……あら?」

 スマートフォンで警察に通報したエリーゼは、男の顔を見つめた。


「あなた……どうして私を狙ったの?」

 ようやく動きを止め、地面に座りこんだ男が答えた。

「別にお前じゃなくても良かったよ。親父だか誰だか知らねえが、隣のこいつがこんなに強いなんて、俺もついてねえな」

「本当に? 私の顔を見てもそう言える?」

「なんだよ! お前の顔がどうかしたのかよ!」

 それを聞いたエリーゼは、ホフマンに目線を向けた。ホフマンはエリーゼの表情から、怒りの感情を読み取った。


「ホフマン、私の『身分証』を出してちょうだい」

「はっ。こちらに」

 ホフマンがスーツの内ポケットから黒い表紙のヴァレンシュタイン公国のパスポートを取り出した。それを見た店主はこう反応した。

「なんだそりゃ? この国のパスポートは水色のはずだが、偽物か?」

 店主が首を傾げる一方、男は体が震え始めた。


「そ、それは……外交旅券……!」

 ヴァレンシュタインにおける外交旅券は、ヴァレンシュタイン家や議会議員、国務大臣などが公務で出国する際にのみ発給される。

「そうよ。家族に外交官がいて外交旅券を知らないはずは無いわよね。さあ、この私の名前を読んでごらんなさい!」

 ホフマンが写真の入ったページを開く。

「エ、エリーゼ……ヴァレンシュタイン……」

「ヴァレンシュタインだって⁉︎」

 店主が目を丸くした。


「あなた、先週の外交官向けのパーティでヴァレンシュタイン邸に来てたわよね? 私の顔も見たわよね? あなたの頭は偉い人の顔しか覚えてないの⁉︎」

「エリーゼ様、私怨による叱責はよろしくありません」

 ホフマンに咎められ、エリーゼの口が止まった。

「……まあいいわ。このことは外務局長に報告させてもらうから。ご家族の人事を楽しみにしていなさい」


 警察に男が連行されるのを見送ると、今度は店主に目を向けた。店主は申し訳なさそうな顔をしていた。

「その……気づかなくてすまなかった。なにぶん勉強不足なもんで……」

 そう言う店主に、エリーゼは笑いかけた。

「いいのよ。私は身分を隠した一人の客として、あなたのお店を利用させてもらっただけなのだから。素敵な服をありがとう。また来るわね」


「失礼いたします」

 ホフマンが深く一礼し、二人は去っていった。周囲の通行人がSNSにこの話を投稿すると、この話は現代の世直しとして世界中に広まった。ヴァレンシュタイン家はこの件について公式な会見を行わなかった。外務局も男の家族の人事について公表していないが、噂では退職し、アメリカに渡ったという。


 エリーゼ本人は、その次の週の水曜日にはとあるレストランにいた。客としてではない。

「服って結構かかるのよねー」

 独り言を言いながら皿を洗う。ヴァレンシュタイン家現当主が趣味や道楽に金を使いたがらない性格のため、エリーゼが遊ぶ費用はエリーゼ自身が日雇いのアルバイトで稼いでいる。このことは、あまり知られていない。

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