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「ええっと、あのトーコさん……今何と?」
「あの、この猫、オロキの山から来たって」
私の抱く猫をまじまじと見たクルトさんが思いっきり肩を落とす。
どうしたもんかと思ったんだけど、フローラさんからオロキの山のことは聞いてたので教会に行くわけにもいかず、だとしたら私、ここしか知ってる人いなかったから。
「オロキの山……ですか。えっと、名前は?」
「シャオってんだ」
「シャオ……って……うあああああまさか、始まりの罪人!?」
クルトさんの悲鳴に、私は腕の中のシャオに問いかける。
「何?その二つ名」
「え、俺も知らないんだけど?それ、俺じゃないんじゃね?」
「当の本人は冤罪を主張してますけど」
「僕が知る限り、シャオって名前の罪人は一人だよ。むしろ、シャオを閉じ込めるために、オロキの山が選ばれたと言われてるくらいなんだから」
「そんな極悪なことしたの?」
「極悪ってなんだよ。ちょっとここに降りてきた時に、転生の道が邪魔だったから壊しただけじゃん」
「十分極悪です!」
クルトさんが顔を上げてキッとシャオを睨む。
「あのねえ!転生の道は全ての転生者が辿る道なんだよ!なくなったら困るの!実際君が道を壊したせいで、何人かはここから上がれなくなったって記録も残ってるんだから!」
あ、それはちょっと駄目なやつだわ。
「だから悪かったって思ってるから、叱られた後大人しくオロキの山にいただろー」
「そ、そうだよ!なんで出てこられたの!?あの山には結界があるはずだよ!?だいたい、その姿何!?」
「なんか落ちた」
落ちた?
「うん、山から落ちた。トーコも見ただろ?いきなりあんな毛玉みたいな姿になってさー。ごろごろ落ちて、森を抜けてトーコに会った丘まできたんだよ。森には結界はなかったぜ」
ふーん。
「で、トーコの頭の中にいたこれ、トーコが好きだって言うからなってみた」
「な、なれるもんなの……?うん、なれるんだろうな……」
「別に今、俺は悪さするつもりないぞー。トーコに迷惑かけられないからな」
割と真面目でいい子では?
「あの、クルトさん、私、ここにいる間はシャオと暮らそうと思ってて」
「ええ!?」
「猫と暮らすの夢だったんで。幸い、シャオもいいって言ってくれたし」
「いやいやいや、でもね!?」
クルトさんが懸命に私を説得しようとしたけど、私の決意は固かった。
なので、妥協案を出してくれた。
「僕は一応、このギルドの所長なので転生待ちの人の保護は最優先なんだ……」
「はい」
「なので、トーコさんさえ良ければなんだけど、セロフにいる間、僕の仕事を手伝ってもらえないかな?」
「クルトさんのお仕事、ですか?」
「うん。どうだろう?少なくとも、僕の目の届く範囲にいてもらえると助かるから……」
懇願するようなクルトさんの視線に、得意先の営業マンの必死な目を思い出してため息をついた。
私はこういう目に弱いのだ。
そういうわけで私は、クルト所長の秘書兼掃除屋として、就職しました。
ギルドの仕事は大して忙しくない。
いや、クルト所長は色々あるみたいだけど、私は精々掃除と書類整理くらいだ。
フローラさんに、クルト所長のところで仕事の手伝いを始めることになった、と話すと「あの人、いつもぼんやりしてるからトーコさんくらい快活な人が手伝えば、仕事できるようになるかも!がんばって!」と発破をかけられた。
「クルト所長、地下の本の整理終わりましたよー」
地下の書庫から戻ってきて報告すると、嬉しそうに笑うクルト所長は、なんていうか大型の子犬のようだと最近思う。
「わあ、トーコさんはほんとすごいね!あそこの本、全然整理進まなくてどうしようかと思ってたんだよー、助かったー」
はい、まあ実際乱雑に積まれたままの本の埃を払って、ラベリングして、って作業は一か月がかりでしたけどね?
そこからからっぽになった本棚を掃除して、蔵書リストを作りながらの整理は更に一か月かかりましたけどね?
まあ時間だけはたっぷりあるから、マイペースでできたことは良かったんだけど。
「これ、蔵書リストです。本棚に番地貼り付けてあるので、番地順のリスト作ってみました」
はい、と差し出した蔵書リストをさらっと見たクルト所長が
「僕の知らない本がいっぱいだ」
と嬉しそうに笑った。
「所長も知らないんですか?」
「うん、僕がここに来る前からの蔵書だって聞いてるから」
たくさんの本は誰にも読まれていないのかと思うと、ちょっと勿体ない。
「ならいっそ、街の図書館に寄付とか」
図書館があることはフローラさんから聞いていたので提案してみる。
幸い、ここにいるのは時間に追われていない人たちばかりなのだし、ゆっくり読書を楽しむ人が増えても問題ないだろう。
「そっか、それもいいね。このリストがあれば、選んでもらえるし。今度、このリストを持って行ってみるよ」
クルト所長の仕事の手伝いを始めて、私はこの世界のことを色々知ることができた。
私にここに行くように勧めた白い光は、神様の代弁者みたいなものであの白い光は人間の担当らしい。
人間と言っても幅広くて、私からしたら本や映画の中の物語だった世界も、きちんと人が生きて営みがあるのだという。
そんな世界も含めて、転生先は決めていいらしい。
ちょっと剣と魔法の世界にも興味はあるけど、どの人生もおおむね普通に生きて死んできたので(ブラック企業社畜天涯孤独だった前世以外は)ファンタジー世界に転生しても、普通に生きるだけなんだろうなあ、と予想がついてしまう。
「ところでさ、ずっと気になってたんだけど」
「何ですか?」
「トーコさんのその格好?今の流行りなの?トーコさんの前世の世界で」
「何でそう思ったんです?」
「だっていつも着てるから、お気に入りなのかなって」
あ、なるほど。
ちなみに私が着ているのは死んだときも、この世界に来る前もきた後も着ていた、会社の制服だ。
別にお気に入りなわけじゃないけど、ぶっちゃけ他に仕事に着てくる服がないというか。
「いやーなんていうか、悲しいことにこの格好だと、仕事はかどるんですよね……」
「仕事ができる魔法でもかかってるの?」
「どっちかというと呪いかも……。って、私も別に好きで着てるわけじゃないんですってば。まあできれば仕事用の着替えが欲しいとこなんですけど」
家に用意されていた簡素なワンピースとチュニックとズボンは、まあ何というかフリーサイズの味気ないもので、あれで仕事しようという気にはならないというか。
ゴロゴロする分にはいいんだけど。
実際、ここに来てからギルドでの書庫整理の他は、家でシャオとゴロゴロしてるだけだ。
シャオは時々散歩に行ったりしてるみたいだけど、私は存分にゴロゴロするのを満喫していてまだ街の中の事はよく知らない。
足を延ばしても、フローラさんのところに食材や日用品をもらいにいくくらいで、そこで会う人とあいさつや会話をするくらいだ。
「じゃあ、買いに行けば?作ってもらうこともできるよ」
「服を作ってくれるところがあるんですか?」
「うん、図書館の隣に、服を売ってて、頼めば仕立てもしてくれる店があるよ」
「お店……。でも私、お金持ってないし」
死んだときに、香典くらい備えてもらえただろうから、それ持ってこられたら良かったのかな。
「これだけあったら足りると思うよ」
クルトさんが何枚かの硬貨を渡してくれた。
「ここでは貨幣はただの交換品みたいなものだけど、人間世界の風習っていうかそういうのに安心するんだよね。暮らすってそう言うことだと思うんだ。極端に高いものも安いものもない、商品一つにつき、硬貨一枚と交換、って覚えてれば大丈夫だよ」
分かりやすい。
手のひらの硬貨は10枚か。
服と、あとシャオのブラシも欲しいし。
「……クルト所長お願いが」
「ん?何?」
「ちょっと付き合ってもらえません?」
「荷物持ち、ね」
とほほ、という感じのクルト所長の手には、買い物した荷物。
雑貨屋に寄って最初に買ったのは、シャオの毛並みを梳くためのブラシだった。
それと、食器をいくつか。
「だって私、ここに来てからずっと地下の書庫に籠もってて、街のどこにどんなお店があるのか知りませんし」
「ごめんなさい」
いや、責めたつもりはないんだけど。
単に案内ついでの荷物持ちをお願いしただけである。
「図書館も何処にあるのか知らないので、教えてください。本を借りに行くこともあるだろうし」
「分かったよ。あ、そこの角を曲がってまっすぐ行ったところにある茶色の建物が図書館だよ」
言われるままに角を曲がると、少し先に茶色の建物が見えた。
「あそこですね」
「うん。その隣が仕立て屋。今日の目的はそこだよね」
「はい。図書館はまたきます」
図書館の横の仕立て屋は、小物も含めた服飾品を売ってるお店だった。
「いらっしゃませー。あれ、クルト所長?それに隣のお嬢さんは……ああ、転生待ちの人が久々に来たって聞いたけど君か」
店の奥から出てきたのは、快活な雰囲気の同い年くらいのショートカットの女性だった。
ちょっと気の強そうな赤い瞳が印象的だ。
かっちりとした黒い服も似合う。
「こんにちは、ベラさん。おっしゃる通り、転生待ちの住人のトーコさんです」
「はじめまして。泉董子といいます」
「トーコ、か。はじめまして。あたしはベラ。どう?そろそろ転生先決めた?」
昨日の晩ごはん何?みたいな軽いノリで聞かれるのもそろそろ慣れた。
何せ、街の人と知り合う度にあいさつ代わりに聞かれるのだ。
「まだです。なかなか難しくて」
「そっか。まあ焦ることもないよ。で、今日はうちの店に何か用?」
「あ、はい」
普段着と仕事着が欲しい、と相談すると動きやすいオールインワンのような服を出してきてくれた。
それとブーツとフードのついたマントと、襟に花の刺繍の刺されたゆったりとしたバルーンシャツとベルトとスカートのセット。
「じゃ、硬貨5枚」
「はい」
また来てね、という快活な声を背に、図書館の前を通り、ぐるりと来たことのない通りを歩く。
なんだか活気があって賑やかな通りだ。
もっとも私がこの街に来てから出歩いたところなんて、教会と転生ギルドと、街の外の丘くらいで、ほぼ一本道だ。
「こっちは、猟師たちの住んでる通りだよ。だから鍛冶屋もある」
「猟師?狩りなんて行くんですか?」
「街の外にね。ああ、そうだ。オロキの山のふもとの森は見た?」
「遠目に」
「あそこには魔物が住んでるんだ、で、魔物を狩るために近くまで狩りにいくんだよ」
おおっ!ファンタジーの王道!!魔物!!
「へえ!魔法使って倒しちゃったりするんですか?」
「うーん、前世で魔法使いだった猟師がいたっけか?いやいないなぁ。普通に弓を使ってる猟師が多いね。あとは一応自警団みたいなのもあって、そういう人たちに鍛冶屋が武器を作ってるんだ」
「なんだぁ」
あからさまにがっかりした私に、クルト所長が続けて教えてくれる。
「もちろん魔法が使える世界も存在するよ。でもそういう人たちはここに来るより早くもう一度転生したい、って思うみたいだね」
「何でです?」
「うーん、これは僕も本で読んだだけなんだけど、魔法を使える人たちは生まれ変わっても前世を覚えている確率が高いんだそうだ。それに魔法を使える力も引き継がれる。だったら次の転生先で魔法を使って生きたいって考えるそうだよ」
チート能力ずるいっ!
「でも、だとしたら普通の人が魔物と戦うって大丈夫なんですか?」
「トーコさんは魔物が全部凶暴だと思ってる?」
「違うんですか?」
「うん。あの森は、オロキの山の瘴気を吸ってくれてるんだよ。その瘴気に中てられた普通の獣が魔物になって森を出てきた時だけ猟師や自警団に狩られるんだ。でも凶暴ってことはない。瘴気に勝てなくて弱ってしまうんだ。可哀想だけど、オロキの山の瘴気をふりまかれるわけにもいかない」
「弱ってるから危険はないってことなんですね」
「うん」
などと話しながら活気のある通りを抜けると、更に街の中を歩きながら家に帰ってきた。
ちょうどおなかも空いたな、と思い
「クルト所長。朝仕込んだサンドイッチがあるんですけど一緒にどうですか?」
と誘うと
「いいの!?帰って適当に食べようと思ってたから嬉しいよ!」
と見慣れてきた大型の子犬の笑顔を見せる。
まあお隣さんだし、朝頑張って仕込み過ぎたので食べてもらえたらちょうどいいし。
と、家に入ると、仕込んだはずのサンドイッチは全部シャオに食べられてて、丸くなったおなかを出して気持ちよさそうに寝てるシャオに雷を落とすことになったのだけど。